自分たちの言葉(ヤマト言葉)や文字(カタカナ、ひらがな)を大切にしようという気にはならないのか?
おまえもかんじつかってないでぜんぶひらがなとカタカナでかけよ
>>1
断る
おでん文字しか使えないチョンみたいになりたくないわw ひらがなだけでもつうじるけど
どっかいりょくがひつようになるんだよね
あたまのよいにんげんどうしでしかつうじない
ばかはむしされるといかりだすからきけん
しんせつでかんじつかってやってるんだぜ
ひらがながはやったのはむらさきしきぶのじだいだったっけ くえっちょん
あっちょっとまって
新しい文字ひらめきそう
高度な概念だと
まだ表現しきれてない物に対しても
高度な文字をあてがってそう
要は難しい事の理解が簡単になれば
良いわけで
日本は色んな文化を取り入れて進化している国なんだよ。
漢字が普及する前は神代文字とかあったんだろ?
日本で使う漢字も進化して「氵」さんずいが出来たり、ひらがなやカタカナが出来たり、
アラビア数字も取り入れたり。
食べ物だってカステラとか天ぷらとかコロッケとか入ってきて、ラーメンやカレーが国民食とか呼ばれたりしてるし。
これからもどんどん変化するんだよ。
漢字って本当に便利だよな
でもうちのワンコの名前は漢字じゃないけどな
漢の字で漢字
それがくずれたのがひらがな
カタカナの由来はひらがなどうように漢字
がくずれたは無理があるだろ
ユダヤ人のヘブライ文字に似ているだろ
日ユ同祖論の天皇はユダヤ人に落ち着くだろ
昔本屋で、イデオンの幼児向け絵本を見た事がある。
イデオンとジグマックが対峙した絵に、ひらがなだけでなんか文章が書いてあった。
今思うと、もっとよく見ておけばよかったなとちょっと後悔w
漢字が入ってくるまで文字を持たなかったジャップがなんだって?
文字の多様化と多い外来語で文字の数である語彙
が最も多いにが日本語
人間の大脳ではこの多種多様な言葉で思考されて
いる
文字の単純化は脳の動きの短絡化で脳の発達を
妨げる
>>1
NECの言語使わずにMSの言語採用してんだからもはやお家芸 >>1
カタカナもひらがなも元は漢字
英語圏の人に活字体にかぶれないで筆記体使えよっていってるようなもの >>27
そうだね
日本がガラバゴスなのは
半分以上があいまいなまま会話するから
おそらく明治時代に
使用する単語数を減らして
意味のニュアンスも減らして
かなり多くの単語の意味を入れ替えた そしてメディアで見せるものの知能を際限なく下げる
これは、日本人の生活、人生の全てを
宣伝の延長にしているから
際限なく知能が下がっていく
これではものごとを理解しようがない
日本の呼吸が乱れたリズムの話し方
テンポなく、一つ一つ間を置く話し方は
理解力を下げる
(机に向かって勉強するにはいい
テンポよく会話するには使えない)
実は、ワンテンポ、ツーテンポ置くたびに忘却しているから
呼吸が乱れたとはこういうことだ
575のリズム、
能のような音楽のリズムが少ない自然に近いリズム
日本人作曲家が作るリズム
若い作曲家が自分だけのリズムで作る
欧米のリズム
そして
アニソンのリズム
アニソンのほとんどすべてが別の曲のパターンに当てはまっている
それを感じさせないものもあるが
アニソンだけのパターンがあり、その範囲内で
可能な限り複雑なリズムにする
これだけの音楽のリズムがあるが
日本人がいつも大切にする基本のリズムが存在しない
日本のメディアすべてに575のリズムが使われているが
これは楽が出来ると思っているからだろう
文字数を減らせばコストが減る
だが、575だけで書いて、事実を誤解させないように話すなんて
とんでもなく難しい
メディアは実はそれに気づいていないのかもしれない
よほど話題を選び、事実に反してでも
言葉を入れ替えないと575におさまらない
だから、575だけで事実を新聞に書いたりすると
誤解しかない
どの国も、自国の民謡、国家などを基本にリズムを作る
何を話していても、
たぶん死にそうになってもこのリズムを守っている
