過激な主張から「アルゼンチンのトランプ」という異名を持つのがハビエル・ミレイ大統領だ。評論家の白川司さんは「行政のムダの削減や通貨の安定化など、選挙公約を愚直に実行し続けている。国民から批判されると場当たり的に政策を変更する日本の政治家は、彼から学ぶべきことが多いはずだ」という――。
かつて経済大国だったアルゼンチン
アルゼンチンは第一次世界大戦前まで経済大国だった。首都ブエノスアイレスは「南米のパリ」と呼ばれるほど繁栄し、本物のパリを擁するフランスの経済規模をも上回った。
50代以上なら『母をたずねて三千里』というアニメをご存じだろう。1976年にフジテレビ系「世界名作劇場」で1年間放映されたテレビアニメである。
質の高いアニメだったこともあり、世界でも広く視聴された。特に舞台となったアルゼンチンでは、「なぜ私たちがアルゼンチンを舞台にしたこのような素晴らしいアニメを作れないのか」と悔しがられていると聞く。
原作はイタリアの作家エドモンド・デ・アミーチスの短編小説『クオーレ』である。舞台は1882年、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに出稼ぎに行き、連絡が途絶えた母親を、主人公のマルコ少年がイタリアのジェノヴァから海を渡って探しに行くという物語だ。
当時、ジェノヴァから南米アルゼンチンへ出稼ぎに行くという設定はやや不自然にも思えたが、当時のアルゼンチンは世界有数の豊かな国であった。
アルゼンチンは16世紀の大航海時代にスペインの植民地となり、その後密貿易で栄え、1800年代前半に独立。1880年にブエノスアイレスが正式に首都となると、外国資本と移民が一気に流入し、農業国として大きな経済発展を遂げた。
1900年代に入ると、情勢は不安定ながらも輸出大国として経済成長を続け、1913年には一人当たりGDPが世界トップ10に入り、南米で唯一の「先進国」となった。旧宗主国スペインの経済規模すら上回っていた。
戦後、ハイパーインフレに突入して没落
アルゼンチンは1950年代までは国家主導の経済で、インフレに苦しみながらも成長を続けたが、1960年代以降は軍政と民政の交代を繰り返し、低成長期に入った。1980年代には第三世界債務危機の影響で外債が急増し、ハイパーインフレに突入した。その結果、「ハイパーインフレ」はアルゼンチンの代名詞となってしまった。
年数千パーセントというインフレが国民を苦しめるなか、1991年に1ドル=1ペソでペソを米ドルに完全に固定するドルペッグ制を実施。中央銀行はドル準備高以上のペソを発行できないという厳格な制度を導入し、一時的に経済は回復したが、長続きはしなかった。
アルゼンチンと言えば、「世界には4種類の国がある。先進国、途上国、日本、そしてアルゼンチンだ」という有名な言葉がある。
この言葉はしばしばノーベル経済学者のものとして引用されるが、実際にはそうではなく、1990年代から2000年代初頭にかけて、アルゼンチンを揶揄するためにエコノミストたちが使っていたジョークだという説が有力である。
戦前は先進国であったアルゼンチンが、経済成長に失敗して転落したこと。そして、焼け野原から奇跡的な成長を遂げた日本までもが、異常な低成長国家になったことを揶揄している。
つづき
https://president.jp/articles/-/96053