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管理人の生島英之(福岡市西区)です、宜しくお願いします。

母親との思い出YouTube動画>1本 ->画像>14枚


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1 : まだ、自分が幼かった頃は、
ただうるさかったり、ダサかったり、邪魔だなぁと思ってたけど、
何もかも無償で自分を受け入れてくれたのは母親だけだったよね。

そんな母、お母さん、かあちゃん、ママンとの思い出、感謝、反省を語るスレです。



2 : いや、随分殴られた

3 : 生みの母は私が1歳のときに死にましたが何か?
継母は優しかったなぁ。実の子のようにかわいがってもらった。

4 : にゅうどん

5 : >>3
その「何か?」っていうの、きもい
成長しろよ

6 : 何か?

7 : 中学、高校のころはよくケンカしたなあ。
一人暮らしの為に家を出て・・離れてからのほうが仲良くなった。
三年前10年以上ぶりに家に帰ってきて、今は仲良くやってます。
一昨年二人してダイエットに励んで、あたしもかなり成功したんだけど
彼女には負けた・・・(笑)70歳なのに16キロ減・・
大丈夫なのか(笑)と思ったけど血糖値も血圧もかなり
正常になって歩くのが楽しいって言ってるぐらいだから
ダイエット一緒にやってよかったのかなあ。。

8 : 幼稚園の入園式のとき。
みんなはウルトラマンや仮面ライダーの上履きいれをもっていたけど、
オレは母親の手作り・・・。
当時はみんなと同じ市販品が欲しくて、なんか恥ずかしかった・・。
でも、お母さんがつけてくれた「くまのアップリケ」と「名前の刺繍」が
なんか恥ずかしいけど、とってもうれしかった。
ありがとう、お母さん。
あの時はいやがったけど、ほんとは嬉しかったんだよ。だって小学校5年生の
時に破れるまでつかってたんだよ。
ありがとう。あなたの子供に生まれて本当に幸せです。
あの頃のあなたと同じ年になり、自分の子供にも同じようにしてあげたいです。



9 : うちの母親も手作りだったよ。
手提げ袋からセーターまで(細い毛糸で編める巨大な織り機を持っていた)。
何でもかんでも手作りなので、無くしたり壊したりしたら申し訳ないと思った。
おかげでとても物持ちがいい息子になりました。

子供に物を大切にすることを教えるには、
自分が苦労して作ったものを持たせるのが一番ですな。

10 : >>9
しん・・・と心に染み入るんだよなあ。
汚損したりしたら、思わず「お母さんごめん」って誰もいないところで
呟かずにいられなくなる
親父がひときわ怖かったので、怒られないようにと庇ってくれたのも
お母さんだった。

ありがとう。長生きしてください。

11 : いつも寝るまえにミルクセーキをつくってもらった

牛乳に卵の黄身と砂糖をいれて混ぜただけ
あまりうまくはないと飲むたび思ったけど
つくってくれるのがなんだかうれしかった

12 : お絵かきが苦手な私に、いつもいっしょに絵をかいてくれてありがとう。
あんまり上手にはなれなかったけど、一緒にクレヨンでお絵かきしたのが
懐かしいです。
いつまでも元気でね。

13 : 電話の声。いつきいても安心するよ。

14 : 15年前に逝っちまったよ。誕生日にお小使の10円と四つ葉のクロ-バ-あげたの この間出てきて… ○○の(俺)思ひ出って書いた封筒に入ってた (/o\)オ-ンオ-ン 甦る記憶。小4位だ。

15 : くだらない修学旅行かなんかのお土産に買った
紙細工の人形をずっととっていたわ、、うちのおふくろ
そんなもんたいしたモンじゃねえよ!
って思ってたけど・・
今ならなんでも買ってやるのになあ 死んじゃった

16 : 幼稚園の母の日に作った、くだらない文鎮・・。
そういえば、ずっと大事に使ってくれたなあぁ・・・。
いろんなもの・愛情を与えてくれたけど、オレが返せたものは少ないなぁ。

17 : スレッド一覧で、このスレのすぐ真上に「はじめての手淫」というスレがあるから、
目線を斜めに動かしていたら思わず「母親との手淫」と呼んでしまったよ。萎えました。

18 : >>17
誤 呼んでしまったよ
正 読んでしまったよ

19 : 母は弱かった
でも偉大な人だった

亡くしてから悔恨するものだ。

20 : 親父がバイオレンスな人だったので
お母さんはよく泣いていた。
6歳くらいの時、「今日はお出かけするよ」と3歳の弟とおいらを連れて
日に2本しか運行しないバスで1時間かかる最寄り駅までいき、
いつもなら運賃だけですむ急行列車なのに、その日に限って
運賃の他に別料金がかかる特急列車に乗せてもらった。
しかも、今まで乗ったことのない2階建て車輌で、とても嬉しかったことを
覚えている。
「ねえ、どこにいくの?」
と列車内でお母さんに尋ねた。
お母さんは、「このまま3人で暮らそうか」と言って静かに
泣き始めた。
もう一度尋ねた。
「ねえー、どこにいくのー?」
「○○百貨店に行ってお買い物するのよ」
「ふーん」
で、百貨店に着いてレストランでお昼ご飯を食べてから、
お母さんは百貨店屋上のアミューズメントスペースで
おいらに「二人で仲良く遊んでてね」と三〇〇〇円渡された。
お母さん、あのあと怖い兄ちゃん達にお金とられたから
遊べなかったんだよ。

21 : >>20
続ききぼんぬ

22 : いつもありがとう。

23 : 母親にかぎらず、両親にはいつまでも元気でいて欲しいです。
いつも元気な母親が入院した時、マジで泣いてしまいました。

24 : age

25 : 死んだ母が入院する前の日の夕食、何を作ってくれたっけ・・・
もう忘れちゃったよ・・・
なんでだろう・・・
これが最後の夕食だって思いながら食べたのに・・・
あの日、末期がんだって知ったんだよな・・・

26 : 突然弁当作って近所の公園に連れて行ってくれた。
いつも来ていた所だから何で弁当持って来たんだろうな、って思ったけど。
「友達はみんな家族で旅行や遊園地に行ってるよね。家にお金が無くて
連れてってやれなくて本当にごめんね。今はこんな近場でピクニックしか
できないの。ごめんね。」と弁当食ってる時に言ってたの思い出した…。

何か自分の母親の話なのに泣けてきた…。
俺、マジでそんな事何も気にしてなかったんだよ、母さん…。

27 : >>26
いいおふくろさんだ
ご健在なら大事にしてやれ

28 : うちの母親はわがままで、天然バカで、だらしなくて、すごく嫌いだった。
反抗期なんかとっくに過ぎた高3の頃でも本気で、ママがいなければと思ってた。
お母さんってすごいよねって尊敬できるような母親が欲しかった。

去年、実家に帰った時に大喧嘩をした。私が必死で働いて買ったプレゼントを
「安物でしょ」と言って笑ったから。
傷つけようとして言ったんじゃない。天然なんだ。そう思ったけど、わかってた分、頭にきた。
私が少し怒鳴ったらママもキレて部屋に閉じこもってご飯も用意しなかった。
私が話し掛けても見向きもしないので、メールだけ入れて言葉も交わさないまま、私は東京に戻った。

2日して、メールがきた。
「悲しい思いをさせてごめん。あなたがママを嫌いでも、あなたはママたちの初めての子供だから、
ママは可愛くて仕方ありません。だから、少しくらいはママのことも認めてほしいな。」

今は、そのバカぶりも笑って過ごせるようになりました。
ママごめんね。

29 : 生きていればこそ・・・だ。
みんな、おかあさんがご健在なら悔いを残さないように孝行しとけよ。

♪死んでしまったら けして 代わりは 無いのだから(ゲルニカ

30 : 今から家出汁
もう耐えられん

31 : 何があった!!!

32 : オレの父親はグータラでロクな稼ぎがなかった。
そんな訳で、家は貧乏だった。
弁当にもっていったおにぎりの具も魚の骨だけ。なんて時もあった。

三人兄弟で年の離れた末っ子だったオレは兄と姉のお古ばかり着ていて、兄貴が使い古したラジカセを貰い、
何一つ欲しい物なんて買ってもらえなかった。
兄貴達も、よくオヤジに殴られたり正座させられてたりしていた。
そんなオヤジに母親はなんの文句も言う事もなく、寿司屋とかでせっせとバイトしてた。
オレはそんな家庭環境に生まれてきた事を小さい頃からホントに憎んでた。
なんでこんな父親なんだろう
母親はなんで働くんだろう
なんでうちは貧乏なんだろうと。

そして去年、27才になったオレは家を出て婿になって結婚した。
相手は3コ下の裕福な家庭で育った女性。
妻を親に紹介する時、婿に行くと言っても
「あんたの自由だよ」
と母に言われた。
その時は「当然だ」と思い何も考えもしてなかった。

そして結婚式前日、親から「最後くらいはみんなで食事しよう」と言われた。
それもそうかな?と思ったオレはアパートから実家に向かって出ようとした時、郵便受に手紙が入ってたのに気付いた。
それは母親からの手紙だった。
小さい頃のたわいもない出来事とか病弱だったオレを看病した思いなんてのを汚い字で書いてあった。
そして最後に、
「あなたのこれからの人生の幸せを願っております。27年間ありがとう。」

今までこんな事を書いたり口にしたりする人じゃなかった。
一生懸命働いて育ててくれた事を考えたらものすごく涙が出て来た。

いろんな思い出と共に、27年間お世話になりました。

33 : >>32
オヤジは救いないなぁ

34 : うちの母親は、ちょっとずつ進行する脳の病気と、
もう15年近くも付き合っている。

最初に症状が出たのは俺が中学生の頃で、
手足の震え、めまい、不安感、なんかで病院に行った。
俺が「学校行かない」やら「高校行かない」やらと、
勝手放題にほざいていた時期だったから、
家族の誰もが「疲れ」やら「精神的なもの」とか、
そんな風にしか思っていなかった。

診断は「パーキンソン病」なる治らない脳の病気だった。

それ以来、母親は毎月2度病院に通っては、
病気の進行を遅らす薬をもらってきて、
毎日必ず飲み続ける生活をしている。

俺は俺で、別に心を入れ替える訳でも無く、
何となく高校へ行き、
「やっぱりミュージシャンになる!」とほざいて実家を出て、
今だにフリーター生活が続いている。

この前の年末、実家に帰った時、
夜中2時頃、寝ている俺の部屋に来て、
「動悸がするから、起きて。」
と言って俺を起こして、床に座り込んでいた。
俺の手を握りしめて。

お母さん、
あんまり、実家に帰らなくて、
ごめんなさい。

心配ばかりかけて、
ごめんなさい。

ずっとそばにいてあげられなくて、
ごめんなさい。

こんなになるまで、
気付いてあげられなくて、
ごめんなさい。



35 : >>32
27になっても親の苦労を気遣ってやれなかったとはな。

36 : 数年前、母が若い頃使っていた化粧品やら香水の入ったダンボールがあり、
その中にいくつか手帳のような物も混じってたのを発見した。
その頃の私は母に暴言浴びせたりするような反抗期真っ只中で、
もっぱら喧嘩の最中だったりして、「ちきしょー見てやるっ!」とか思い勝手に見た。
それは、私の生まれる前・生まれた後の事をつずった日記のようなものだった。
私は赤ちゃんの頃・幼い頃は体も弱かったため、その事についても詳しく書かれてて・・・
いつ熱が出たとか、嘔吐したとか、医者に言われたこととか。また、私はイジメられっ子だったので、
そういった事についても書かれてた。私が今まで知らなかった母の苦労や、優しさを感じて、
思わず顔をくしゃくしゃにして泣いてしまった。わがままな事ばかり言ってる今の自分が愚かだなって思ったよ。

ケンカもたまにはするけど、これからも元気でいてほしいな。

37 : 生まれた時から心臓に欠陥があった私。
色々苦労させましたね、お母さん。
6回の手術のうち初めての手術の時、長かった入院生活は
お母さんを独り占めできて、ある意味嬉しかったよ。
今でもあの時の事を思い出すと涙が出てくる。
どんなに心配させたかと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
病院の裏の芝生で、2人でお弁当を食べたのを憶えてますか?
もうあれから30年以上経ったんですね。
今は年に数回しか会えないお母さん。
いつも私のワガママを聞いてくれて、何でもさせてくれた事に感謝してます。
会うたびに「こっちに住みなよ」と言ってくれるけど、
未だにワガママな私は一人住まいをしていて、
こんな年になってもまだ心配させてごめんな。
本当は私もお母さんと一緒に暮らしたいよ。
朝、目が覚めた時、お母さんがいてくれたらどんなに嬉しいか・・・。
近々、また手術を受けることになるかも知れないけれど
その時には一緒に暮らそうな。
そっちで仕事見つけて、今度こそ恩返しするからな。
それまではお父さんと元気に暮らしててな。
私が帰るまで待ってて下さい。

38 : パソの画面が滲んで見える・・・飲み過ぎたか

39 : 痴呆の末に亡くなった母の遺品を整理していた。
幼い頃見覚えのある着物、編物の道具。
そういえば着せ替え人形の洋服を編んでくれたりしたっけ。
よくあんな小さな洋服を・・・。
そして古ぼけた大学ノートが数冊。
若い頃の母の日記だった。読み進むうちハッとした。
母は若い頃に子宮の病気をしていたのだった。

「神様。お願いします。子宮を取らないで下さい。
わたしは子どもを産んでみたいのです。自分の子供にお乳を飲ませて抱いてみたいのです。
だから、どうか神様、赤ちゃんを産ませてください」

そして数年後身ごもった子供がわたしだったのか・・・。

亡くなる少し前には、何かを食べさせてもボロボロとこぼす母に苛立ち
母のオムツを替えるのだって内心めんどうに思っていた自分。
ごめんね。ごめんね。ごめんね。
こんなにも大切に産み育ててくれたのに私は・・・。