自国は「どんな呼吸で」生きればいいのか決まっているから
ところが日本には「いつも同じ呼吸」が存在しない
アニソンが過剰にリズムが難しいように
他の「昔からある曲」の文化、思想の全てが意味をなくす
理解も思考もない世界では「かわいさ」しかない
ところが困ったことに、日本でも
「呼吸の合わない人」を敵をみなすのは激しい
みんなが「どの呼吸で」過ごせばいいのか決まっていない
みんなが「自分と呼吸が合わない人」を嫌悪する
共通の趣味とか、ある程度考え方が似ていると仲良くする気にはなる。
知能が近いか、相手のほうが知能が高いのを認めても、仲良くできる。
ところが、日本人は何をしてもぎこちない
人間というものは、知らない他人を恐怖する傾向はある
だが、欧米人のように少し話したら超高速で会話するようなことはほとんどない
日本人が超高速で会話する時は
知っていることがスラスラ出てくる時だけだ
日本人の考え方が、全体を基本にしているためだ
たくさんのことがある場合、ようするに全体はどうなのかを見る。
「つまりこういうこと?」と、人が言ったことを必ず要約しようとする。
細かいことを忘れて、たった一つの考え方に収めたがる。
たった一つの考え方で「だいたい」説明がつけば、
細かいことをすべて今すぐに忘れる。
日本人は「一つの全体」のなかにすべてがあるものと考える。
「一つの全体」の外はない。
ということは、一度に二つのことが出てくると
三つ目を考えざるを得なく、日本人はこれを飛躍と解釈し嫌悪してしまう。
「一つの全体」に要約して、内容をほとんど忘れてしまうため、思考をしなくてよくなる
だからなのか、日本人は思考速度が遅い
日本人が多くを語る時は、考えて或る時だけで
何かあったときに一時的な対処をするのは苦手なので、嫌悪する
日本人に苦手なことは存在していないのだ
「そんなものはない」と「一つの全体の外」から逃避してしまう
欧米はこういう考え方をする
全ての言葉、すべての要素、いくつあろうと
その数だけ物事が存在している。
複数の物事を「つなぐ言葉」が必要になる。
だからだろうか、やたらと説明的になる。
欧米人の言葉が過剰に多く感じて、なんだか難しく言っている気がする。
これは、数学のように見ると、「易しいとはどういうことか」が見えてくる。
数式で「易しく言う」となれば、言葉数が膨大になるのだ。
「ラプラス変換」というものがある。
簡単に言えば、微分などの複雑な計算を表す文字を書いているが
これを「他の易しい計算」に戻す作業をラプラス変換というらしい。
微分などの記号を一文字で書くが、
微分しないでもっと基本的な計算だけで同じことを言おうとすると
基本的な計算がかなり増えて、数式全体がかなり長くなる。
実は、欧米人は、あまり専門用語ばかりを使いたがらないようで
あいまいで、日常の言葉だけで、同じことを言おうとする傾向にある。
だから、言葉がかなり長くなるのだ。
専門用語で書くと、数語で足りるが、それでは「誰にも理解できる文」ではなくなるため
易しい言葉だけに戻して、かなり長くなるのだ。
これが欧米人の話し方だ。
日本人が「言葉が難しい」と思っているのは、「易しくした文」を差しているのだ
なぜなら、日本人は「すぐ記憶できるくらい短い文が易しい」と思い込んでいるのだ
日本人が好きな「数語でできた文」だけで話せば
専門用語だけで話すしかないのだ。
専門用語を書いて、わかりやすく話したのに、と思っている人は多いだろう。
ところが、これはおそらく日本だけの傾向だ
これこそが、日本人が「記憶だけで話す」ということだ。
日本人は何事も暗記しようとする。
日本人が頭の回転が遅いとすれば、暗記しようとしているからだ。
すべて暗記してから考えようとしているのではないだろうか。
これは、勉強の仕方から間違っていたわけで、
実際に日常会話に支障をきたしている。
日本人がいつまでたっても、人が言ったことにスッと答えられないなら
暗記しようとしていないだろうか。
もし日本人が余計な作業をしないで、自然なまま振舞って
物事を理解するとすれば
