陸上戦闘は如何に戦われるのか? 海戦は? 航空戦は?
史上のあの戦いにおいて、勝利する方策は?
近現代の陸上戦闘・海戦・航空戦について真剣に考察しましょう。
初心者から本職まで、幅広く参加者募集。
煽動者は黙殺、勘違いには罵倒ではなく善導で。
現職・元職は保全に注意しつつ、広い心でご参加を。
※軍事戦略(Military Strategy)、戦域(Theater)、作戦(Operation)、戦術(Tactics)、技術(Technical)
について主に扱うスレッドです。
世界観・展望(Vision)、政策(Policy)、国家戦略・大戦略(Grand Strategy)の言及は控えて下さい。
過去スレ
海・航空・陸上戦考察スレ 軍事戦略・作戦・戦術33
http://2chb.net/r/army/1593517778/ ワッチョイは某関係者とか書き込みにくくいので、やっぱ通常版を立てた。
参考書籍
「戦争論レクラム版」著:クラウゼビッツ 芙蓉書房出版
「戦争概論」著:ジョミニ 中公文庫BIBLIO
「孫子」著:講談社学術文庫
「戦術と指揮」著:松村 劭 文春ネスコ
「戦争学」著:松村 劭 文春新書
「新・戦争学」著:松村 劭 文春新書
「ゲリラの戦争学」著:松村 劭 文春新書
「米陸軍戦闘マニュアル」編訳:柘植 久慶
「コンバット・バイブル―現代戦闘技術のすべて」著:クリス マクナブ 、ウィル ファウラー、小林 朋則 訳 原書房
「コンバット・バイブル―アメリカ陸軍教本完全図解マニュアル」(1巻2巻で十分)著:上田 信 日本出版社
「コンバット・スキルズ 1・2・3」 ホビージャパン「パンツァータクティク」著ヴォルフガング・シュナイダー 訳:岡崎淳子 大日本絵画
「補給戦」著:M・クレフェルト 訳:佐藤佐三郎 中公文庫BIBLIO
「湾岸戦争に学ぶ経営戦略」著:W・G・パゴニス 監修:佐々淳行 同文書院インターナショナル
「世界軍事略語辞典」編:森田茂 和田誠一 国書刊行会
「前進よーい、前へ」「野戦指揮官」「戦車大隊長」 木元寛明 かや書房
「もののふの群像」 亀井浩太郎 かや書房
「アメリカ海兵隊の太平洋上陸作戦」 上中下 河津幸英 アリアドネ企画
葛原和三著『機甲戦の理論と歴史』芙蓉書房出版
石津朋之著『リデルハートとリベラルな戦争観』中央公論新社、二〇〇八年
江端謙介著『軍事とロジスティクス』日経BP社、二〇〇八年
北村淳、北村愛子編著『アメリカ海兵隊のドクトリン』芙蓉書房、二〇〇九年
田村尚也著、野上武志画『萌えよ戦車学校』イカロス出版、二〇〇五年~
チェ・ゲバラ著、甲斐美都里訳『ゲリラ戦争』中央公論新社、二〇〇八年
マーティン・ベグラー著、岡崎淳子訳『ミリタリー・スナイパー―見えざる敵の恐怖』大日本絵画、二〇〇六年
宮本武蔵著、佐藤正英校注『五輪書』筑摩書房、二〇〇九年
リデル・ハート著、森沢亀鶴訳『戦略論―間接的アプローチ』原書房、二〇〇八年
片岡徹也編『軍事の辞典』東京堂出版
片岡先生は「陸戦研究」誌で軍事思想史を連載してた。
菊澤研宗「戦略の不条理 なぜ合理的な行動は失敗するのか」(光文社新書)
湾岸戦争大戦車戦 上下 河津幸英 イカロス出版
日露激突 奉天大会戦 瀬戸利春 学研
ナポレオン戦争全史」松村劭 原書房
「湾岸戦争 砂漠の嵐作戦」東洋書房
「熱砂の進軍 上下」トムクランシー 原書房
オスプレイNo.20「ドイツ軍装甲車両と偵察用ハーフトラック1939-1945」大日本絵画
オスプレイNo.22「突撃砲兵と戦車猟兵1939-1945」大日本絵画
「戦略論大系シリーズ」 戦略研究学会 芙蓉書房
「戦略思想家事典」 片岡徹也編 芙蓉書房
「現代戦略思想の系譜」 P.パレット編 ダイヤモンド社
「新戦略の創始者」 E.M.アール編 原書房
「近代日本の軍事戦略概史」 黒川雄三著 芙蓉書房
「クラウゼヴィッツ 「戦争論」の誕生」 P.パレット 中公文庫
C. von Clauzewitz "On War" translated by M. Howard and P. Paret, Princeton Univ. Press