古ぼけた写真の中の母は微笑んでいる。
「いいのよ」って言ってくれているんだろうか。
もう一度会いたい。

40 : 幼稚園に入る時、ミッフィーのハンカチを買ってくれた。
ショルダー鞄(?!)のストラップ部分に結びつけてくれていた。
漏れは♂だが、他の♂はウルトラマンとか仮面ライダーのハンカチなのに、
何故か漏れだけミッフィーのハンカチだった。当時は♀っぽくて馬鹿にされてイヤだった。


先日久しぶりに上京したおふくろにその話をしたら、覚えていなかった。
それどころか「あ、あれ、『ミッフィー』っていうの?ただの女の子のうさちゃん」だと思ってた」だって。

でも、何故かよくわからないが何となく母親の愛情を感じて、小学校3〜4年まで使ってた覚えがある。

そんなこんなでミッフィーを見ると、何となくおふくろを思いだしてしまう。
そんなおふくろも今年還暦を迎えたが、かといってミッフィーグッズはプレゼント出来ね〜な(w

41 : >>38
漏れもだ。モニタの文字も、ケータイにつけたミッフィーも歪んで見える…

42 : 連投ゴメン。
>>39さん
漏れの母親も痴呆になった祖母の介護でヒステリーになったりしてたけど、
ばぁちゃんが亡くなってから、遺品を整理する時に似たような手記を発見して
また涙したそうだが、ばぁちゃんはとても優しい女性だったので、
「もっと優しくしてあげれば良かった」と後悔する母親や伯父や叔母たちに
>>39さんと同じように慰めた。
うちのばぁちゃんもそうだが、大丈夫だよ。>>39さんのお母様も許して(?)下さるよ。
つか、「子育ては苦労が付き物」だって思っていらっしゃると思うよ。
と言う漏れは今、病気で会社も辞めて無職状態が続き、両親には苦労かけてる。

早く復活してボーナスが出たら、親父とおふくろに旅行でもプレゼントしたいです。

43 : あかん、間違えた。
>>37さんすみません
もう気分台無し…LANケーブルで首吊っ(ry

44 : 昔からよく私を叱った母だ。打たれたことも何度あったか。
でも、今だからあの時母が何故怒ったか、わかる気がする。
今は叱ってくれた事に感謝すらしてる。痛みを知らない大人になるのは怖い。
そして大きくなって自分が他人を打ったとき、打った手が凄い痛くて驚いた。
胸も痛かった。あー、痛かったんだね、お母さん。クソババアなんてほざいてゴメン。

「あなたの娘で良かったよ」と言ったとき「なーに言ってんだか」と言って
頭を撫でてくれた母の笑顔、忘れたことはない。
母の目元に涙が滲んでるの見るの、昔も今も、変わらず苦手。
母の声を聞くと何故か安心してしまうのも、多分一生変わらない。

女手一つで育ててくれて、大学まできっちり行かせてくれて有難う。
あなたの身体が段々弱っていってることが今一番怖いけど、
あなたが打ってくれた分、あなたが頭を撫でてくれた分、これから孝行するから
だからまだ、私の前を堂々と歩くあなたの姿を見せてください。
もしも歩けなくなったら、昔あなたがしてくれたように私が背負って歩くから。

45 : >>44
きっといい娘さんに違いない

46 : 昔の写真みるとなけてくるよ・・・。
いつまでも元気でいてね。

47 : ひとり暮らしのやつら、2ヶ月以内に実家に帰って
母ちゃんの手料理食ってこい。これは命令でつ。

48 : >>47
2週間前に上京してきて、喰いましたがダメでつか?

49 : まもなくクソでんしゃ(田舎)が入ります
ご注意ください

50 :あぼーん

51 : >>48
帰郷すると、親は一段と嬉しいものなんですよ。
たまには帰っておあげ。


52 : >>51
あい(^_^)。来月中旬にでも帰ろうかな。

53 : 自分が田舎から母をひきとって、東京で隣の部屋を借りてやって
暮らしていたが、どうも水が合わなかったり、バイト先でトラブルを
起こしてしまうため、母を田舎にかえすことに。そのとき、母が
諸事項に対してあまりにもいいかげんだったために殴ってしまった。
今思えば、自分はそのとき鬼だったのかもしれない。
ただ、田舎に帰った母は、鬼になって尻をたたく人がいなくなった
せいか、放置され、引きこもり、そのままボケてしまい、おととし
逝ってしまった。今でも、あの時殴られて歯が折れながらも笑顔で
俺を見ていた母を思い出す。

54 : >>53
。・゚・(ノД`)・゚・。
今度帰った時には、思い切りおふくろに優しくしよ(今も−自分で言うのも何だが−スゴく仲がいいが…)

>笑顔で俺を見ていた母を思い出す。
泣けて仕方ない。・゚・(ノД`)・゚・。


55 : >54 サンクスコ。煽られると思ったら逆の言葉がもらえてうれしいです。
手ぶらでもいいし、(あんまり)やさしくなくてもいいから、とにかく
何回も帰ってあげてください。不謹慎ですが「親が死ぬまで何回会える?」
とか考えると、ぞっとすると思います。親御さんが、多少変なことを
言っても、きつくおこったり、ケンカなんかしないで聞き流してあげて
くださいな。

ボケてしまったら、もう心が通じあうことができないんで、これじゃ
死んでしまったのとかわりないじゃないのと実感してしまったことが
ありました。厳しく接しながら、ほんの小さな親孝行も少しはできた
けど、弟夫婦と一緒に最期を看取れたというのが最後の思い出です。
1週間くらい交代で病院に詰めて、亡くなる前の日の夕方は、「暗く
落ち込んでちゃ母も心配になるはずだ」と病院のベッドの横で弟夫婦と
馬鹿話を続けて、ゲラゲラ笑ってました。他の病室の方には迷惑を
かけそうだったが、大目にみてもらうつもりで楽しく元気に騒いで
いました。

56 : 中学一年の時、美術の宿題がぜんぜん終わらなくて夜中までかかってしまった。
眠いし疲れたしイライラしていた私は、母の、「もう寝たら?」に
「寝れるわけないでしょ!!」とヒステリックに怒鳴ってしまった。
日頃から厳しい母に、私は絶対ぶたれると思って冷や汗をかいた。
でも母はぶたなかった。私が怒鳴った事を笑い飛ばし、
「じゃあがんばりなさい」って終わるまで一緒に起きててくれた。

お母さんありがとう。怒鳴ってごめんなさい。

57 : >>55
>何回も帰ってあげてください。不謹慎ですが「親が死ぬまで何回会える?」
とか考えると、ぞっとすると思います。
またまた泣けて仕方ない。・゚・(ノД`)・゚・。
体調崩して辞職しハロワ通いに加え、通院中の身故に、体調回復を優先せよとの
お達しもあるけど、マジで帰ろうか、それとも東京引き払って実家で暮らそうか
とも考えてしまいます。、

58 : >>57 息子が元気で幸せでいてくれるのが、一番の幸せですよ(´∀` )

59 : >>57
実家帰れば?東京で何かやりたいことあるの?

60 : 母が無職の夫(私の父)のかわりに臨時で教師してたとき、
私は「あんたの脳で教えられるわけない」とか「あんたに教えられた生徒がかわいそう」とか
言っちゃった。臨時は3年くらいでやめたけど、教師になるのが夢だったらしいと後できいて泣きたかった

61 : >>47
一週間ほど帰ってきたぜぃ!

62 : 小2の時に首を絞められて殺されそうになった

63 : 電話加入権廃止 7万2000円返金なし
http://life5.2ch.net/test/read.cgi/yuusen/1082054063/26


64 : 2chにこんな泣けるスレがあったのか。
しかもみんな文章力があるから、なお泣ける

65 : 今日、久々に両親が来てくれた、手作りのお弁当を持って。
いつも思うのは、世の中にこれほどのご馳走ってないだろうな、と。
もう高齢である両親は、歩くのもしんどそうで、
背中も丸くなり、顔には老人性のシミがたくさんできている。
お弁当に舌鼓を打つお父さんの目は、どこか寂しそうで、
お母さんは気丈に振舞ってはいるけど、それを見るのが私はとても辛い。
背中を丸めながらご飯を掻き込む姿を見ていると、
早くこの両親を安心させてあげたいと思う。
それなのに先日、お母さんが体調を崩した時、
私は傍にいてあげられなかった。
私が不調の時はあれほど心配させたのに、
私は両親に何一つしてあげた事がない。
ここのどなたかが仰ってたように、
あと何回会えるのかと考えただけで、沈みこんでしまう。

両親が帰った後、ガランとした部屋の中で何回も泣いた。
日々どんなに辛くとも、両親が元気でさえいてくれたら
それだけで今の私には十分幸せだと思える。

お父さん、お母さん、今日も気をつけて帰って下さい。
お盆には私の方からそちらへ行くからね。






66 : はっきりいって嫌いだ。
巨大宗教組織の在家団体の熱心な信者である母を冷めた目で見てた。
一人暮らしが随分経って疎遠になった。電話がかかってくるのは選挙の前だけ。
私からはかけることもない。帰郷するのも年始だけ。

家事が好きじゃない人で家はいつも宗教関連のものでちらかっていた。
炊事もダメ。極端に味付けが薄い人で言っても直らない。味がしない料理はもちろん不味い。
それに慣れてたから外食しても味が濃すぎて気持ち悪くなる。
人に「美味い店がある」といわれて付いて行っても美味いと思ったためしは無いし
グルメ番組を見てもピンとこない。いつしか食事に対して興味が無くなった。

ただ、裁縫だけは上手かったな。
私の祖母が上手かったらしく、祖母に習ったのを誇りに思ってるみたいだ。
古いはんてんを繕ってキレイに直してた。私はそのはんてんが凄く好きで
前に帰郷した時、まだ使ってることを言ったら「いいかげん捨てたらいいのに」
と嬉しそうにニコニコしていた。
温かいんだもんなあ、はんてん。捨てれないよ。


67 : お母さん、ありがとう。
小学生の遠足の日、共働きで忙しかったはずなのにお弁当に文句言ってごめんね。
中学生の試験のとき夜食作ってくれたのに、邪魔するなよとか言ってごめんね。
大学受験のとき、資金繰りで忙しいときなのに分かってあげられなくてごめんね。
大学受験に失敗したのに、優しくしてくれたのはお母さんだけでした。

ありがとう。本当にありがとう。
あなたには一生かかっても返しきれないくらいの恩を受けました。
お母さん、ありがとう。

68 : 皆さんのおかげで視界がぼけ気味なので、上手く書けないかもしれないけど
私も一つ。

進学のために実家を離れて一人暮らしを始めた頃のこと。
新しい生活の何もかもが上手くいかなくて、少しまいってた時期があった。
頼れる人どころか友達すらまだほとんどいなくて、気晴らしといったら
実家に用もなく電話することくらい。
といっても、家族に向かって弱音吐くのは 恥ずかしいから当り障りのない
話ばっかりしてたんだけど。
でもある日、母親と電話で話してて、ついポロっとね、きてしまった。
あー、もう実家帰りたいなー、って感じで。
で、うわヤバい!とか思いつつ必死に平静を装ってたんだけど、微妙に
感づかれたらしくて「泣いてんの?」って言われた。
当然私は「泣いてないよ、やだなぁ」って笑って誤魔化して、その時は
それ以上つっこまれることもなく電話を切ったんだけど、その数日後に
母親から手紙が一通届いた。
「あなたがそちらで泣いていても母は行ってあげることができません。
だからあなたが泣いていると辛いです。あまり泣かないで」
文章がクサいよ、母!って思いながら思わず泣いてしまった。
ただ、この人の娘で良かった、って本当に思った。
私はまだまだ頼りなくて弱っちいけど、いつかちゃんと恩返ししたい。
だからお願いします。その日まで元気でいてください、お母さん。

69 : >>68
>皆さんのおかげで視界がぼけ気味なので、上手く書けないかもしれないけど

充分泣けるぜ。

70 : 先の連休に帰省してきた!
おかん、ありがとう!
親父もありがとう!
曾孫抱くまで死ぬな!

