●「車はもう一切運転しません」
この度は、大変なことをしてしまい大変申し訳なく思っております。
今後いかなることでも自分のことと深く反省にしながら一生をかけて償っていきたいと思います。
亡くなられた女児(当時8)には本当に申し訳なく思います。
(女児の)お姉様にもケガをさせてしまい、あるいはご家族、ご親族にもご心配をかけて申し訳ございませんでした。
出来ることはなかなかすぐには頭に浮かびませんが、1つ1つを思い起こしながらやっていきたいと思います。申し訳ございませんでした。
-遺族に謝罪に行ったのが5月4日というタイミングだった理由は
(事故のあと)2週間勾留されていて、4月14日に釈放されたが、いろいろ報道されていたので気をつけて行動するようにということで、
1週間は親戚の家に泊まって家に帰り、(自身の農業)ハウスとの往復をたまにするくらいで、あとは出ませんでした。
そういう時間を過ごしながらの3週間だったというような具合です。
-遺族にはどのような言葉で謝罪を伝えたのか
謝るしかなく、今はいろいろ考えても、なかなか受け入れてもらえるような状態ではなかったので、一生をかけて何とか償っていくしかないと考えています。
-謝罪に訪れた際に遺族の姿はどのように映ったか
言葉1つ1つが理解できない、納得できないというお叱りの言葉は何度かいただきました。
ご遺族の立場を考えれば、その通りだと深く思いまして1つ1つ噛みしめてきた次第です。
何が出来るのかはこれから一生かけて償っていくつもりであります。
免許証も返納するつもりですので、車はもう一切運転しません。
●「衝突する2~3秒前から気を失ったと思います」
-遺族には事故の際に気を失ったと説明されたということだが
覚えている限りはカーブを曲がって現場に行く少し手前、いま思い起こせば事故現場の20~30メートル手前から前を走っていた小学生の自転車を全然思い出せません。
衝突する2~3秒前から気を失ったと思います。
それで衝突して5メートルくらい引っ張りながら石塀にぶつかり、なお少し走ったのではないかと思います、トラックの下に自転車を巻き込みながら。
止まったところですぐに目を覚ましました。その時は胸を片一方(の手で)押さえて、片一方でハンドルを持った感じで目を覚ましたと思います。
すぐに降りて、(女児が)トラックの下にいるのがわかったので、
近くにいた3~4人と一緒に持ち上げて助けようとしたけれど上がらなくて、もう少し近くにいた男の人を含めて5~6人で上げたような記憶を少し覚えています。
それで、たぶん救出してから救急車で行ったのではないかと思います。
-事故直後に思ったことは
大変なことをしてしまったということは頭に思い浮かびましたけれど、
小学生が前を走っているという記憶がないので、どこから気を失ったか…たぶん20~30キロで走っている10~20メートル前だと思います。