東京駅駅前の丸の内中央広場に立ってレンガ駅舎と周囲の超高層ビルを観てね
理系ノーベル賞受賞者
大阪(人口880万)→3人
韓国(人口5000万)→0人(爆笑)
東京(人口1400万)→0人(爆笑)
文系ノーベル賞受賞者
大阪(人口880万人)→1人
韓国(人口5000万人)→0人(爆笑)
東京(人口1400万人)→0人(爆笑)
日本って大阪と関東と比較したら
大阪が西側自由主義圏で、関東は東側共産圏なんよな
隠蔽主義でプロパガンダ気質で、北京・平壌とノリが似てる。
日本国である西側と日本に併合された東日本という出自の違いは何千年経っても同じなんよ
幾ら一極集中で全部東に任せてみても。
というか東に任せた結果、戦争に負けるわ経済競争に負けるわ発展途上国入りが確定してるし。国ごと傾きつつある。
日本国内のこういう事例を見ても、自由主義圏の方が共産主義圏より社会が機能するというのは実証される。
さすがにこの主張は無理だわー
大阪が東京より都会だなんてありえないでしょ
だいたい世界の大都市東京を大阪と比較すること自体ないわー
大阪は東京より都会だと思う
どこの板に行っても大阪の人たちが皆そう言ってるから間違いない
●オールコック『大君の都』1863年
かれらには建築と呼びうるようなものはない。
……したがって、世界最大の都市のひとつである江戸の街路ほど、
むさくるしくみすぼらしいものはない。大名の屋敷でさえ、同じような建て方の
低い一列のバラックにすぎず、ただ屋根が高いだけだ。(下巻, p. 176)
●グスタフ・クライトナー『東洋紀行』1881年
実際に眺めてみると、期待した程のものではなかった。
東京は大きな村という感じだった。そして、
町の無数の貧弱な木造家屋の中に高々と聳え立っている帝の居城さえも、
宮殿というよりもむしろバラックといった趣であった。(1巻, p. 289)
江戸時代でも、大坂は東京の半分の人口でありながら、経済的には首位だった。
その後も昭和初期まで大坂が経済的に最大都市だった。
東京が国家権力を私物化して、制度上の優位を東京に創りだして
各地の産業を吸い取って行った。
東京が第一都市となってから日本はろくな事がない。
アホみたいな純粋主義で戦争に突入して多数の国民が不幸になった。
東京の国家権力の私物化を止める必要がある。
全ての日本のために、公平な制度を取り戻す必要がある。
農民系のドグマティズムに日本を任せることは危険である
原発事故においても戦時中のような片鱗が見えた。
武蔵の国
東京や多摩の別名として古来からの国名の武蔵がある。若者の街で人気の吉祥寺も武蔵野市にある。
“武蔵”というのは“モサシ”という朝鮮語から生まれた言葉だという。
モサシは河原にはえる草の呼び名らしく、多摩川の河原や東京を二分するようなその広大な河岸段丘の草原からつけられたようだ。
桓武天皇以来、東夷(アズマエビス)が住む関東の姿とはアイヌ系の先住民と、朝鮮の百済の人の入植地であり、
それらに当時の政権から派遣された源氏や平氏が割拠する土地だったのである。
また、武蔵の国の国司は百済人と決まっていて亡命してきた百済王家の人間がなっていたという。
今でも東京(武蔵野)には狛江とか高麗とか朝鮮に関係ある地名や名称が多く残っている。
沢の名前などはアイヌ語のようなものも目立つ。
武蔵の国の政府があった府中の大国魂神社(オオクニタマジンジャ)のあたりからは、百済人や東夷が暮らした武蔵野の大地が遠望できる。
江戸がなぜ栄えたか、というと「田舎者で栄えた」というのが一つの答えらしい。
江戸八百八町は当時も世界最大の都市。大名の参勤交替だけではなく、ありとあらゆる田舎から人々が集まって来ていたのだ。
そもそも江戸の背景となった武蔵の国そのものが海外からの亡命者や入植者、あるいは都落ちしたもの、東国へ派遣されたもの、
古来地元で群雄割拠する豪族など、ありとあらゆる人間が生活を営んでいた場所である。
しかも知事は外国人、国際的といえる地域でもあるのだ。
19世紀の英国人ゴードンスミスのみたトーキョーとオーサカ
ゴードンスミスのニッポン仰天日記より
トーキョーのにおいは、私がこれまで他のどんなところで嗅いだにおいよりも強烈だ。たとえば悪臭で名高いあのナポリと比較しても、トーキョーがどれほどひどいところか。P66
オオサカは飛躍的に開発されたように思う。交番はきれいで、いたるところにある。ゴミはなく、いくつかの通りには快適な雨よけがついている。とくにシンサイバシ通りの外観は、日本にしては非常に明るく派手である。P221
日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)