71 : 思わず涙ぐんでしまった別板の母親の思い出スレ

('A`)カーチャン・・・
http://human5.2ch.net/test/read.cgi/male/1090370003/l50



72 : 俺が小学校3年の時、母が狂った。

父は勤務が不規則で留守がちだったために最初に気がついたのは
俺だった。意味不明な発言… 突然深夜の徘徊… 小学生の俺はただ
「意味わかんねぇよ」「どこにいくんだよ!」と怒鳴り散らして
いたが、激務の父に母の日常の行動を告げるのはためらった。

だが、当然母の行動も段々エスカレートしていく。近所の人たち
が俺に向ける視線も冷たいものになっていく。回覧版も玄関前に
置かれることが多くなった。決定的だったのは父の勤め先にまで
出向き、意味不明な発言をするようになったことだ。
俺は父に何度も、「病院に行って先生に診てもらった方がいいよ」
言ったが「それはダメだ…」と拒否し続けた。

そして俺が中学生になった頃、とても通常の生活ができなくなって
いた。父が親戚を呼び最後の「了承」を得た。

その日はやってきた。

母を「ちょっと出かけようか」と父が誘い、山奥の鉄格子のあ
る建物に向かった。いままで見せたことのない抵抗を母は見せた。
俺と父は「悪魔」とののしられた。

あれから15年
入退院を繰り返すも父と母は離婚せず、俺は結婚した。

お母さん
今度行く時は孫連れてくよ


(乱文乞許)


73 : さだまさし「案山子」
http://www.fk.urban.ne.jp/home/kazuaki3/utagoe44.htm

いけね、泣けてきた。

父ちゃん、母ちゃん。俺、東京で頑張ってるよ。
辛かったり苦しいときもあるけれど頑張ってるよ。


74 : 盆は、帰るか・・・('A`)

75 : 若いときは前しか見ていなくて、自分の足元など気にもとめていなかった。
家庭を持ち、子どもを育て、「子を持って知る親の恩」とは思ったが
やっぱり自分の家庭や子どもの事でいっぱいだった。

両親は両親で仲良くゆっくり老後を楽しんでいる様子に安心してた。

その父が病に倒れ逝き、残った母も休息に衰えて介護の末に亡くなった。
だいぶ落ち着いてから遺品の整理としてみると、父の残した日記には
「昨夜○○(私)に電話したら元気が無いようだが、大丈夫だろうか」
あるいは子どもが発熱、仕事休めずで両親に子どもを預けたりしていたが日記には
「△△(子供)発熱にて預かる。旅行は中止」
えっ?旅行を中止してまで預かってくれてたの?
そして母の遺品の中から出てくる、出てくる!
幼稚園の卒園証書から就職したときの辞令までちゃんとしまってある。
化粧ポーチの中にあったプラスチックの櫛は何ですか?
私が小学校のときに使ってて、いつのまにか飽きて捨てちゃった櫛じゃないですか!
赤ん坊のわたしを背負うのに使ったねんねこまでしまってあるですか?
そういえば若い頃、年がら年中午前様だったわたしがうちに帰ると
必ず食卓の上に私の食事が置いてあって、傍らには必ず手紙が添えてあったっけ。
「○○へ。おかえりなさい。お味噌汁は温めて食べてね。冷蔵庫に××もしまってあります。
よかったらどうぞ。早く寝なさいね。おやすみ」って。

そんなことね、もうあたりまえに思ってたわけよ。
手紙だって読んだらクシャクシャに捨ててたし。
今の自分はどうよ?疲れてるって夕食手抜きしたり、イライラして子供叱り飛ばしたり
母が大事に育ててくれたように子供育ててる?
暖かさ、優しさ、慈しみ、そんな気持ち母から教わったじゃん。
どこやったよ?
専業主婦だった母を世間知らずみたいに思ってたわたしこそ大馬鹿者。

今になって思います。
たくさんの愛情をそそいでくれて本当にありがとうございました。
もっともっと話をしたかったよ・・・。
今度は私が自分の子供たちに母から与えてもらったたくさんのことを受け渡していかなくては。
私は母の子供で本当に幸せだった。

親って毎日少しづつ、でも確実に老いている。そうは見えなくてもね。
生きてるうちに大事にしてあげてください。
>>74 顔見せてあげてね。

76 : >>75
いいお母さんだったんだね。
あなたは幸せ者ですよ。
お子さん、旦那さんを大事にしてあげてください。

愛は惜しみなく与えてください。愛情は永遠に残る宝物だと思います。

77 : >>76
最後の一文、格言だと思います。
一人娘なのに東京に出てきてごめんなさい。
いつもそっけなく電話を切ってごめんなさい。
>>75の言うとおり会うたびに少しずつ老いているのを感じます。
好きな人ができました。今度実家に帰ったらお料理教えてください。

直接言うのはまだためらいがあるので、ここでこっそり母への手紙です。

78 : 『お母さんに「ありがとう」って言いそびれてました』のフラッシュ
http://pukapuka.or.tp/cgi/img/puka3970.swf

泣けてしまう度☆☆☆☆

79 : >>78
。。゚(゚´Д`゚)゚。ウァァァン

80 : お盆に帰省して母ちゃんに甘えてきた香具師挙手汁!

81 : お母さんに会いたい
http://human5.2ch.net/test/read.cgi/ms/1089799842/

鬼女板にもこんなスレが・・・

82 : 俺が小学校低学年の頃、母が手袋を編んでくれた。
親指と、他の4本指が分かれるヤツ。
しかも手首にはフリフリみたいな飾りがあり、ボンボンもついていた。
俺は友達の大半がしている5本指でジャイアンツのロゴ入りとかの
普通のヤツが欲しくてたまらなかったが、母に悪いと思い何も言わず
毎日手袋を使っていた。

習字の帰り道に片方の手袋を落とした事に気がついた。
俺はろくに探す事もせず家に帰り手袋を落としたことを母に告げた。
母は怒らずに新しい5本指の手袋を買ってくれた。

翌週、習字の帰り、道端のごみ集積所に泥で汚れ、ガビガビになった
片方の手袋が捨てられていた。何度も行ったり来たりしながら迷ったが、
結局俺は手袋を拾わずに家に帰った。
次の日 思い返して学校の帰りに手袋を拾いに行ったが、もう無くなっていた。

あの時のズタボロに汚れた青い手袋の姿が今でも忘れられない。
お母さん ホントごめん。
手袋ありがとう。

長文スマソ




83 : >>82
(;´Д⊂)

84 : 台風は大丈夫でせうか?

85 : 思えば、母のことを最後に「お母さん」と呼んだのは小学校低学年のときだったな。
うちの父は母のことをニックネーム?で呼んでたから、
当時父っ子だった私はそれを真似して母のことをニックネームで呼んでた。
でも母も怒らなかったし、私もずっとそう呼び続けた。
時々「お母さんって呼んでよ」と言われたが、
もうニックネームで呼ぶことに慣れすぎてしまったので呼んであげなかった。
「お母さん」ってそんなに難しい言葉じゃないよね。

うちの母はきっと母親としては未熟なんだと思う。
子供の躾も他の家よりはなってないと思う。
でも、私にとっては最高の母親だ。
ありがと、お母さん。

86 : 今18歳だが、俺も「お母さん」なんて小学校低学年以来言ってない。

87 : やばい…泣きまくりました(´Д⊂ かーさん長生きしてくれよ

88 : 私が小学生の時、母が喘息になった。初めのうちは苦しそうで、とても可哀想だったが、
だんだん慣れてきてしまって、それどころか咳込んだりタンを出す姿がうっとおしく思えてきた
ある日また喘息の発作が起きた時、私は「またか・・・」とうんざりしてた
母は寝床から起き上がる事もできなかったらしく、一日中起きてこなかった。
夕方、寝床から母が私を呼ぶ声がして行ってみると,あきらかに今までの発作と違い、息をする事もままならない
母の姿があった。私が立ち尽くしていると,「あんたは今までお母さんの様子なんて気にならなかったの?
何度も呼んだのに・・・」と肩で息しながら泣き出した。
そして「もう死にたい・・・こんなに苦しいならもう死にたい」と泣き崩れた。


89 : 続きです
私は母が泣いたこと、死にたいと言った事、こんな酷い発作になるまでほおって置いてしまった事に
愕然としてしまったが、母の呼吸が尋常じゃなかったため、急いで救急車を呼んだ。
結果,大事には至らず入院となったが、医者に「あと15分救急車を呼ぶのがおそかったら危なかった」といわれ、ヒヤリとした。
病室に入ると母は酸素呼吸器と点滴を付けて眠っていた。看護婦さんに「あなた○○さん(母)の娘さん?
お母さん、きっと誰も自分の所に来ないって泣いてたよ。優しくしてあげてね」と言われた

私が病気の時は,眠らないで看病してくれた母だったのに,私は母になんて酷いこと思ってたんだろうと、この日を境に
母を大事にしようと決めた。入院中、動けない母の世話をできる限りした。そうしてる内に、母も以前の様に私と話してくれるようになった。
退院してからも何度も入退院を繰り返したけど、私の誕生日や参観日などには,外出許可をもらって来てくれた。

今私は結婚して親になった。母の優しさ、偉大さを改めて思い知る。
ただあの日母を泣かせてしまった事は一生涯の後悔になりそうだ・・・



90 : >>89
(;´Д⊂)


91 : なんか画面がぼやけて見えるよ…

92 : あげ

93 : 地震だいじょうぶかな

94 : 母ちゃんは俺が4つの時病気で死んだんだ。
ぼんやりと覚えてる事がひとつ。
公園でいつも遊んでた、夕方になるとみんなの母ちゃんが迎えにくるんだ。
うちの母ちゃんは入院生活が長くて、どうせ帰っても親父は仕事だし誰もいない。
暗くなってもよく公園にいたな、兄貴が部活終わって公園の前通って一緒に帰るのが日課だった。
その日も暗くなっても砂場で遊んでた。
そしたら俺を呼ぶ声が聞こえて母ちゃんが息切れしながら歩いてきた。
ママーママーって馬鹿みたいに叫んで走ったよ。
暗い中、ブランコに一緒に乗ろう、って母ちゃんが俺を膝に乗せてしばらくそうしてた。
その後何日かして病院で死んじまった。
後から親父に聞いたら、自分でも長くない事わかってたらしい。
あの時母ちゃんどんな気持ち抱えてたんだ?
どうしていつも病院にいるの?ってしつこく聞いてごめん。
辛かっただろう。
来年、俺彼女と結婚するよ。
母ちゃんの分も向こうのお袋さん大事にすっから。
長文スマソ。

95 : >>94
(⊃д`)・。・。泣いたよ
おまいさんの優しさは母さんゆずりなんだろうな
お嫁さんの親御さんにも優しくしてあげてね

96 : マジ泣いた(⊃д`)…
>>94
おまいはいい奴に違いない。うっ(⊃д`)

97 : >>94
(⊃д`)


98 : >>94の見て号泣しちゃったよ。
うちの母親も私が小5の時病気で死んじゃったんだ。
入院生活も長かった。
遠足とか運動会のお弁当はいつも父が作ってくれてた。
ママは病気だから仕方ないって頭ではわかってたつもりなんだけど。
みんなはママの手のこんだ可愛いお弁当でさ、
それが凄く羨ましくて3年生の遠足の時、朝父が作ったお弁当見て
「可愛くない!みんなはママが可愛いの作ってくれるのに私恥ずかしいよ!」って父に言っちゃった。
父は、ごめんって会社に行った。
ふてくされてたら洗面所にいた兄貴が飛んできて私をひっぱたいたんだよね。
「んなら遠足なんか行くな!」って。
ワーワー泣いて結局その日休んじゃった。
いつもより早く父が帰ってきて、こっそり覗いたら台所のテーブルで何か本見てる。
「こどもの喜ぶお弁当」みたいな本だった。
それ見たら自分がした事の酷さに又泣いた。
それから父が朝作ってくれたお弁当一緒に食べた。
「ごめんなさい」って言ったらちょっと父が涙ぐんでた。
ママにはこの日の事言えなかった。
病院で「遠足楽しかった?」って聞かれて「うん」って嘘ついた。
ママ、あの日パパに酷い事言ってごめんね。
嘘もついてごめん。

99 : >>98
ひっぱたかれたのは仕方ないにしても
(⊃д`) いい父上と兄貴だ。


100 : ■実に妙な母子関係だった。小6まで寝小便してたことが関係しているのか
も知れないが、お袋は気分次第で厳しかったり無かったりだった。 優しく
してもらった事は一度もなかったな。 小4の時、遠足先に手拭一本忘れて
帰ったら猛烈に怒られて、歩いて片道2時間の遠足先へ取りに行かされた。
 幸い、残っていたから持って帰れたけれど、「二度と忘れるな」で済まさ
れてしまった。 中一の時、小6の卒業制作で焼いた湯飲み茶碗を、何かの
些細な説教のついでに「こんな汚いモノ捨てて来い!」と家の横にあった池
に捨てさせられた。 長かった寝小便の代償は、寝る時のオシメ当てだった
。友達が泊まりに来た夜だってお構い無しの催促をされて、翌朝はチェック
に来る人だった。



101 : 新潟県中越地震に義援金の緊急募金を開始しました
バナークリックで1円の義援金を寄付できます。
http://bokinpark.com/


102 : なげぇっす。すいません。

 小3の頃、まだ母と一緒に風呂に入ってたときのこと。
 この時期僕は「ちんぽ」だの「肛門」だの下劣な言葉を非常に
好んでいたので、いつもの如く風呂の中でマリオの音程に合わせながら

「ちち、ちんぽぽっぽ。っぽ。ちんぽっぽ、ぽっぽっぽぽぽぽぽ」

 無邪気な笑顔で水鉄砲を打ちながら歌っていた。母はそれを聞いて、突然
「ねえ」とにんまりとした笑顔で「チンポマリオ」を歌ってる僕を呼びかけた。

「そんな汚い歌歌わないでさ、あのね…ひひひひひひひ」

 何か興味津々、みたいな非常ににやけた顔で僕の顔を見ながら言った。
いつもだったら軽く注意するのに…。かつてない笑顔と態度を現した母をかなり
不気味に思った僕は歌うことを止め、「な、何」と恐る恐る反応した。

「あのね、男の子のアソコって、ちんちんでしょう」
「う、うん」
「じゃあさ、女の子ね、あそこのことなんていうか知ってる?」
「え? ちんぽじゃないの?」
「違うよ。もう一つ呼び名があるのよ」

 なんと! もう一つ呼び名があるとな! 脳天に稲妻が落ちてきたかのような
強い衝撃を受け、その呼び名を早く知りたい一心で「えっ、な、なんなのそれそれそれ」
短時間でしつこく聞いた。

「えっとね、これ誰にも言ったらダメよ」
「うんうん!」
「女の子のちんちんは…」
「……」
「まんこって言うのよ」

103 :  まんこ……。なんだか光が世界に溢れ出したような、希望に満ちた素晴らしい言葉のように思えた。
東から太陽が昇る……日の出……そんな想像をした。

「まんこ!」 暗記するように呟いた。
「そう、まんこっていうんだけど、これ人に言っちゃだめよ。皆知らないからね」
「まんこ皆知らないの?!」
「うん」

 み、皆知らない。。。僕とお母さんだけが知ってる秘密の言葉ナノカア。
しかも女の子のちんちんの呼び方があっただなんて…。数分で数々の感動を与えて
くれた「まんこ。」 なんだか凄まじく嬉しくなり、風呂場で勢いよくこの喜びを抑えきれず体で表した。
つまり浴槽の中で暴れだしたのである。

「うひょーーーーーー! まんこー! まんこちんぽまんこちんぽまんこちんぽ!!」

 暴れながら大声で卑猥な言葉がこだまする。母は周囲が心配になったのか、「声が大きいよさっちゃん」
と注意した。だが狂気乱舞している僕の耳にはそんな蚊の鳴くような注意は全く入らず、ますます
叫びはヒートアップした。面白い! なんて面白い言葉なんだ、まんこって! もっと叫ぼう! まんこ!