P. Paret "Understanding War" Princeton Univ. Press
B. R. Posen "The Source of Military Doctrine" Cornell Univ. Press
C. R. Newell "The Framework of Operational Warfare" Routledge
日本陸軍『作戦要務令』
「赤軍野外教令」
白 善燁 著作関連
「若き将軍の朝鮮戦争」
「対ゲリラ戦」
「指揮官の条件―朝鮮戦争を戦い抜いた軍人は語る」
「韓国戦争一千日」
FM 3-0 "Operation" 他米陸軍教範
MCDP 1 "Warfighting" 他米海兵隊教範
参考書籍(陸自教範、防衛共済会、学陽書房)
「野外令」
「野外幕僚勤務令」
「師団・旅団」
「普通科運用」等の職種運用
「普通科中隊」等の部隊運用
他に陸上自衛隊富士修親会や陸上自衛隊幹部学校修親会の発行書籍など。
(例、戦術研究のための地図判読。)
陸戦学会
「戦理入門」
「戦術との出逢い」(上・中・下)
「白紙戦術」
「師団・旅団の解説」
他
これらは古書店やオクでも中々お目にかかれません。
見敵必買!見敵必買!
「軍事の事典」片岡徹也(東京堂出版)
「西欧近世軍事思想史」上田修一郎(甲陽書房)
「現代の軍事戦略入門-陸海空からサイバー、核、宇宙まで」エリノア・スローン(芙蓉書房)
「兵学入門-兵学研究序説」西浦進(田中書店)
「軍事思想史入門-近代西洋と中国」浅野雄吾(原書房)
「ルパートスミス・軍事力の効用」ルパート・スミス(原書房)
「現代戦略思想の系譜-マキャベリから核時代まで」ピーター・バレット他(ダイヤモンド社)
「エドワード・ルトワックの戦略論」エドワード・ルトワック(毎日新聞社)
「現代の戦略」コリン・グレイ(中央公論新社)
「戦略論-現代世界の軍事と戦争」ジョン・ベイリス/コリングレイ(勁草書房)
「大戦略入門-現代アメリカの戦略構想」ジョン・M・コリンズ(原書房)
「戦略基礎計画(戦略情勢判断)」「戦略基礎行動(誘引・様式・原則)」菊池宏(内外出版)
「第二次世界大戦戦争指導史」新見政一(原書房)
「戦争なき自由とは-現代における政治と戦略の使命」クラウゼヴィッツ協会(日本工業新聞社)
「戦争のテクノロジー」「戦争回避のテクノロジー」ジェイムズ・F・ダニガン(河出書房新社)
「統率指揮及び戦術-治安警備のために」岡村誠之(霞が関出版)
「間接侵略とゲリラ」池野清躬(原書房)
「都市ゲリラ戦の研究」戦略問題研究所(平和警備保障)
「マルクス主義軍事論」中村丈夫(鹿砦社)
「プロレタリア兵学教程」渡辺正之/坂本聡三(鹿砦社)
「戦術原則の基礎的研究」吉田雅良(田中書店)
「茅ヶ崎市史 現代2 茅ヶ崎のアメリカ軍」大西比呂氏/栗田尚弥/小風秀雄(茅ヶ崎市)
「相模湾上陸作戦-第二次世界大戦終結への道」大西比呂氏/栗田尚弥/小風秀雄(有鱗堂)
「Combined Arms Warfare in the Twentieth Century」Jonathan M.House
「復刻版 大海令」資料調査会(毎日新聞社)
「ソ連軍事戦略の秘密-大韓航空機はなぜ撃墜されたか」米国防総省(ダイナミック・セラーズ)
「第二次世界大戦史①~⑩」ソ連共産党中央委員会(弘文堂)
「戦争研究」P.M.S.ブラッケッド(みすず書房)
「ソ連の軍事戦略」ギュンター・ポーザー(日本工業新聞社)
現代においての紛争 は 、 WW2や欧州冷戦時 に比べて非常に動員規模が小さくなり、
装備の高度化による整備や補給の重要性の上昇により根拠地(基地/駐屯地)の重要性が増加
さらに 地域の安定維持という意味合いにおける 警備任務の増加から、
近代欧州(17~18世紀)における根拠地(倉庫備蓄 策源地 に頼る制限戦争(限定戦争)の中でみられた部隊運動 による
敵連絡線の切断を目指す 敵の意図挫折を促すマニューバ と、根拠地の取り合いという
【位置取りの戦争 Position of War 】に類似した紛争形態 への回帰する可能性があるのではないか?