欧米人のように話すはずだ。
欧米は言葉が長いが、実は易しい言葉に直しているだけなのだ。
欧米人の書いた本を読むとわかる。
専門用語を書かないようにしなくても、もともと少ない。
日本人はこれみよがしに「専門用語を書かないようにします」と言ってあげようとする。
そんなことを言うまでもなく、易しく書けばいいのだ。
日本人は「すぐに暗記できるくらい短い文」で話す。
なぜなら、他人がどれだけわかってくれるか、想像もつかないからだ。
どうしても気になるため、他人をコントロールしようとしてしまう。
物事の理解方法から間違っているのだ。
暗記できるくらい短くすると7文字が限界だ。
とても伝えられる分量ではない。
日本人のように無理に頭に叩き込む意識で覚えようとすると7つくらいしか入らない。
実際には7文字以上はいるが、おそらく、
何らかのカテゴリーに当てはまっているために記憶できる。
カテゴリーが7つくらいに収まり、その範囲内の言葉ならなんとか暗記できるかもしれない。
それでも、全く思考せずに記憶するとなれば、単語7つか、7文字が限界だろう。
つまり、無理に頭に叩き込む方法だと
一度に扱える言葉が、極端に少ないのだ。
日本人の思考速度が遅く、なかなか上達しない理由がわかる気がしないだろうか。
勉強方法が良ければ、1時間以内に今気になっていることくらいは
一通り理解してしまい、むしろあまり忘れないはずなのだ。
日本人は頭の回転が遅いし、一度に扱えることが少なすぎる。
土壇場での対応速度が遅く、いきなり言われたことに反応もできない。
すべてを暗記しようとするのなら、当然の結果だったわけだ。
欧米人は、実は、そうなる可能性が低い理解の仕方をしているということだ。
かなり自分の立場で会話しているとは思うが
言い換えれば、人の目を気にしないで自由に話しているともいえる。
なんで欧米人は超高速で話して、必ずついていけるのかずっと疑問だった。
おそらく、人の目を気にしないで話すから、頭脳への負担が少ないのだ。
頭脳の全てを、今の会話に使えるから、思考速度を落とす理由がない。
日本人は、人の目を気にして、余計なことに頭を使いすぎているのだ。
しかも、人の目を気にするために、丸暗記してから考えようとする。
ものごとの理解の仕方がどこかおかしいことが、わかるだろう。
日本人は、人の目を気にして生きさせられているため、
せめて、思考の負担を軽くしたい。
日本人が周りが半分見えていないのは、人の目を気にすることと
効率の悪い思考方法で、能への負担がかかっているのではないだろうか。
これでは、めまいを起こすのも無理もない。
今言ったことのほかに、日本人は全く同じ言葉で話そうとする。
記憶力があるのかといえば、そうでもない。
知っていることがほとんど話せないからだ。
人の目を気にして、言いたいことを言えない。
そもそも記憶力に自信がない。
これでは、何があってもほとんど話せないはずだ。
「一つの全体」があると思って物事を理解していると
自由が利かないのもわかる。
「一つの全体」に反したことが起きたら、日本人はお手上げ状態になるだろう。
日本人がどんなに勉強しても、超高速の思考はしていない。
その問題を解決するのが欧米の考え方だ。
欧米の考え方ができれば、自由が利くはずだ。
人の目を気にするのも「一つの全体」に当てはめられてしまって
そこから抜け出せないからだ。
心理的にどこかスイッチが入ってしまい、失敗のパターンが繰り返され
やり方を変えることもできなくなる。
ゲームをしたりしているとたまに陥る。
意識が「一つ」にたまたま固定されてしまい、スイッチが入ったように
急にそれ以外が出来なくなるのだ。
そうなれば変える方法が一時的にわからなくなる。
日本人はそうなるように教育されているので、変えなければ日本人はずっと
自由が利かない人生を送ることになる。
欧米は「一つの全体」でも一時的なものだ。
数年後でも、他のことが出てきたら「別の一つの全体」に変えられる。
「一つの全体」しかないなどと思っていない。