「まんこおおおおおおおおおおおおおお!!!」

「黙れええええええええええええええええええ!!!」

 母は昔からキレやすい。注意を聞かない僕にキレた母は僕を浴槽に頭から抑え付け、
お湯の中でガボガボ溺れそうになっている僕の頭を水中でゴツゴツと叩きまくり、「愛の躾」をした。
僕は小さい時から体が弱く、この時点までに20回ほど入院経験がある。このショックで翌日、39度の高熱が出てしまった。
 母はハアハアと意識朦朧としている僕の看病をしながら、泣いて謝った。「ごめんね。私親失格よね」
高熱が出た今はそんなことなんてどうでもよく、食欲がなくて何も食べれないから僕の大好きな
棒キャンディのアイスクリームが食べたい、と頼んだ。すると母は泣きながら急いで買いに行き、ほんの十数分で戻ってきた。
「わあ」と視界が定まらない状態で棒型のアイスクリームをゆっくりと齧った。だが大好きな棒キャンデーの
アイスクリームも食べれず、「べえ」と吐き出し、あまりに自分が悲惨な状態だったので「うえぇぇええ」と泣き出した。
何も食べれずこのままだと死んじゃうかと思ったからだ。
 それを見て母は良心が更に傷ついたのか、「おおおおおお」とゾンビみたいな怖い泣き声を僕の枕元であげた。

―――馬鹿親子の悲しいおもいで。

104 : >>100
>「こんな汚いモノ捨てて来い!」と家の横にあった池
>に捨てさせられた。

お前の母親は人間失格だな。 年取っても知らんフリしろよ。

105 : >>28
>2日して、メールがきた。
>「悲しい思いをさせてごめん。あなたがママを嫌いでも、あなたはママたちの初めての子供だから、
>ママは可愛くて仕方ありません。だから、少しくらいはママのことも認めてほしいな。」

馬鹿な親ほど、息子や娘が大人になると、尻尾振ってくるもんだな。 俺の親もそう
だ。 でも時々本性が出るもんだよ。 マジで軽蔑する。 早くクタバって欲しい。
殺したいくらい憎いが、殺せば犯罪なので、ほっておく。 寂しい思いしながら、一人
で死んで欲しい。 

106 : カーチャンに「俺昔好きだった絵本何?」って訊いてみろ
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/ehon/1099102710/


107 : >>105
大変だったんだな… 色んな家庭環境があると思うんで、君を責める気には
なれない。

108 : 尊敬しているけど大嫌いです。。。
母は女手一つで3人育ててくれた。学校に合わせて土日休みの仕事で。そのことは
すごく感謝してるし、尊敬もしてる。 でも人間として大嫌い。とても自己中で
自分の事しか見えてない。結婚して上の子ができたと言ったら「どうするの?」
離婚するかもと言ったら「遠くに行ってね」孫より犬が大事。物やお金を
頼んでもいないのに持ってきて、「私はこんなにしてあげてるのに」って
泣いて電話をがちゃ切り。もういいかげんにして欲しい。。。おかげで今は
安定剤を飲む生活です。それでも苦労して育ててくれた母親だから、絶縁は
できなくて(T_T) 今は「義父のことで頭がいっぱいであんたにかまってる余裕は
ないわ」だって。。。それでも大好きです。お母さん。

109 : 4歳の時読んでたまことちゃんを没収されますた

110 : 私もブッチャケ母のことが嫌いです。 正直、私も母を殺したい位憎い。 私は
2人子どもがいるけど、自分が理不尽な事を言ったり又はしてないか、確認しながら
子育てをしてます。 自分の母のようになりたくないから。


111 :  家は共働きの弁当屋だった。 田舎から親爺と出てきて作った店だ。
高度成長期に乗り、巨大団地がひしめくなかに一軒だけあった弁当屋だ
近くに小学校が2つあり、もいらが通っていた頃は40人一クラスで6クラスあった。
運動会のときは、近所のお母さんたちが弁当に入れるための唐揚を
買いに来ていた。それはもう、半端じゃない量だった。

もいらは、小学生の運動会を両親が観に来てくれたことがない。
お昼のときだけ、疲れきった顔した母親が来て、一言もしゃべらず弁当を食べた。
食べ終わったら、帰ってしまう。

その後、アル中の親父のおかげで家庭崩壊し、母親は「お前たちさえいなければ
こんな家とっとと出て行ったのに」とか「この基地外、お前は父親そっくりだ」と
暴言を吐いて出て行った。

今なら、いろいろとわかるのだけれども・・・。
御免、どうしても好きとはいえないや。 
田舎で幸せに暮らしてください。

112 : おい‥なんだよこの良スレは(つД`)グスン

113 : 俺が幼稚園の時、軽い肺炎で3週間だけ入院したことがある。
その時母が退屈してる俺を見ておもちゃとかを買ってきてくれた。
でも俺はほとんどきに入らず、そのたびに「お母さんきらい!」とわめいた。
そしておもちゃにぼこぼこ当たり、しまいにはごみ箱にポイ。
俺が気に入らなかったおもちゃは母が持って帰ったがあとはどうしたかわからない
母はいつも「ごめんごめん、お母さんが悪かったね」と言っていた。
それでも母はほぼ毎日おもちゃを買ってきた。
3つだけ気に入ったおもちゃがあり、入院してた時は毎日それで遊んでいた。
でも小4になって部屋を整理してたら2つでてきて、捨てちゃった
最近、残りの1つのミニカーを見つけた。見た瞬間泣けた
そうしてここに書くにいたった。
今思えば自分はあんなに馬鹿だったんだと思う。母は優しかったな

114 : 馬鹿な息子でごめんよ。
やっと彼女ができたよ。
内弁慶で意地っ張り。
かわいくねーとこがあんたにそっくりだ。
不思議とあんたと比べてしまうよ。

苦労人だった母よ。
あっちでのんびりおしゃべりしててくれ。

115 : 俺は早くに実母を亡くした。物心もつかないうちに。

義理の母とは小さいときからいがみあってた。
小学校のときも中学校のときも高校のときも。
いつも文句母親にばっか言ってた。だってあいつは頭が悪いんだ。

世間の理屈なんて通じない。それまでの人生を田舎で生きてきたから。
母親にとっては狭い田舎の理屈が全てだった。

そんな態度に、なんで俺はこんなにまで理不尽を味わうんだ、ってずっと思ってた。
大学に入ってからも。

そして、数年前に俺は家を出て就職した。

そこで苦しい仕事をしながら、横目でいろんなパートさんをみたよ。
みんな元気に健気に頑張ってるんだ。

ふと、自分の母親のことを考えてみた。母親は田舎の論理で生きてきた。

それでもパートして稼いでいたんだ。
俺が気付いたときには、働いていた。苦しい世間の中で。
相当苦しかったんだろうな、って今になって思う。母親は生き方が下手糞だから。
きっとパート先でも苦しかったんだろう。それでも頑張ってたんだ。
家に帰っても、俺は話を聞かずただ反発するばかりで。

そんなことをふと思ったのが数年前。
それ以来、遅くなっちまったけど、母親を大事にしてるよ。
思い出は決していいものじゃない。悪い言葉も吐きまくった。

でも、これからだ。家を出てしまったけど、これからは家族だ。
しっかりした家族だ。
母親が死んだら泣くだろうし、母親が怪我したって聞いたら辛い。

そんな母も最近は、俺の携帯に電話してくれる。
遠くはなれて家族愛が育ったのかな、なんて思う。

その電話を隣で聞いてた彼女が言った。
「妹と話してるのかと思ったよ」

一人っ子だった俺だから、もちろんすぐに否定した。
でも、それもいいと思った。優しく、してあげるんだ。

母親は、俺が家を出てからもまだパートをしている。
職場でもいじめられるそうだ。

「やめちまえば」
っていう俺の問いかけに、

「3ヶ月もハローワークに通ったんだから」
って必死だ。 必死だ。凄いよ。

頑張れ。俺もあんたの息子として頑張って生きるよ。
思い出は、そうだ、これからだ。後悔したくない。
十分、苦しい思いをし合ったから、これからはどうか幸せな思いを。

116 : 結婚に対する価値観は、育った家庭環境によって変わる、というのが良く解るスレ
だね。
>>110
殺したい位憎い、というは「不謹慎かな」、とも思ったけど、本当に殺すわけじゃない
だろうし、実際世の中には本当に残虐な親もいるみたい。 俺には責められない。

実際死んで欲しくなるかも。 ある外国人が虐待についての自叙伝を書いたみたい
で、チョット読んだけど、途中で止めた。 余りにも悲惨だから。 でも、そんな人に
限って親を許しちゃうんだよね。 そんな酷い人間を許す必要はないと思うけど。

俺の前の彼女が自分の親について色んな酷い話をしてた。 だから、俺は「お前の母ち
ゃん、頭おかしいんじゃねーのか?」と言った。 すると彼女逆切れ、「確かにおかしい
けど、私の親なの!」 今でも俺は彼女を気の毒に思うし、彼女の親も頭おかしい、と
思うけど、やっぱ他人には言われたくないんだろうなぁ、と思う。 今でも彼女は母親
と暮らしてるらしい。 俺にはチョット理解できない。 世話してやりたいのかなぁ。

117 : ここ暫く母親の調子が悪く、昨日も臥せっていた。
今日は親父が仕事を休んで病院に連れて行った。
そんな時にこのスレッドを見つけて、とろとろと読んでいた。

段々と不安になってきて、全てを読む頃には涙腺が駄目になっていた。
自分には関係ないって思っていた事が不吉な想像となって襲ってきた。
そんな時に親父から携帯に電話。
「今終わったから、昼飯買って帰るなぁ。」
「お母さんは?」
「帰るけど?」

電話が終わってから、どうしようもなく泣いた。
本当によかったって思った。昼飯なんかどうでもいいから早く帰ってきて欲しい。
乱文失礼。頼まれていた部屋の掃除をしてこよう。

118 : >>117
よかったな(;つД`) 帰ってきたら食器の洗い物してあげてね

うちのお母さんも最近調子が悪い。
今日病院に行ったら入院を勧められたけど帰ってきたって。
健康な時は気付かない想いって、本当になるんだね・・・。

良スレage

119 : (;つД`)感動age
良スレだ

120 : 私の母はかなりの苦労人生だった・・父は母の友人と浮気し母を精神的に
追い込んだ上、離婚した・・
その後、周りの勧めで復縁したが父はすぐに酒のせいで肝硬変、そして死・・

その間、母は死に物狂いで父の病院代を稼ぎ出し(父は母に保険金を
遣りたくないとか入院前に解約・・)私たちを育ててくれた・・
私は普通高校を辞めて定時制に通いながら働いた・・母の助けが出来たのか?

ある日、夜中に母から起こされた・・『お金をくれないか?』
母はこんなに困っていたのか・・私はいつも渡す生活費に3万円上乗せして
渡した・・母は手を握り「ごめんね・・ごめんね」としか言わなかった・・

その年の五月のある日、母は自殺した・・死ぬ前に私に「いすが見つからない」
と私の部屋から借りたいすで首を吊った・・第一発見者は私・・

お葬式の日、花屋から母のために用意してあったカーネーションが届いた・・
母の後を追いたくなった・・でも、生きていて母の供養をしていきたい・・


121 : >>117>>118見て一言。
漏れの母ちゃんは漏れが12才の時病気で死んじゃったよ。
当時は親孝行なんて言葉すら頭になかった気がする。
できる事してやってくれな。
掃除だってゴミ出しだってなんでもいい。
母ちゃん喜ぶぞ。
【親孝行したい時には親はなし】ってほんとだから。

122 : 俺ってマザコンだったんだな…。今はかあちゃんと旅行いきたいし、いろんな話したい。
でもマザコンって全然はずかしくないよな?