なお下記論文にてマニューバという概念にはポジションという要素が重要であると考察 されて いる。
これはどちらかというと戦術的なポジションの意味合いが強いが、根拠地との関係は作戦的なポジションという意味合いが強くなる。
つまり、ポジションも戦略次元、作戦次元、戦術次元で分けて考えなくてはいけないと思う。
Solution Looking for a Problem: Illuminating Misconceptions in Maneuver Warfare Doctrine
https://www.benning.army.mil/armor/eARMOR/content/issues/2017/Fall/4Fox17.pdf
これらから、よりポジションを強調する為に、ポジショニングウォーとLansとしては呼称しておく。
(正直、制限戦争の中で明確なこのタイプの戦争形式の呼称が統一されてない)
(ここで 制限戦争 として語ると、絶対戦争と対置される、戦争目的の制限という意味の方が強調されてしまう)
(なお、絶対戦争の中であっても、ポジショニングウォーは機能するので、制限戦争と同一視するのも問題があるのです) 一度上げておこう
(スレ立ての時にsageボックスをチェックしたままだったです)
さて・・・このポジションを考察するに
兵站能力が貧弱であった頃の日本
平安末期から室町あたりまでというのは考察に値する時代ではないか?
(戦国期になると、いろいろ規模が拡大するので、それ以前の方が分かりやすいと思う)
問題は…このあたりの詳しい資料が残されていないことだ!
>平安末期から室町あたりまでというのは考察に値する時代ではないか?
という事で考えをさらに進めると・・・
山城は地形により強固な籠城防御が可能であり、後詰が来るまで比較的持久を想定しやすいのですが・・・
平城は地形に防御を委託しにくく、従って複数の城郭・城館の相互支援に頼る部分が自然と増えてくると思います。
となると・・・ポジションとマニューバーの関係性が強いという事になります。
さて、平城中心に攻防が行われやすい場所となると・・・平野部。
関東平野の南北朝期~室町前後に目を向けると、良い物件がありそうですね。
(戦域が広く、山間部で敵勢力を迎え撃つことが根案。もともと山岳が無い地域同士の戦いだし…)
(ただ、河川が多いので、その利用は十分にあり得ます)
(地形要素としては欧州に似通っていますね)
で、見つけたのが 栃木の小山氏
まず資料の共有
1)小山市文化財調査報告 第25集 「鷲城跡」
※リンクが場外ので検索方法
鷲城 PDF でぐぐる。すると、出てくる「島忠 - 全国遺跡報告総覧」でPDFがDL可能
小山氏は、本城としての祇園城と、支城の鷲城、岩窪城(中久喜城)の3城を中心としている。
この資料は鷲城を中心としているが、第二次小山義政の乱 の主戦場となった城であり、乱全体の解説も含まれる
2)場所関係
下記で各城の位置関係が現在の遺構写真を確認できます。
【城郭放浪記】
https://www.hb.pei.jp/shiro/
【埋もれた古城】
http://umoretakojo.jp/
3)書籍類
下記を揃えられると良いですが「小山氏の盛衰」が最新研究をベースとしつつ、入手も一番ラクです。
小山氏の盛衰-下野名門武士団の一族史(松本一夫)戎光祥出版
小山武士団の興亡(小山市立博物館)
鷲城・祇園城・中久喜城―小山の中世城郭(鷲城・祇園城跡の保存を考える会)ずいそうしゃ新書 (まあ、親類が小山近辺におり30年ほど前に小山城(祇園城)と博物館にいって、面白かったので注目してたのですが・・・)
(前述の条件に見事にヒットしているので、まあ何にでも興味を持っておいて資料は集めとくもんだw)
関東は無数といって良い程中世の城跡が有ります。
ほとんどは遺構が壊されて良く解らなくなってますけど。
これらは勢力圏を守ると共に位置取りにも使われた可能性はあります。
そろそろオーストラリア軍がやりまくってたどう見てもインドネシア想定の水陸両用作戦主体のマルチドメインバトル改革の結果ができるころか
>>18
ブロッキングって簡単に言うけど、結構難しそう
もし後背を絶たれたら孤立する恐れがあるよな
山岳戦なら、自軍も敵軍も同じ経路を使うのだろうし >>19
『偵察し、ブロックし、掃討する(Reconnaissance, Blocking, and Sweaping)』の標語、どれも労力はんぱないわな
しかもそんだけ頑張っても大した数倒せないしほんとコスパ悪い 信頼のおける友軍の偵察は欲しいがのんびりしてたら逃げられるし、現地民の言葉は信用ならんし
困ったもんだよ急襲って
アメリカ軍がMPF計画で作った新型装甲戦闘車を納入したって言ってたけど、コレって軽戦車だよな?