日本はチャンスを与えない国だが、
欧米にはチャンスを与えない作業をあまりしない。
アメリカなら能力に関してはチャンスばかりがある国だ。
実力さえつけて、偶然でもいいからできさえすれば必ず称賛される。
全体は一つではなく、場合によって変わることがわかっている。
あと、一つ一つが、全体に決められて抜け出せないなどとは思っていない。
生活習慣で意識がどこかに固定はされるが、思考のほうはかなり自由だ。
欧米人の会話を見たらわかる。
複数のことがバラバラに出てきても、しっかり対応する。
よく聞いてみるといい。
非常に簡単な返事しかしないはずだ。
なんでもいいから、何か答えてあげているため、簡単なことになるのだ。
日本人は超高速の会話でも、長期間の研究結果を発表しなければならないと思っている。
論文みたいな事しか言わない人間がこの世にいるだろうか。
難しいことは、言えるのが前提ではない。
練習しているうちに言えるようになるのだ。
簡単でもいい、何か言ってあげると「沈黙」から抜け出せる。
日本人は、完璧なことを言わなければ笑われると思わないことだ。
そんなこと思っているから、完璧じゃないことを言う人間を嘲笑うのだ。
欧米の考え方は、言葉の数だけ「全体」がある。
だから「全体」と「全体」をつなげる言葉を何か言っている。
全ての言葉、すべての要素が、一つ一つ「全体」だから、入れ替え可能だ。
だから好きなように入れ替えたら、思いがけないことがわかるわけだ。
日本でこういうことが思いつけば「どれほど勉強したら
これだけ洗練されたことを記憶できるのか」と思うだろう
そもそも、全てが教科書に載っていて、暗記すれば言えるなどという考えを捨てることだ。
欧米が、本当にいろんな言い方をして見せるのは、そういう言葉を
どこかで見て暗記したのではない。
その人が考えたことが入っているのだ。
日本人は
1.これから「一つの全体」に辻褄が合うことだけを見る癖を改めることだ。
いろんな言葉が書いてあるから覚えているのではなく
それくらいのことはあなたでも言えるということだ。
2.常に全く同じ言葉を使うのをやめることだ
「違う言葉を使っても、同じようなことが言えるか」を意識することだ。
欧米人がいろんな言葉をどこでも使って見せるのは、
2-1.細かいことを合わせて言う時と、
2-2.細かいことを忘れてだいたいのイメージで言う時があるということだ。
日本人は言葉が違うと、だいたいの意味が似ているかを考えずに
「違うよ」と言ってしまう。
違う文字だから違うと思っているのは、思考していないということだ。
日本人は思考というか
言葉には「たった一つの意味しかない」と考えているのだ。
なぜなら、辞書にある意味の一つ目しか暗記できないと思っているからだ。
まとめよう
暗記するだけだと効率が悪い。
思考すると暗記しようとするより覚えている。
覚えている確率が高い時は
他のことと感情的につながる時しかない。
暗記にさんざん苦労しても、全然思い出せないのは、感情のつながりがない。
会話しているときに感情があっても全然思い出さないわけだ。
想像力が無い、理解力が無い、言葉が変と言われる。
もっと自由に話したいだろう。
色々思いついて、どんどん議論できるようになりたいだろう。
思ったことをパッと言いだせて、上手に言葉を使い分けたい。
正確に言うだけじゃなくて、組み合わせて自分の考えを作りたいではないか。
そうやって思考していると、記憶に悩むことは減るだろう。
不完全なところは、考え直せば済むことだ。
なんだったかな、ああ、そうだった、ああいう話だった。
今思ったが、こう言う事じゃないか。
だったら、こういうことになるな。
などと、次々と思えるようになりたい。
それができるような考え方をしよう。
そういうことで
欧米のように、何を言われても必ず答えられるようになろう
みなさんは、ちょうどいい呼吸とテンポで会話したことがあるだろうか。
会話の速度、話すタイミングと、理解力が他人と合ったとき
「おおっ」と気分良くなる
それをぜひ体験してほしい
おわり