123 : 2年前に脳梗塞で急逝した時、正直言って「ヤレヤレ、これでやっと
終わったか」と、やっかいな母親との関係のEndingを喜んでた。
 「寝小便するから」と小6まで夜のオムツを強制されたり、躁鬱の
鬱の時には「こんな汚いもの捨ててしまえ!」と小学校の卒業制作の
楽焼き湯飲みを家の前の池に捨てさせられたり、遠足先に忘れて来た
タオル一本を「今から取りに行って来い!」と追い返されたりしてた
子供時代のとらうまは、一生涯消えないだろう。 結婚後は露骨な嫁
苛めに癖癖したし、自分勝手な妄想で「あの子が盗んで行った」と妹
を悪る役に仕立てて愚痴っていた。 仕事の都合で引越しした時も
「親を捨てて行くなら行け! 餞別ぐらいしてやる」と、一万円札を
床に叩き付け来た。 女房子供の前でだぜ。 楽しい想い出などこれ
っぽっちも無かった。 


124 : お母さん僕は17歳で今単身イギリスにいるよー。
3人男の真ん中に生まれた僕は小さな時から静かで手のかからない子だったみたいだねー
大した病気もせず普通に小学校を卒業したけどお母さんの勧めで受験した中学に入ってから人生が変わったね。
校則が無いという事で髪を染めたりして教師に呼び出されたり
宿題をしないからと電話がかかってきたり・・・
そんな感じで学校では浮いてたみたいである日から突然本当に全校生徒からしかとされて
学校に行かなくなってから毎日喧嘩したね。
僕も必死に考えてさーけどまだ14だったでしょ? 辛かったんだよ。
けどお母さん毎日弁当作るからさー行かないわけに行かないでしょ? 学校に。
嫌々だったけど。帰ってからいつも不満言ってたけど。
高校はエスカレーター式で上がれたけど3分の1も学校行ってなかったし行く気なかったし
イギリス行きたかったから働こうと思ってってまた口論してたら
お母さんが「どうして頭の悪い○○(兄)が高校に行ってるのにあんたは学校に行かないの!?」
って怒ったね。 結構傷ついたよ。 勉強は好きなんだけど学校って楽しくてナンボでしょ?
楽しくないんだもん学校。 けど面倒だからタンカきって
「学校も仕事も両方すりゃーえんじゃろ!?」っていったけどねw
卒業式にお父さんが来ると思ってなかったからホントびっくりしたよ。 それが中学唯一の思い出。
っで夜間行きながら仕事探してて屠殺の仕事やるって云った時当たり前だけど猛烈に反対したよねー
でもお母さん「あんたがやるっていったらやるんやろ?やりないさ」って云って
そんでお父さん説得してくれたねー有難う。
仕事で切って指11針縫った時も足火傷したときも随分心配してたね。 当たり前だけど。
いつも許してくれたね。 色々。
イギリス行くから仕事やめるって云った時も勝手にしろって云ってくれたしさーお父さんはあたふたしてるのにw
こっち来てもう2ヶ月たったけどさー今もまだ心配してるんだろうね。 けど絶対態度にはださないよね。
僕も僕で家の事気になるけどでもこんなもんじゃないんだろうね。
いつも心配かけてごめん。今まで心配掛けてごめん。
帰ってもまだまだ心配掛けるけどでも見捨てないでね。
健康でいてね。 長生きしてね


125 : >>121
うん、ありがとう。このスレを見てますますお母さんを大切にしたくなったよ
でも今日市民病院から紹介状書かれて大学病院に行った・・・
今日から入院かもしれない

126 : >>120
切ないな。楽しかったことを思い出してガンガレ


127 : >>120
あなたはお母さんの忘れ形見
強く生きてね。ガンバレ!!

128 : お母さん歳とったなぁ
中学の夏休み、通りの向こうの方から日傘をさして歩いてくる姿が
今でも頭に焼き付いてる

129 : >>121
ありがとう。洗濯物をたたんだら喜んでくれた。
小さな事、色々やってみたい。
>>125
仮に入院ってなってもできる事はあると思う。
そうなっても過度に気落ちせず頑張って!

…さっき、「目が腫れぼったい」って言われたよ。
ひょっとしたら昨日泣いてたのばれてたのかも知れない。
俺の事なんか二の次三の次でいいから、早く全快して欲しい。
マザコンって言われても光栄だ(笑)。

130 : >>123はちょっとズレてるような。
トラウマとしてまだ苦しんでるならどっかでそんなようなスレ見たよ。

131 : >>125>>129もガンガレ!

132 : 小さい頃から喘息持ちだった
何時も寝ずに看病してくれた
でも苦しくて苦しくてついつい口にしてしまった
「死にたい、もう嫌だこんなに苦しいなら生きていたくない」
親は泣きながら怒った
「そんな言葉二度と口にしないで」
俺はそれからどんなに苦しくても二度と言わなかった
それから20年、俺も今や一児の父
「死にたい、もう嫌だこんなに苦しいなら生きていたくない」
でももう怒ってくれる人は居ない
息子の為にもう少しだけ頑張って生きてみよう

133 :  ∧_,,,,
 ( ´゚;;ω。) みなさん、食後のお茶でつよ。
 (つ旦と)  ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫
 と_;;;;)ω_;;)  旦 旦 旦 旦 旦 旦 旦


134 : 漏れは特に親を大切にしてきたわけでもなく、
親に大学まで行かせてもらってる。
両親共働き苦労してるよ。まぁ兄弟3人だしな。

毎年、漏れの誕生日には
2000円くらいのものではあるけどカーチャンがプレゼントくれるんだよな。
20歳の誕生日って、なんとなく区切りの歳だろ。
漏れ、逆に何かプレゼントしてやろうと思って一日かけて探した。
カーチャン、コーヒー飲むのが好きだから、
結局買ったのがコーヒーミル(コーヒー豆挽くやつ)とコーヒー豆。
まぁ、それでも二つあわせて4000円くらいだ。
我ながら良い物買ったなとか思ったよ。

いつもよりちょっと豪勢な晩御飯の時に例年通りプレゼントもらった。

漏れも照れくさかったけど、
「まぁとりあえず20年ありがとうということで・・・これ」
ってプレゼント渡したんだ。

そしたら不思議そうな顔して大粒の涙をこぼした・・・
今まで、馬鹿なことして泣かしたことは何度かあったけど、
喜んで泣いてもらったのは初めてだったな。
さすがに驚いた。こんなことでも泣いてくれるのかって。
逆に自分はこんなこともしてこなかったってことだよな。

今漏れは22歳、無事就職も決まって卒業を待つばかり。
これからはもう少しカーチャンを大切にしようと思う。
無償でこんなに大切にしてくれる親って、やっぱりすごいよな。


135 : 俺は19の頃、親の支配下におかれてるのがイヤなんだ!誰にもたよらず生きてみせる、
と両親に宣言して生まれた街を遠く離れた。
快適な一人暮らしのはずが、1年もしないうちに金に困り、実家に電話をして、
「悪いけど少し金が欲しい」と言ったら、しょうがないという感じで金を送ってくれた。
俺はなんて事をしてしまったんだと思った。散々反抗して家を出たのにこのザマかと。
その夜くやしくて泣いた。
その後、なんとか生活できるようになり、車を買う事にした。
しかし、ローン組むのに保証人がいるという事になり、母親に相談したら、
「ローンはだめだ。お金貸すから一括で払ってしまいなさい。
その代わり毎月2万円お前の口座から差し引く事にする。通帳は預かっておくから」
俺はとりあえず納得して通帳を母親に預け、振り込まれる給料からカードだけで
お金おろしたりして生活してた。
それから1年ほど経って実家に遊びに行った時、自分の通帳を見つけたので
なにげに見てみると、月々2万円引かれているはずが、引かれている形跡がまったくなかった。
6年たった今もその車を乗り回しているがそれは母が(父かもしれない)買ってくれた
事になる。
俺は今、歳老いた両親になにも恩返し出来ないでいる自分が情けなく思う。
そして俺は生涯母親の偉大さを乗り越える事は出来ないんだろうなとも思う。
どこにでもある様な話かもしれん。親ならそのぐらいの事して当たり前と言う人も
たぶんいるだろう。しかし、そのぐらいの事してくれるの親しかいないんだよな。

たまに電話とか会うといまだに母は説教ばっかりしてきやがる。
冗談じゃねぇ、あんたにぁ負けねぇからな!

136 : 134 .135 良い話しだな。涙流しながら読んだよ。これからもガンガレ。

137 : 2ちゃんねるにもこんなに良い場所あったんだな、


138 : かあちゃんごめん

139 : かあちゃん棍棒でしつこいくらい殴り続けたりしてごめん

140 : 139
謝ってこいよ(´・ω・`)

141 : 。・゚・(ノД`)・゚・。

142 : かあちゃん怒ってないよ
バカな子程かわいいんだよ本当は

143 : このスレ最高。

144 : age

145 : 親父が借金作ったと同時に女も作って行方知らず。
私と弟はまだ小さい。借金取りの取立てにも耐えながら、朝は新聞配達、昼は事務員
夜は内職と、休む暇がなかった。私はそんな母親を見ながら育った。甘えられなかった。
親父と正式離婚したとき、それまで気丈だった母が私の前で泣いた。私が母と同じ
立場だったら、こんなに気丈にできるだろうか。がんばれるだろうか。
多分無理だろう・・・・・。
本当に貧乏だったよね。お母さん。5千円札しかなくって、どうしようもなかったよね。
1個のラーメン3人で食べたり(1杯の掛けそばのパクリじゃないですよ)
隣のおばちゃんがおかず持ってきてくれたりね・・・・。
内職していた、ひな人形の扇の色塗り手伝いしたり、
家賃半年滞納したよね。電話は切られたよね。なんでこんなに貧乏なんだろうって思った。
でもお母さんが親権とってくれてよかったよ。
でもさ〜末期がんにはなるわ。再婚相手の親父には先立たれるわ。そしてガン再発するわ・・・。
私が脳梗塞になるわ。でも、お母さんとはこれからも、まだまだ思い出ができそうですね!




146 : 良い話も稀にあるけど、殆どが虐待親の話じゃないか… 感動してる奴もいるけど、
私には理解できない。 

「こんな酷い親だったけど、許すよ」みたいな話ばっかり。 バカらしい。

147 : 146 それを言っちっあおしまいよ。 あんた人情てえもんが分かんねえのかよ。

148 : age

149 :
      , -――‐―‐ 、
      /         ヽ
    /         、、、 ヽ
    i  i /"ヽ,   、 ゛゛゛  l
   ノ 人( ヽ l从l i )     |
   〈  | ̄`‐´ ̄| ̄レ' r 、 〈
    .\i、__/~ゝ、_|__人i | / /  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     | 〈-,      |ノ「" 〈 <  >>146 之が若さか・・・
     λ ―-  irー┴、  L_  \________
      ヽ. ゛  ‖   ζ (
    r--┴┬‐´|| 〔 ̄i ゛Y
    ヾ  「'-―'》  ̄-=┴i
     》 |ノ   〃 〃´ `ー- ̄゛`

150 : 小学校高学年の夏だったかな?
親の部屋へ何かの理由で行ったとき、ベットで寝ている母が、
暑かったのか足を立てていたんだよね。
そのときにタオル地?みたいな青いパンツでさ、薄暗い中で
それを見るのが妙にいやらしかった。
でも俺はまだ精通もしていない頃なので、オナニーもせず、
何だか知らないけどドキドキしていた。

次の日、頑張って起きてまた深夜に忍び込んだ。
すると今度は肌掛けを腹のところまでまくっていて、
ネグリジェ(懐かしい)みたいなのも上に来ていて下着が
丸見え。そのときはツルツルの白いパンティ。
うっすらと陰毛が透けているんだ。
何と言うか前日のモヤモヤもあってか、股間まで顔を
持っていって、そのまま唇をそっと当てた。
起きないかどうかビクビクしていたんだけど、熟睡していた
から、匂いをかいで見たりしてた。
そのときの俺の細いティンコはビンビンだった

今思えば何であんなことをしたんだろうと思うが、当時は
それがエロいというよりもいけないことみたいな印象があって、
しばらく罪悪感に苛まれ、普段、かなりいい子にしてたなw



151 : >>146
( ゚Д゚)
⊃≡☆>> Д´)パァン!

無神経な事わざわざ言いにくるな!

152 : 酔って居間で寝ていた母のスカートをめくり、パンティを盗み見した中2の夏。

153 : >>152
見るなよ(w

154 : ここでつか。母親のエロい思いでを語るスレは

155 : >>146
施設育ちで母親に接する機会がなかったんだねw

156 : 母子家庭で、母親とふたりで小さいアパートに住んでいた。同じ部屋に布団を並べて寝
ていた。真夜中、熱帯夜で寝苦しく目を覚ました俺は、なにげなく隣で寝ている母に眼を
向けた。タンクトップにホットパンツ。体をくの字に曲げ、大きなお尻をこちらに向けている。
なぜか、そのとき俺は母の体に眼を奪われてしまった。ゆっくりと顔を母の尻に近づける。
興奮と緊張。母は寝息をたて、気持ちと良さそうに眠っている。母の尻と俺の鼻先の距離は
わずか3センチ。息を吸いこむ。甘い体臭が漂う。俺はその場でしごきたっかたが、さすがに
バレると思い、トイレに向かった。その日から、深夜に眼が覚めると、母の尻や腋、股間に
顔を近づけ匂いを嗅ぐようになった。洗濯籠の中から母のパンティを持ち出し、匂いを嗅ぐ
ようになった。ベージュや白の地味なパンティがほとんどだった。自分の変態行動に
罪悪感もあり、何度もやめようと思ったが、その気持ちとは裏腹に行動はエスカレート
していった。母が眠っている横で、母の顔や体を見ながら、母のパンティの匂いを
嗅ぐようになった。もちろん、その状態でオナニーもした。スリル満点だった。


157 : 中3ぐらいにパンツに目覚めて、妹のでこいてたらそっこーで親バレ。
「よその家の盗んだりしてないよね!?」って散々といつめられ、
それはない!って断固抗議した(1回やってたけど)
結局妹のは自由にしていいから、よそのは盗むなってことにされた。
妹は泣きまくって渋々了解させられたようだ。
それからというもの、度々部屋を強制捜査されるは、妹には口きいてもらえなくなるわで肩身せまかった。
妹はフロあがると、おれの部屋の入り口から向こう側の壁に届くくらいの勢いでパンツぶんなげて
入り口をバーンって閉めていってた。
今思うと一番かわいそうなのは妹だったな。ごめんなこんな兄貴で。
でも、今当時をふりかえると天国だったんだけど、そのときはかなり情けなかったよ。
”お兄ちゃんに彼女ができるまでね”という契約?が母とかわされたようなので、
パンツ投げ込みながら「兄貴、いつ彼女できんだよ!」とか罵られたり・・・ これは結構効いたな。
「しかたねーだろ!(受験で)忙しいんだから!」とか虚しく答えながら、パンツを拾う俺w




158 : ここはエロい思い出を語るスレに変わりますた

159 :
いま、41歳の専業主婦とつきあってます。
普通のまじめなお母さんていう感じのひとなんだけど、
高校1年の息子がいるんで冗談めかして聞いたことがあるんだ
「息子にお母さんとしたいって言われたらどうする?」って。
そしたら、しばらく考えてから
「わたし多分断れないと思うな、あなたは考えたことある?」と切り替えされた。
それからしばらくこの話題で盛り上がって色々聞いたんで
興味があるひとがいるようなら、また書きます。