現代で軽戦車なんてどう使うんだろ
日本における機動戦闘車みたいな使い方するのかねぇ。そもそもアメリカに必要なのかなコレ
軽戦車っていっても、MPFは40t級だからな
10式戦車と同じクラスだ
案外、日本の戦車と同じような運用になるかも知れん
>>18
制高点を敵に先んじて奪取することは日本陸軍も重視していた陸戦の原則ですし。 >>19
そこでヘリの出番なのですよ。
迅速に背後に回り込めるし、ヤバければ空路脱出もできる。 対ゲリラ戦は日本軍の対八路軍の戦例をいくつか見ましたが、急襲や奇襲は困難でしたね。
そこで色々奇策を弄したりするわけですが、小部隊を囮にして誘引するとか、別方向に移動するような動きを見せてスパイラル的に動いて少しづつ包囲圏を縮めるとか、便衣服を着て民間人に化けるとか。
かなり苦労したようです。
>>21
だから索敵撃破なんですよ。捜索ー発見ー即攻撃という。 >>18
コメント見たらLansが絨毯爆撃してて笑った
このスレの出張所かな? >22
RSGって予算委員会からも検証指示でてたりする。
>28
RSGとは別に、AGSはシェリダンを失った空挺の長年の夢。
(M8ASG・・・一度は正式化されたというのに・・・)
>28
そういえば、MPFの試験2種のうちの1つは・・・
まんまM8AGSベースの改修型なんだよね・・・
そもそも82空挺に配備される「はずだった奴・・・
さて、小山氏の話に戻る。
【ざっくり全般説明】
1:小山氏とは
藤原秀郷の後裔と称した太田氏の出自、初代は小山政光(下野国守護※しもつけのくにしゅご)
現在の栃木県南部である小山市付近を所領とした。
下野国守護の地位を巡り、同族であった宇都宮氏と敵対する。
(当時近辺にあった結城氏や長沼氏は、小山氏からの分家であり、小山三家として連合し宇都宮氏と敵対関係)
2:本城
本城は旧来から祇園城(小山城)であったが、南北朝期に落城、その後に防衛体制を強化し城郭群が形成される。
1380~1383年の「小山義政の乱」においては当初は祇園城、次に鷲城を主城として抵抗するが開城。
小山氏はその後に再度決起するも櫃沢城において家としては滅亡する。
(落ち延びた嫡男 小山若犬丸は何度か再起を図るが再興ならず)
同族であった結城氏が所領を受け継ぎ小山氏を再興。この時も祇園城(小山城)を居城とした。
城郭一覧
基本城群(小山近辺の相互支援体制確立)
祇園城:現在の小山城。河川台地上にあり、西側を思川の断崖に託した上で多数の堀切で複雑な曲輪を構成する。
結城街道と日光街道(当時名称:奥大道)の交点にあり、思川渡河点を扼する戦略要衝。
※結城街道は城内を通り思川渡河点に出る。
鷲城 :河川台地の突端にある。西側を思川の断崖に託し、南方は湿地帯となっている。
内部は広大な二の丸を保有し、外郭の高く巨大な堀と土塁に防御を任せている。
日光街道と思川の河川交通を扼する。
岩坪城:後の中久喜城。祇園城、鷲城の西方に位置し、2本の河が合流する台地上にあり結城街道を扼する。
新々城:別名、長福寺城。鷲城と祇園城の中間地点にある小型の砦。渡河点と連絡線を確保する。
宿城 :別名、神鳥曲輪。鷲城東1.5km地点の鷲城と岩坪城の連絡線の中間点にあり境道を封鎖する。
遺構の規模的に居館もしくは警戒拠点の可能性あり。
※祇園城、鷲城、岩坪城の3城が連携し、どの方面からの侵攻にも相互支援が可能な配置である。
