
ビキニ姿も初々しい
こんな出来事もあった。
本名の「中森明菜」という名前が呼びにくいから、名前を変えたらどうかと事務所の「研音」が言い出したのだ。
所属レコード会社、ワーナー・パイオニアの担当者も含め明菜の担当スタッフ全員が東京・赤坂の事務所に集まった。
事務所の役員が自らの意向として「こんな芸名はどうか」と黒板に書き出した。当時、明菜を担当していたワーナーの富岡信夫氏は振り返る。
「確か『森アスナ』と書いていました。中森明菜では呼びにくいからという理由でした。驚きましたよ。いきなり芸名にすると言われても現場が対応できないですから。さすがに反対しました。もちろん明菜本人もイヤだったと思います」
プロモーションで出遅れ、アーティスト名でゴタゴタしていては何も進まない。結局は明菜本人の反発もあったようで、本名の「中森明菜」で行くことになった。
「もちろん今になってみると笑い話のひとつ…になりますが」と富岡氏も苦笑いだ。しかしデビュー前のプロモーションでは苦戦を強いられた。
「特に芸能誌での露出展開に苦労しました」
富岡氏が今でも思い出すのは、芸能誌の記者とカメラマンをオーストラリアに招き、取材してもらう「苦肉の策」。
「何がなんでも明菜の存在をアピールしたかったことは確か。電通から出てきた企画でしたが、ワーナーとしても超強力新人だとアピールできると考えたんです。現地では水着姿の取材もOKしていました」
ワーナーは、洋楽の宣伝費も明菜のプロモーションに注ぎ込み総額1億円もの巨額の予算でプロジェクトを立ち上げた。が、芸能誌の反応は鈍かった。
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https://www.zakzak.co.jp/ent/news/200218/enn2002180006-n1.html
2020.2.18