東京六大学
https://enpedia.rxy.jp/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%85%AD%E5%A4%A7%E5%AD%A6 1920年、早大慶大が中央大学の加盟を承認するも明大・法大が反発した。
フランス法を重視する明治大学(前身は「明治法律学校」でフランス法学の拠点であった)や
法政大学(前身のひとつが「和仏法律学校」、フランス人のボアソナードが教えていた)に対し、
中央大学はイギリス法(前身は「英吉利法律学校」)中心であった。
当時の学問は法学が中心で、どこの国の法律を基準として学ぶかが取り沙汰された結果、
その対抗意識から中大はリーグへの参加を見送った。
代わってフランス法と大陸法という意味で同系統のドイツ法の東京帝国大学(現東京大学)を推薦することで
明大法大が承認したというもっともらしい説がある。
しかし中央大学は「本学は実学の中央」であるから、お遊びには加わらないと断ったという説もある。
東洋大学にも声をかけ、同じような理由で(うちは「哲門だから」として)断られている。