160 : 159 出会いのきっかけは? 詳細キボン

161 : やばいっす!俺16なんですが、友達のお母さんの乳首見て
興奮してしまいました。そのお母さんは33才っす。
この間朝に友達迎えに行ったらそのお母さんがドアを開けて
パジャマの中からモロ、大きな乳首が覗けました・・・。
以来毎朝迎えに行っては2回に1回は見れるんです・・・。
この時期だけかもしれないけど、とうとうその乳首想像して
オナニーしちゃいました。友達に申し訳ないっすね・・・。


162 : 狙っていた母親とエッチできた時の気持ちはたまらないだろうなぁ…そんな幸福感を味わったひと体験談を教えてください。


163 : 母親のパンティいい匂い。やめられない。
43歳なのにTバックなんか穿いてる。

164 : そんなんでエッチしてもし子供なんかできちゃったらペタジーニみたいになっちゃうよ。


165 : せっかくの良スレがこうばしくなってきたな('A`)

そんな喪前らに
http://idol.bbspink.com/test/read.cgi/ascii2d/1098616137/

166 : >>162
「すいませ〜ん、JR東口ってどう行くんですかあ?」←ドラマはココから始まった。

167 : ↑間違えた。>>162じゃなくて、

>>160
「すいませ〜ん、JR東口ってどう行くんですかあ?」←ドラマはココから始まった。

168 : 厨壱の冬休みに母(当時34歳)が風邪で寝込んでしまったときに
座薬を入れてほしいって頼まれたんだ。
当時まだ母と一緒に風呂入っていたので裸は見慣れていたけど
母が四つんばいになってお尻を突き出してきた時
丸見えのアナル、茶褐色のビラビラマンコが目に入ってきて
今までにない萌えを感じた。座薬を入れ終わると
マンコをマジマジ見つめてしまい母から『いやーねもう』
結局触ることもなく終わった青春の1ページだった。

169 : これってある意味「やりたい」っていう意思表示だよな。

170 : キモい

171 : そ〜ゆ〜事を語るスレではあるまい

172 : そ〜ゆ〜事が彼らの思い出なんだよ。
このスレは↓

母親との思い出

1 :大人になった名無しさん :03/11/30 20:01
まだ、自分が幼かった頃は、
ただうるさかったり、ダサかったり、邪魔だなぁと思ってたけど、
何もかも無償で自分を受け入れてくれたのは母親だけだったよね。

そんな母、お母さん、かあちゃん、ママンとの思い出、感謝、反省を語るスレです。


その中のママンとの思い出が丁度噴出したんだろ。
今はその項目を語ってんだからいいんじゃないの。

俺は人それぞれ、色々な人生や環境が有って
思い出も型にはまった物じゃないと思うから面白いと思ってる。

これだけカキコを呼んだのは多分高度成長期以来、生活も
豊かになって色々なライフスタイルの家庭が出て来た
その産物だと思うんだが。

今まで表には決して出て来なかったタブーな思い出を持つ人だって
当然いるだろ。色んな親子関係が有るんだよ。

173 : 漏れは今埼玉に住んでいる
今年63になるお袋は北海道だ
今のところ年に二回くらいの割合でこっちが行ったり向こうから来たり
日本人の平均寿命が約85歳だから・・・と考えるとお袋の残りの人生は22年
そう考えると、あと40回くらいしか顔見れないんだなぁ


174 : 気持ちいいけど罪悪感が沸いてくる
でもひょんな時にムラムラが現れると
してしまう そして後悔 これの繰り返し
一度やると獣のようにやりまくると
思ってたけどそうでもなかった
正直 止めたいと思う でも・・・。


175 : >>173さん
きっと30〜40代の方だと思われます。
これからももお母様を大切にしてあげて下さい。亀レス 、 スマソ

176 : 母には、精神的に酷く虐待された。
テストは100点とって当たり前。99点以下だと怒られた。
クラスで一番いい点をとっても、100点以外は無意味だと言われた。
私と仲の良かった友達や好きだった先生のことも、必ず欠点を
探しては批判した。

私が誰かに惹かれたり好きになったりするのが許せなかったようで、
心から信頼する恋人が出来て、目の前で親しげに会話していたら、
あてつけに自殺未遂された。

極めつけは、子宮ガンになった時。
ちょうど子ども時代の怒りが募っていた時期で、「20歳の頃、本気で
子宮摘出手術を考えていた。あなたに愛されなかった私には、子どもの
愛し方が分からない。子どもを生んでしまったら虐待しそうな気がして、
そうならないように子宮を取ろうと考えていた」と言ってやったら、
「サッサととれば、子宮ガンにならなかったのに」と冷笑された。

お陰さまで、子宮はとらずにすみましたが、子どもは持たない人生を
選びました。虐待の連鎖はもう沢山。
少女時代に実兄に犯され、苦しみ抜いたあなたを気の毒には思うけど、
だからといって、娘を虐待し追い詰めたことが許される訳ではない。

177 : >>176
すごく考えさせられました。いや、今も考えてます。
人それぞれの人生があるんだよと簡単にかたずけられるものでは
ないですよね。

178 : >>176ほかの馬鹿
漏れはそんな話読みにこのスレに来てるんじゃねーよ!
母親に虐待スレでもたててそっちでやれ。

179 : このスレは↓

母親との思い出

1 :大人になった名無しさん :03/11/30 20:01
まだ、自分が幼かった頃は、
ただうるさかったり、ダサかったり、邪魔だなぁと思ってたけど、
何もかも無償で自分を受け入れてくれたのは母親だけだったよね。

そんな母、お母さん、かあちゃん、ママンとの思い出、感謝、反省を語るスレです。

180 : >>178
その手のヤシは、母との楽しい思い出や優しい思い出を語る人間が許せないんだよ。
自分が不幸だったからって、無関係の人間の心まで凍らせることないのにな。
今後ともイヤガラセのように書き込むこと間違いなし。やだやだ。

181 : まああれも、思い出っちゃ思い出なんじゃ?
つか、2chで言論統制できるものでもあるまい。

182 : >>178
何だお前。
お前がどっかいけ

183 : >>178
あなたは良い親もって幸せなんだろうな。 良い家庭で育って、優しい心
も育んだだろう。だったらそうでない人達(虐待を受けた人達など)の事も
理解するように勤めるべきではないだろうか。

そうでなければ、優しく接してきたあなたの親御さんの努力も報われな
いだろう。 考え方の違う人達や悲惨な生活をしてきた人達を罵倒してい
ては、あなたの親御さんは悲しむよ。


184 : このスレは↓

母親との思い出

1 :大人になった名無しさん :03/11/30 20:01
まだ、自分が幼かった頃は、
ただうるさかったり、ダサかったり、邪魔だなぁと思ってたけど、
何もかも無償で自分を受け入れてくれたのは母親だけだったよね。

そんな母、お母さん、かあちゃん、ママンとの思い出、感謝、反省を語るスレです。

185 : >>184
あなたは良い親もって幸せなんだろうな。 良い家庭で育って、優しい心
も育んだだろう。だったらそうでない人達(虐待を受けた人達など)の事も
理解するように勤めるべきではないだろうか。

そうでなければ、優しく接してきたあなたの親御さんの努力も報われな
いだろう。 考え方の違う人達や悲惨な生活をしてきた人達を罵倒してい
ては、あなたの親御さんは悲しむよ。

186 : >>184
「反省」を語る、というなら「親に反省してもらう」、とも取れるな。

187 : 突然糞スレ化してきたな。
ネガティブ話ってやっぱスレを腐らせるね。

188 : >>187
お前が黙ってれば、何も問題ないわけですがw

189 : >>185
それはそういうスレ「母親への憎しみ、罵倒(仮)」
みたいなところで言うべき。
このスレはマタ〜リ系なんだよ。批判は他スレでしてくれ。

どっちにしろ君のカキコはこのスレの主旨とは違う。
スレ違いだよ。


190 : >>189
あなたは良い親もって幸せなんだろうな。 良い家庭で育って、優しい心
も育んだだろう。だったらそうでない人達(虐待を受けた人達など)の事も
理解するように勤めるべきではないだろうか。

そうでなければ、優しく接してきたあなたの親御さんの努力も報われな
いだろう。 考え方の違う人達や悲惨な生活をしてきた人達を罵倒してい
ては、あなたの親御さんは悲しむよ。

191 : 単なるキモい「マザコン」スレから、まともなスレになりつつありますね。


192 : >>185>>189
親には、感謝できる面と、感謝できない面があるね。 でも、ここの書き
込みを見ると私はまだ恵まれた方かもしれない。 虐待された覚えはない
し…
私は「虐待の話」をここで聞くことは大事だと思うよ。 すれ違いでもない
と思うし。 

193 : >>190は煽りネタ

194 : もう、このキモい「マザコン」スレ。 そろそろ終わりにしない? 

195 : >>194
母親が蒸発して片親だからって、そう僻むな。

196 : 男はみんなマザコンなんだぜ?

197 : >>195
母無し子はマザコンになりやすいみたいだね。 マザコンのあなたは
いかがかしら?


198 : ていうか、母無しだったらマザコンになりようがないのでは?
母への憧れもマザコンというのか?

199 : >>197

中卒

200 : >>198
勉強しなさい。

201 : >>176>>177>>183>>185>>190

↑こういうお呼びでない連中(一部同一人物)が来ると板が荒れる。
出て行ってくれ。スレ違いだ。

202 : もう、このキモい「マザコン」スレ。 そろそろ終わりにしない?

203 : >>202
お前が勝手にこのスレに来ただけじゃんか。
自分のスレみたいな生意気な口聞くな。
さっさと消えろ。
ホントに招かれざる香具師だ。

204 : スルーできんのか?
相手にするから調子に乗る。

205 : もう、このキモい「マザコン」スレ。 そろそろ終わりにしない?


206 : >>205
お前が勝手にこのスレに来ただけじゃんか。
自分のスレみたいな生意気な口聞くな。
さっさと消えろ。
ホントに招かれざる香具師だ。

207 : 小学生4年生の時。学校で禁止されていたゲームセンターにすごい興味を持ち。友達と行った。
そこで初めてプレイしたパックランドってゲームがすごい面白く自分は一発でハマった。
しかし、当時の小遣いは週200円で、お菓子を買ったらゲームに使うお金は無い。。。
そこで悪知恵を絞り、何度かカーチャンの財布から1000円を抜き取り(ウチの地域で言う所の”ばばせん”)、その度に友だちとゲーセンに通っていた。
しばしばお金が減っている筈のにカーチャンの反応がなかったので、バカな自分は次第にエスカレートして、一度だけ10000円を盗んだ。
そのお金を持って1人でゲーセンに向かいパックランドを熱心にプレイしていると突然背後から「上手いわね…。」と聞き覚えのある声がして背中が凍りついた。振り向かなくてもカーチャンだとわかった。。。もうゲームどころではなく、ただただ逃げたかった。泣きたかった。
当然地獄が待っていた。
全て見透かされていた事に気付き、ばばせんとゲーセン通いを止めた。

いまでもパックマンを見るとドキッとする。


こんな思い出しかなくてスマソ。。。

余談ですが幸いカーチャンは現在も生きておりまつ。

208 : 婆専ワロタ

209 : >>208
( ´゚д゚`)えーーー
と思いググって見たら「婆専」と「馬場先生」ばかり・・・。

○| ̄|_




210 : 思わず涙する話キボン

211 : 僕は、8歳の時母を亡くしました。
とても優しい母でした。
大阪来て、初めて田舎帰って、墓参り行った次の朝
朝方、夢に出てきてくれて
元気でなって言ってくれました。

212 : 俺、お袋がタンスにバイブ入れてた時はお袋も女なんだと思った。
ニンジンの形してて、一見するとそれとはわからないんだけど、
多分一種の保険みたいなものだな。その事件をきっかけに女性の性欲 
に対してすごくオープンな見解が出来る様になった気がするね。
あまり嫌悪感とかは無くて、あ、そういうもんなんだなと。みなさんも
もっとは図化しがらズにいえばいいと思う。悪い事なんかじゃないんだからさ


213 : ■2年前に脳梗塞で倒れて2カ月後に逝ってしまったが、正直言って涙が出なかった。 
■褒めることよりも叱ることが多かったし、不幸にして寝小便癖があったばっかりに
 ほかの兄妹たちと差別されていた母子関係は、最後まで変わらなかった。
■「お前は、橋の下で拾ってきた子だ」とまで言われたのが、死ぬまで忘れられない
 トラウマになっている。


214 : 荒らしが増えたな・・・

215 : 恨みとか憎しみみたいな楽しく無い事は書くナヨ。
ここはそんな陰質なスレじゃなかろうに・・・
親から虐待とか差別されたとか嫌な思いしたのなら
そういうスレで書き込んでほしい。
何ていうか急に暗い気持ちになって、悲しくなったよ。

216 : まだ母親と一緒に入浴していた小学生の時、風呂場で母の尻を思いきり左右に
開いたりして遊んでた。
「なにするのよ、もう」と恥ずかしそうに言う母。俺は母のでかい尻が好きで、
顔面を尻の割れ目に埋めたりしてた。

あのころに戻りたい。






217 : いい思い出だな。

218 :あぼーん

219 : 小学3年くらいのとき、
母が歯の治療のため歯医者に行くのを一緒についていった。
治療がけっこう長い時間になるというので
母と一緒に俺も治療室の中に入れてもらえたんだが、
口を大きく開かされた状態のまま何かの器具で固定され、
歯の治療を受けている母が時折あげる
「んがっ・・・」「あががっ・・・」「むがっ」って感じの呻き声に
理由はよく分からないがたまらなく興奮してしまい
まだ幼かったチンポが勃起してしまったのを覚えている。
そして、治療中に何か刺激が加わったっぽいときに
幾度となく母の足の指が動いたり反り返ったりするのを見て
これまた理由はよく分からないが興奮度がさらに上昇。
パンストに包まれたその時の母の足のつま先が
妙に艶めかしく感じられたことも今でもハッキリ覚えている。

220 : ID出ないと糞スレになっちゃうな

221 : 父が逝ってから急速に老いて次第に呆けていった母。
その母の介護にキリキリと目を吊り上げていた自分。
正直しんどかった。自分なりには精一杯だった。
その母が逝ったとき、介護に取られていた時間がすっぽりと空になり
さりとてどうしていいのかわからず空虚に過ごしていた。
一年経った今、色々な事を思い出す。
優しかった笑顔やあたたかかったその手。
大切だった父を亡くしてショックで老いてしまうほどだった母の心をなぜもっと理解して優しくしてあげられなかったのだろう。
しっかりしろと叱ってばかリいたわたし。
あーあー、もういちど母の作ってくれたご飯が食べたい。
わたしの作るものと味が違うんだよ。もっと優しい味なんだよ。
あー、もう一度でいいから母の笑顔が見たい。
いつだって笑ってくれてたじゃん。わたし怒ってばかりだもん。
あんなにたくさんの優しさで包んで育ててもらって、わたしの優しさってこんなもんですか?
あんなに大事に育ててもらって、わたしって言う人間はこんなもんですか?
もういちど生まれなおして母に育ててもらいたい。
そしてこんどはもっともっと優しく母を看たい。
わたしの思いがもしも届くならば、こんな娘でごめんなさい。
それでも次に生まれるときもあなたの娘にしてください。
聞こえますか?もう一度会いたい。

222 : >>221
久々にいい話をありがとう。
貴方の母上はきっと許してくれていると思います。

223 : >>222
禿同!

