
ナッシュビル座り込み
ナッシュビル座り込み(Nashville sit-ins )は、1960年2月13日から5月10日にかけてアメリカ合衆国テネシー州ナッシュビルで行われた非暴力の座り込み闘争である。指揮したのはナッシュビル学生運動とナッシュビル・キリスト教指導者会議で、市内の飲食店での人種分離を撤廃させることが目的であった。妨害による被害者と大量の逮捕者を出しながら、80日以上におよぶ非暴力闘争のすえ、市内飲食店での差別撤廃に成功した。公民権運動におけるもっとも有名な運動の一つである。
デモ概要
ナッシュビルでの学生達が計画を実行する前に他の場所でも同様のことが行われていた。1960年2月第1週、重要な意味を持つノースカロライナ州グリーンズボロでのグリーンズボロ座り込みが開始され、3日目には学生達は80名にまで膨らんだ。類似の抗議活動は各地で行われていたが、グリーンズボロ座り込みは初めてメディアで大きく取り上げられ、人々の注目を集めることとなった[15]。その後金曜日の夜にロウソン達が集まった時、さらに500名が自発的に集まった。ロウソンや大人達は延期を主張したが、学生のリーダー達は即時の行動を主張した[16]。
1960年2月13日土曜日、最初の大型の座り込みが企画された。午後12時半頃、ほとんどが黒人の120名の学生達はダウンタウンのウールワース、S・H・クレス、マクレランに歩いて行き、ランチ・カウンターに座った。店員が彼らへの食事の供給を拒むと、2時間そこに座り込み、その後何事もなく去っていった[17][18]。
最初の座り込みの後の月曜日、バプテストの79名の牧師の会議がナッシュビルで行なわれ、ナッシュビルには黒人信者の学生が多いことから、満場一致で学生達の支援をすることに決定[19]。地元の宗教指導者達は、人種差別を実行しているダウンタウンの店舗に対する最も友好的な方法は不買運動であるとした。ナッシュビルの黒人コミュニティは店舗に経済的打撃を与えるため不買運動を強く推奨した[20]。
2月18日、第2の座り込みが行なわれ、200名以上の学生達はウールワース、S・H・クレス、マクレラン、グラントに入店した途端、ランチ・カウンターは閉鎖された。学生達は30分ほど居座り、何事もなく立ち去った。2月20日、第3の座り込みが行なわれ、約350名の学生達は前述の4店舗とダウンタウンのドラッグストアのウォルグリーンに入店した。学生達がカウンターに座るとそれらのうちいくつかの店舗には白人の若者の人だかりができた。警察はこの5店舗に目を光らせていたが、暴力的なことは何も起こらなかった。ファースト・バプティスト教会での集会のために中断するまで3時間居座った[21][22]。
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