※岩坪城は、現在は中久喜城と呼ばれているが、これは正統小山氏滅亡後、結城氏が小山氏を再興した後に改名したものらしい。
支城群(対宇都宮警戒線)
薬師寺城:小山氏の北方宇都宮氏に対する前哨。祇園城北方の出城(初代小山政光の孫が城主⇒後に薬師寺氏)
箕輪城 :小山市の北方宇都宮氏に対する前哨。祇園城北方の出城。壬生街道を扼する。
榎本城 :小山市の北方宇都宮氏に対する前哨。祇園城西方の出城。小山大道を扼する。
※薬師寺城を宇都宮と通じる日光街道(当時名称:奥大道)に配し、
思川西側の壬生街道を箕輪城、西方からの主要道である小山大道を榎本城が扼する。
※箕輪城は群馬高崎にある有名な箕輪城とは全くの別物。同名で紛らわしいので注意。
ぐぐる時は、【箕輪城 栃木】もしくは【下野 箕輪城】で!
反乱臨時城群(思川上流、山間地域) ※小山からかなり離れた鹿沼の山間部
糟尾城:粕尾城(長野城?)。1382年、祇園城を放棄し築いた砦。思川東岸。大型拠点。
寺窪城:1382年、祇園城を放棄し築いた砦。思川西岸。糟尾城から対岸の陣と古文書に表記される。
櫃沢城:1382年、祇園城を放棄し築いた砦。思川西岸。寺窪城に隣接する小山氏当主自刃の地。
※祇園城他の主城群が平山城であり過去に落城を経験しており、最後の抵抗拠点として戦闘のみに特化された山城、すなわち詰城と呼ばれる類と思われる。
※3城が近接し相互支援体制にある。小山氏の基本3城郭の関係を小型化したような築城思想が見受けられる。
※3城による全周防御態勢は中世小山氏の特長なのかもしれない。
(まるでソ連の三単位連隊島嶼状陣地のようである)
糟尾城は小山からかなり離れており、むしろ宇都宮に近い。
しかし、思川の上流域である糟尾のある都賀郡は、当時はまだ小山氏の勢力圏だった模様。
実際に小山から糟尾に向うには、壬生街道を下り、途中、下野 箕輪城付近を通過し、1時間くらい田園の中を車で走っていくとようやく山地帯に辿り着きます。
そこから、さらに山道(とはいっても、けっこう広い県道)を登っていく。コの字状というか回字状地形を利用した城郭。
3:初期の防衛構想(基本構想)
周辺状況:下野地方は守護職を巡り小山氏と宇都宮氏で対立が深まっていた。
もともとは小山氏/結城氏/宇都宮氏は姻戚関係で共に北朝幕府方に寄与したが1363年に宇都宮氏が幕府に反乱する。
仮想敵 :宇都宮氏
主城:祇園城(主陣地)
支城:鷲城(後方予備陣地)
前哨:薬師寺城/箕輪城/榎本城
基本構想:
薬師寺城/箕輪城/榎本城を宇都宮勢に対する前哨とし祇園城を主防衛線とする。
主兵力は鷲城に集結し、後詰として祇園城への増援、もしくは岩坪城経由での側面攻撃が可能である(機動防御形式)。
岩坪城は同族である当時友軍の結城氏との連絡線を防御しつつ、祇園城に攻めかかる敵の側面を攻撃する部隊の拠点となる。
祇園城陥落の場合、最悪、鷲城に後退して最後の抵抗をしつつ足利幕府軍の援軍を待つことが可能。
※鷲城は比較的単純な縄張りであるが、二の丸が広く大規模な部隊収容能力を持つ。
※これに対し祇園城は思川渡河点、日光街道、結城街道の結節点にある交通要衝であるが
複雑で細かい堀切を持つ、戦闘的な縄張りを持っている。
※祇園城を無視もしくは迂回する場合は以下で対処が可能である。
①上流で渡河し思川西側の南下案
⇒後方である鷲城への直接攻撃が可能だが渡河攻撃となるので、ほぼ攻略不可能
また途中での再渡河も鷲城と祇園城からの挟撃もしくは渡河点の待伏せにあう可能性が高い。