224 : いつもありがとうって言いたいけど、なんか恥ずかしくて言えない。
でも、いつもありがとうって思ってます。

225 : >>224
僕も普段は口に出して言えないので、
年に一回誕生日に、すごく照れくさいけれど、手紙を書いています。

226 : >>221
ウイルス性胃腸炎でゲロ吐くわ、眠った途端に水下痢漏らすわで大変だけど
あんたの話で泣きそうになったやんか!
おいらも胃腸が弱くて、ガキの頃からしょっちゅうお腹壊してたけど
「あんたはいつも食べ過ぎや!」と怒りながらも汚物まみれの下着や
衣服を汚そうにもせずに、洗ってくれてありがとう。

227 : ageてみる

228 : 私が子供の頃の母は躾の厳しい人だった。
いたずらすると、箒で叩かれたりした。逃げると箒を振りながら家の外まで追いかけてきた。

そんな母も歳老いて、父に先立たれ、近所に一人暮らし。
足腰が弱り一人で買い物に行けないので、休日に半日かけて買い物につき合う。

買い物の車の中での会話は、母の若い頃の話。
戦中、戦後の厳しい時代の話。
母の自慢は、五人の子供を産んで、皆、所帯を持つまで育てた事。

そんな母に感謝しながら少しでも長生きしてほしいと思う気持ちで一杯です。
私も高校生の息子がいて子育て奮闘中です。



229 :


230 : たとえ父親が死んだとしても泣かないだろうけど
母親が死んでしまったら、大泣きするだろうな・・・。

231 : 虐待されたとか、トラウマ話もあってもいいと思う。
ひどい親なのに許せてる人の話や、本当にいいお母さんだった人の話はもちろん感動するんだけど、
「母親との思い出」って人それぞれで、自分の母親はやっぱりどんなであっても、
その人しかいないってことがある意味わかるから。

私の母親は、30過ぎで私を産んでて今ではそんなの普通だけど、
当時は高齢母の部類だった。
それだけだったら、たぶん気にならなかったんだろうけど、
私の思春期と彼女の更年期が重なってしまい、
反抗期なのに反抗できずひたすら涙を殺し耐える娘とヒステリーを連発する母という構造になってしまった。
幼い頃は、ほぼ着せ替え人形扱いだったし、手作りの品満載で恥ずかしかった。
それが、愛情だとは思ってたけど、でも恥ずかしかった。

自分が、私にどれだけ愛情をかけたのかとか、苦労したのかとか(しかも結局自己満足の世界)の自分マンセー劇場の
主人公になって、私を辟易させた。
これは、私が子供を産む前はありがたい話として受け入れることが出来ていたのだが、
子供を産んだあとは「それって当然って言うか、そのことを苦労とか、感謝シル!とか子供に言っちゃうんだ・・・サイテー」
となってしまって。子を持って知る親の気持ちの逆バージョン。

彼女がようやく、子離れしたのか少し距離をとってくれるようになった今、
それらのことを、幼い頃のことはありがたく思い、
苦労し等のことは彼女なりにがんばってくれたのだと思えるようになった。
反面、思春期ごろのことはいまだに許せないというか、もやもやする部分もあって・・・
死んでしまってから。・゚・(ノД`)・゚・。みたく思うようになるのか、
それとも、許せないままなのか・・・
死んでから後悔するなら、今のうちにこのもやもやがなくなればいいのに。

そう思うと、いろんな話を聞けるの悪くないと思うんだけど。


232 : おまいらマザコン?

母親死んでも、眉一つ動かさない自信があるぞ、俺は。

233 : >>232
かわいそうだね

234 : うちの母さんは1年くらい前に亡くなったけど、
正直それまではほとんど何とも思ってなかった。
脳腫瘍で、3年くらいかかって段々赤子みたいになって最後は肺炎。
運ばれる前まで家にいたけど会話なんて当然できない。歩くこともできない。
それでも俺は殆ど泣かなかったし、世話もウザくて婆さんに任せてた。
けど・・・バカだったよ
やっぱりいつも俺を育ててくれたのは母さんだった
居なくなって半年くらいして、色々思い出してやっとわかったよ
ガキの頃、一人で眠るのが怖くて寝るまで居てくれたこと
親父と喧嘩して殴られたとき、まもってくれたこと
精神病で学校に居られなくて、会社から毎日迎えにきてくれたこと
思えば脳腫瘍に掛かったのだって、俺が迷惑かけてばかりだったってのも理由の一つだろう
ストレスなるような事ばっかりしてたもんな
当時の俺、そんなことは何一つ思ってなかった
入院してて会えなくて、遠いからって理由で会いにいかなかった
家に帰ってきても、話が通じなくて何もしてやらなかった
もう、なにもできないんだよな・・・
どうやって纏めたらいいかわからなくなっちまったんで
ここで荒らしてる人たち、荒らしてもいい
でも1回荒らしたらオマイの母さんや、身内に何かひとつでもいいから感謝してくれないか
俺みたいにいなくなってからじゃ遅いんだよ
母さん嫌いな奴も確かにいるかもしれんが、オマイの母は世界に一人しかいないんだ
読んでくれてthx

235 : >>234 オカン、わかってるよ。どんな子だって可愛いんだよ、親ってさ。
おまいもオカンがあるべき姿じゃないのを認めるのが悔しかったんだろうさ。
いいんだよ。何十年かしたらまたあっちの世界でオカンがニコニコ待っててくれるからさ。
その時まではオカンが大事に大事に育ててくれたおまいの人生をしっかり歩め。
おまいはオカンの宝物なんだからさ。泣くな。がんがれ。

236 : ageときます。

237 : あの日、あなたに氏ねと言った、あの日の自分を殺したい。

238 : 幼稚園に入園する少し前。母さんが子宮外妊娠で入院した。
その頃の私は何故母さんが入院してるのかも分からなくて毎日のように
「入園式は絶対来て」
と何度も繰り返し言っていた。
母さんは入園式に青ざめた顔で来てくれた。
手術してまだ2日しか経っていなかったのに。
でも10年くらいして。
私はつい言ってしまった。
「兄弟が欲しかった。無理にでも産んで欲しかった」って。
母さんはとても悲しそうな顔してた。
父さんに殴られた。
私まだ子供だったね。
産んだら母さん死んでたんだよね。
ごめん。本当にごめん。

239 : http://www.waraiseek.jp/flash/f000/1098938408.php

240 : 喧嘩になり、新婚の記念に買った電気スタンド?みたいなものを叩き割った。
キレた母はおれの頭を物置を開けるための棒で殴った。

気がついたら病院で寝てた。


育ててくれたことはすごく感謝してるけどいい思い出ってないんだよなぁ・・・。

241 : (つA`)ゥゥ・・。
お母さんいろいろ馬鹿なこと
吐き捨ててごめんよ・・・。
お父さん単身赴任でなかなか家族全員
でいられることは少なくなったが
長生きしてくれ・・・・。
貴方の元で育ったとゆう幸せ、
いつかこの家を離れる時が来てもずっと忘れんよ・・・。
乱文失礼致しました。

242 : >>232
オマイさんに何があったのかは知らないが、
口にしない方がいい事も世の中にはある、オマイさんの為にそう思うのだが。

まあ、あれだ。ガンガレよ。

243 : 幼稚園、小学校、高校と学校でイジメにあうもずっと放ったらかし
にしてくれたお母さん。
言う事を聞かないと、あなたはよく「戸塚ヨットスクールに入れる
ぞ!」と脅してくれましたね。
俺が肥満のように太っていた時期もありましたが、「相撲の部屋か
らスカウトが来て、無理矢理連れていかれるよ!」と、何を意図し
て言ったかはよく分かりませんが、そんな言葉もしっかりと胸に刻
まれています。

そんな度に俺は神社に行きました。
「神様、戸塚ヨットスクールにいれられませんように!!」
「神様、相撲部屋に入れられませんように!!」

そう言えば、流れ星にもお願いしようともしました。しかし、お星様
が流れるのは早過ぎて、無理でした。

お母さん、俺、今年で32になります。
あなたには一生、会いません。
どうぞ勝手に生きるなり死ぬなりして下さい。
p.s
俺もこのスレに登場するような優しいカアチャンが欲しかったです。
正直、皆が羨ましい。

244 : 「思い出」じゃないけどスマソ。

お母さん、あなたが私に地元で就職してほしいってことは、言わなくてもよくわかってる。
私に気を使って「帰ってきて」って言えないのわかってるよ。
でもね、私には夢があるんだ。でっかいでっかい夢があるんだ。
今は自分がどこまでできるか試したい。夢、叶えたいんだ。
こっちに来てあなたの大切さ、すごく感じてるし、時には寂しくなって「帰りたい」って思うこともある。
でも負けたくない。挑戦したい。
ごめんね、お母さん。さびしい思いさせちゃって、ごめんね。
あなたの涙の分、私頑張ります。どうか見守っててください。
いつの日か、夢叶えて実家に帰った時は、また一緒にシチュー作ろうね。

245 : u


246 : 両親が離婚して母さんが出て行った。捨てられた気がして悲しくて一晩中涙がでて眠れなかった。
でも1ヶ月もたてば母さんのいない生活にも慣れて「別に普通じゃん。母さんがいなくても何とかやってける。」って思った。
夏休みに母さんに会いに行った。帰り際はやっぱり悲しくて「絶対に泣かない」って思ってたのに涙が止まらなくて駅のホームで流れていく景色の中、母さんの姿を追った。
学校で母さんの話題がでて久しぶりに電話をしてみた。母さんの声聞いたら涙が止まらなくてうまく話せなくて困った。
やっぱり母さんってとっても暖かくて大切で大好きな存在なんだよね

247 : 毎年自分の誕生日には母に電話して、「産んでくれてありがとう」って言ってます。最初は母も「痛かったのよ〜」って笑ってたけど最近は「産んで良かった」って言ってくれます。

248 : もしタイムマシンがあったなら・・・・

カーチャンへひどい事言ったり、ひどい事したその瞬間に戻りたい。
そしてそこにいる昔の俺を足腰立たなくなるまで殴ってやりたい。
いままで何度もあったそんな瞬間全てにもう一度行ってみたい。

でも・・・・カーチャンは身を挺して昔の俺を守るんだろうな・・・・
昔に俺がオヤジに部屋の隅でボッコボコ殴られてる時に、
「もうやめて!!」ってカーチャン両手を広げてオヤジの前に立ち塞がり、
「痛かったんだよね・・・」って俺の頭を撫でてくれた様に・・・・



249 : 25歳の男が、母親をバットで撲殺したというニュースを見た。

こんな痛ましいニュースを、今では年に何回も見る時代になってしまった。

その度にこのスレの事を思う。

250 : >>249
同感。
小学生のときに大学浪人が両親を金属バットで殺す事件が
ありました。あれから20年。ほんとに世の中殺伐に
なりましたね。

251 : もう一度だけでいいから会いたいなぁ。
話したいことがたくさんあるのになぁ。
謝りたいこともたくさんあるのになぁ。

もう一度だけでいいから
あなたの子供になりたいなぁ。

・・・・・・・母さん



252 : 最近のことなんだけど、きっと忘れないから書こうと思う。

私には生まれつき軽い障害があるんだけど、18歳になるまでそれが分からなかった。
障害があるせいで変わった子だった私を育てるのは大変だったみたいで
苦労するうちに、いつしか周りの環境は悪い方へと傾いていき
私は心が壊れてしまった。

まだ心が正常だった頃に行ったカラオケで、母は私の歌が上手だ思ったんだって。
でも不登校をしている頃に行ったカラオケでは
私は音痴になっていた。
感情がなかったから、心を込めて歌うことができなくなってた。
母はその歌を聞いて改めて「ああ、本当に辛いんだな」って思ったらしい。