さらに後方連絡船を祇園城の戦力にさらけ出すので、宇都宮との連絡線が切られやすく長期戦が困難。
②祇園城を無視し東側への迂回案
⇒祇園城からの兵力に本国宇都宮との後方連絡線を絶たれる可能性がある。
さらに岩坪城攻撃中、結城氏から側面攻撃を受ける可能性がある。
③祇園城を拘束(包囲)し東側迂回案
⇒祇園城包囲の兵力が余分に必要となる。これは開戦のハードルを上げると共に兵站所要の増大を意味する。
これは当時の地方豪族の動員能力、兵站能力にとってかなり困難な事業である。
さらに岩坪城攻撃中、結城氏から側面攻撃や後方連絡線への攻撃を受ける可能性がある。
特に宇都宮氏に対して、岩坪城(中久喜城)は、祇園城という主陣地を強力に援護する位置、側面陣地としてのポジションにあると言えます。
祇園城自信は思川沿いの崖に側面を委託しており、その陸側を弱点としています。そこを離れた位置に岩坪城を配することで、容易に陸側からの侵攻を掣肘する効果があります。
祇園城を攻める後背に、岩坪城から出た戦力に突かれたらたまったものではない。
さらに後方基地としての安全地帯として鷲城もあるので、祇園城攻撃部隊への機動打撃は鷲城の部隊に任せ、岩坪城から出た部隊は宇都宮側に逆侵攻し、その後方を絶っても良い。
各城のポジションを活用しつつ、上記のマニューバにより相互支援体制を確立しているといえるのではないか?
で、両方に対処するのは、宇都宮勢の単独戦力では困難。
大規模な準備をするなら、大同盟や準備期間が必要になるが、その場合、小山氏は幕府に援軍要請を出すことも可能。
(その場合、鷲城は大規模兵力の受入が可能なので、急速行軍してきた援軍が体制を整えるのにも使える)
では、その邪魔なポジションにある岩坪城を先に攻撃しようとすると・・・
岩坪城攻撃中の部隊の後方に、祇園城からの部隊が進出できます。
これまた側背に回り込まれる。
場合によっては鷲城の部隊に側面を機動打撃され、祇園城の部隊に後方連絡戦を絶たれる。
結城にも近づくことになり、結城氏の戦力の合流もたやすいでしょう。
さらに宇都宮から岩坪城へは、街道筋から離れてしまい、兵站輸送がひっ迫しやすく
大規模な部隊投入も難しく・・・
無理ですね。岩坪城攻めは、当時の岩坪城自体はそう大きくはなかったようですが、
宇都宮側から見れば最悪の打ち筋かもしれません。
さて、何かと機動打撃部隊の出撃陣地として邪魔な鷲城。
よし、思川を渡って大きく西側から回り込み、先に鷲城を攻撃してみよう!
・・・祇園城って思川の渡河点にあるんです・・・
長駆する鷲城攻撃部隊の後方連絡線の側面を祇園城にさらすなど・・・攻撃してくれと言っているようなもの・・・
鷲城自体も思川の断崖に側面を委託し、その南端も湿地帯。陸側に廻り込もうにも、中継警戒拠点の宿城があり、
さらに岩坪城からの増援が、宿城経由で進出するはず・・・
まさしく三城相互支援体制による全周防御体制。
どれか1城が攻撃されてもそれが持久している間に、他の1城から機動打撃が、もう1城から連絡線遮断部隊が出撃できる。
平地に位置し、山城に籠る事のできない平野部の戦争。
ポジション(位置)とマニューバ(機動)による防衛体制。
理論的には完璧かも!
だがしかし、小山氏は滅亡しました。
なぜ、三城防衛体制は機能しなかったのか?
は次回に・・・
マニューバしなくて済むならそれにこしたことはない
そう思うようになった