でもそのときたった一つ上手く歌えた歌があって
それが「夜空ノムコウ」だった。

2週間前に母とカラオケに行く途中でそんな話をして
何となく夜空ノムコウを歌ってみた。
そしたら横で母が泣いていた。

あのころ、何が辛いのか、何が悪くてこうなったのか
誰にも分からなかった。
特に私は心が壊れてたから余計に、何で苦しいのか分からなくて
本当に大変だった。
いろんな人を巻き込んで家族みんなで喚いて泣いて・・・。
今、気付いたら私には学歴も友達も、残らなかった。
でも家族だけは残った。
家族みんなで乗り越えてやっと普通になれた。
私も苦しかったけど、やっと両親を許すことができた。

母が泣くからつられて私も貰い泣きしたら、母が
「ああ良かった、○○(私)が元気になって」って。
本当に良かった。
家族が側にいてくれて。
まだ少ししこりはあるけど時間が解決してくれると思う。

今病気で自宅療養中。
もう少しだけ迷惑をかけます、お父さん、お母さん。
病気してるけど泣いたり笑ったりできる今が人生で一番楽しいよ。

治ったらきっと精一杯働いて目一杯親孝行しようと思います。
それまで闘病がんばります。

253 : >>252 がんがれよ。ゆっくりな。

254 : >>252
おれも心をやんだことがあるリーマンだ。
あなたよりは苦しみは少なかった。
上司との関係がきっかけだったが、心の病を
差別していた母は息子がうつ病になってからは
差別をやめたようだ。何よりも心配してくれたのが
うれしかった。ともにがんばろう。

255 : 漏れが小さい頃両親が離婚してとっちゃんが出てったんだ
女でひとつで今まで育ててくれてまじでありがとう・・・
中でも一番思い出にのこるのが消防の頃ヤバイぐらい熱が出て
仕事もやすんで姉貴に料理作らせて漏れに付きっ切りでいてくれて・・・

やばい涙がとまらんからここで落ちる・・・


256 : >>255
gannba-

257 : 両親が、永遠に生きていてくれたらいいのにね。
一生、恩返しするのに。

258 : 両親が、永遠に生きていてくれたらいいのにね。
一生、恩返しするのに。

259 : 母ちゃんと弟と俺、3人だけの家族だった。
親父はおろか親戚付き合いの記憶も物心ついたときから、ねぇ。
人並みの娯楽や小遣いなど全くなかったし、
毎日毎日もパートをハシゴしてる母ちゃんを見れば、
子供心にうちがほかの家と違うのは痛いほどわかっていた。

そんな俺らにも月イチの大イベントがあった。
母ちゃんの給料日の次の土曜に、軽自動車で国道沿のファミレスに
家族3人で繰り出してハンバーグを食った後、帰りに本屋に寄って
漫画を1冊だけ買ってもらう。
今となっちゃ片腹の痛い話だが、当時は月末が近づくと楽しみで楽しみ
で仕方がなかったな。

激しく貧乏だったにも関わらず、母ちゃんは「学がないと自分みたいに
苦労するから」と学費やら参考書やら教育だけには金を惜しず、俺と弟
両方とも大学にまで行かしてくれた。
おかげで三十路にさしかかる今では人並みの暮らしをしている。

今でも正月に実家に帰ったときは、家族3人であのファミレスでメシを
食う。俺と弟でもっといいとこ行こう、と主張するんだが、母ちゃんは
なんでか「もったいない」って頑ときかねぇからな。

なんか月並みな話で申し訳ないが、うちの母ちゃんは俺らにとっては世界
イチの母ちゃんだ!これからたっぷり親孝行してやろうと思っている。

最後に今でも思い出すと心が痛むんだが、高校3年の夏期講習代全て馬に
ぶっこんだ俺を許してくれ、母ちゃん・・・orz

260 : 昭和・・・

261 : そういやうちのおかんは
人と同じってのを極端に嫌う人だったな
自分だけじゃ気が済まないらしくて
私に持たせる、学校で使う物とかもいつも皆とちがうやつ。
お陰で良く虐めに遭ったけどさ

262 : >>253-254
ありがとうございます。
がんばります!

263 : >>255
そんなに母親に感謝する必要ないと思うよ。

だって、勝手に離婚して、無力で無罪な子供がそのとばっちりをうけてるから、金稼いでそれを
子供にあげるのはあたりまえだろ。ありがとうなんて言う必要ないって

264 : >>263
釣れませんねぇ プ

265 : 俺を産んでくれてありがとう。
俺より先に、逝ってしまって辛かっただろうね
出来る事なら、ゆっくり話しもしてみたいし・・・
甘えたっかた

266 : 泣いた

267 : >>259
最後の一文で全て台無しだよコノヤロw


268 : >>267
おれもそう思う。
親不孝者め〜

まあ、これからは自分の給料で
親孝行してやれ。

269 : 良スレage

270 : 「おまえの名前の一字に孝行の孝の字が入ってるのはね…」

母は、2年程前に糖尿病になり白内障?
を併発して現在ほとんど目が見えなくなっています。
腎臓の働きも悪くなり、最近、人工透析を始めました。
入院中は、職場の近くに病院があることもあり、
妻に作ってもらった弁当を片手によく見舞いにいっていました。

私の母は、典型的な「肝っ玉母ちゃん」みたいな人で、
酒浸りの父に尽くし、たまにはキレたり、
とてつもなく我が子を可愛がったりする母親でした。

今思えば、兄弟の中で唯一、親孝行の「孝」の字が入っている事を
なぜか嫌がって、「俺は育ててもらったんじゃない!自分で育ったんだ!」
などと、とんでもなく馬鹿な言葉を母親に浴びせたりした事を後悔し、
それに対して、悲しげに、母の放った言葉「そうかい。」の一言を聞いた時から
「孝」の一字に対して、暖かさを感じ始め、自分の誕生日には
なぜか「生んでくれてありがとう。」と毎年、言うようになりました。

最近、母の見舞いに行くと、目の見えない母が横たわって
隣のベッドの「おばあちゃん」の会話をおもしろそうに聞いています。
姑「私はあんたらの世話にはならん!年金と十分の貯金があるけん!」
嫁「そんな事いわれても来るけんね!ほんまにもー我儘なんじゃけん!」
隣のベッドで聞いている母がその時、カーテン越し言いました。
「おばあちゃん。ちゃんと話をせんといけんよ。娘なんじゃけん。」

私は、私の母とゆう人物を誇りに思っています。
母の目が、僅かでも見える内に孫を抱かせたい。
時々、夢に見る、目がハッキリと見える自分をどうにか感じさせたい。

「おまえの名前の一字に孝行の孝の字が入ってるのはね…」
と私が幼い時にいってくれた言葉、今でも憶えていますよ。

ありがとう。母さん。
後、数十回しか会えない母さんへ。

271 : 2年くらい前

適当に作ったマフラー
適当に「あげる」って言って渡したマフラー
色もオレンジで無駄に長くて細い使えないマフラー

昨日、お母さんの引き出しの中からでてきて
泣きそうになりました

272 : マジでお前ら最高。泣ける話をありがとう。
みんな母ちゃん大事にしなよ。

273 : 私のただ一人の味方は母しかいない。
いつもの様に私はどうでもいい事で喧嘩をふっかけた。
いつもは怒ってくる母、その時は悲しそうに何か呟くだけだった。
喧嘩のあとはいつも互いにあっけらかんとしていた。
心では何かひっかかりながらも、親子とはすごいなと思っていた。
この日も、いつもの様に母の部屋にあっけらかんと入った。
そこで母は、パッと見て人間にとって不自然だとわかる格好で倒れていた。
驚いて抱きかかえる。頭が痛いと訴える母。
異常を察し、病院に電話した。母は「薬を飲めば治る」
「最近たまにこうなっていたが大丈夫だから身内に連絡するな」
と言う。
体の半分が麻痺し、次第に声は小さくなり、目を閉じていく。
病院につくまでの救急車の中。私はなぜか“病院に着けば大丈夫”
という意識でいたので、車内で話しかけたり等しなかった。
医者に言われた言葉は「非常に残念なのですが」から始まるものだった。
理解できなかった。二時間前まで表情のあった母が、
もう二度と目を開けない。
原因は脳出血だった。母はもともと病持ちで、そのため手術が出来なかったのだ。
私はある選択をさせられた。
人工透析をさせずに死なせるか(病は、一度でも透析を
しないと死に至る腎臓病)、脳出血を放置して死なせるか。
母の死に方を選ばなければならなかった。
家庭環境が複雑で私には説明しがたい妙な自我があった。
その上母は不器用で、母とは物心ついた時から不自然な溝があった。
それを埋めなくてはと思い、母に色々と話をし出した矢先の事だった。
母は他界した。
冷たく、カチカチになった母から私は一晩離れなかった。
ひとりじゃ何も出来ない私を残して、さぞ心配だったろう。
私の身の置き場が決まった夜、耳元で「ごめんよ、友達が呼んでるから
もういくよ」
と声がして、私は飛び起きた。周りの人は「それはお母さんだね」
と、本当は信じていないながらの言葉をくれた。
一度も「おかあさん」と呼べなかった。
おかあさん、大好きです。最後まで心配かけてごめんなさい。


274 : 上司に「目が充血してるぞ、大丈夫か?」と言われた。
仕事中に読むスレじゃない。
母を大切に。

275 : >>275

当たり前だー

仕事中は しっかり 仕事汁



276 : 誤爆しますた

>>274だった スマソ



277 : 母ちゃん産まれた時に死んだから知らん

278 : >>275
天国のおかんのためにも、しっかり働き、しっかり生きて、
しっかり幸せな生活を送るんだぞ。


279 : 泣ける話多いな・・・
自分も、他人が読んだらなんとも思わないだろうけど、
感謝の気持ちを込めて書かせてもらいます。


うちは親父が仕事の続かない人でいつも貧乏。
母さんは俺と兄貴のためにいっつも働いてた。
ヤクルトの配達や近所の工場とか、土日もゆっくり休んでたっていう記憶は無いな・・・
俺は中学・高校の頃はそんな自分の家庭が嫌でしょうがなかった。
夜は遅くまで好き勝手遊んで、高校の頃は学校さぼって朝起きないことも多かった。
んで、高校卒業してすぐの頃、仕事もしないで遊んでて、当然金は無い。

そこでやっちゃった。盗み。詳しくは言えないけど、まあ、空き巣だね。
ただ、小心者の俺はその日に自首したんだ。良心が、とかじゃなくてびびっただけw
警察に俺を迎えに来た母さんはほんとに悲しい顔してた。でも泣いてはなかった。
一緒に家庭裁判所行ったときも、割と落ち着いてたね。

裁判所の帰りの電車で俺あやまったんだ。ボソッと「ごめん。」て。そしたら、
「お母さんこそお前に申し訳ないよ。ろくに小遣いもやれないで・・・
本当にお前がかわいそうで・・・すまなくって・・・」

俺、電車の中でぼろぼろ泣いた。声出して泣いてたと思う。
何やってんだ俺。何やってんだ俺。って思って、情けなくて申し訳なくて・・・
ここでも母さんは泣いてなかったな。ただじっとうつむいてただけだった。

俺はその後必死になって勉強した。昼はスーパーでバイトして、夕方からは受験勉強。
そして翌春に何とか大学に合格。バイトは続けながら大学生活が始まった。
でも、母さんはなんとなく俺のことがまだ心配なようだった。
母さんも相変わらず働きづめだから、そんな生活の俺とはあんまり会話がなかったし、
家が貧乏なのに変わりは無かったしね。

だから俺、入学後も一生懸命勉強した。自分の為っていうより、母さんを安心させてやりたかった。
それで大学1年目の終わりに、
「母さん。ちょっと見せたいものがあるんだ。」
そう言って紙を一枚渡した。
大学の成績通知書。履修した科目が全部『優』だったから(マジ)。
最初は通知書の見方がよくわかんなかったみたいだけど、説明したら成績が良いのはわかったみたい。
母「へえ、すごいね・・・母さん科目の名前みてもよくわかんないけど、すごいんでしょ?これ。」
俺「すごいかどうかはわかんないけど・・・」
母「・・・すごいね。・・・偉いね。」
俺「だからさ・・・こんな物だけで偉そうに言うのもあれだけど・・・
  俺、もう大丈夫だから。母さんを裏切ったりしないから。」

そしたら、母さん泣き出しちゃった。もう号泣。
そこで気付いたんだけど、俺、母さんが泣くのを見るの初めてだった。
きっと、何があっても子供には涙は見せないようにがんばってたんだと思う。
それを思ったら俺も泣き出しちゃったw 母さんより泣いてたかもw

はあ・・・親孝行しなきゃな・・・
長文すいませんでした。

280 : オカン、どんだけ嬉しかっただろうな・・・。


>>279 1 一番の親孝行したじゃん。おまい、すげぇと思うよ、マジ。

281 : 忙しさに
身を任せて
母の日さえ
(゚Д゚)
とうに忘れてた


282 : 子供のころ、やたら勉強しろとかうるさい親が憎いと思った。
今はそんな事を思っていた自分が憎たらしい
もっと素直になっておくんだったよ…

283 : 保育園に入った時に、母親が手製の手提げ袋を作ってくれたな。
普通のフェルトの生地でありあわせの材料でお世辞にもカッコイイとは
言えなかったものだけど。
大きなボタンのタイヤのついたクルマの刺繍がしてあった。

それを幼稚園か小学校低学年ぐらいまでずっと使っていた記憶があるんだが、
友達なんかはスーパーで売ってるような既製品をみんな持っていて、
当時は、正直恥ずかしかった記憶がある。
いつごろだったかな使わなくなったのは・・・。

10年近く経った最近になってあの手提げがどこにあるか気になって
たまに実家に行くたび探すんだが、まだ見つかってない。

恥ずかしかったのは本当だけど、今ぐらいの年になってみると
どれだけありがたいものだったかとつくづく思うよ。

284 : >>283
俺も好きなコピペ

285 : 小5で父が亡くなり、それ以来女手ひとつで育ててくれたお母さん。
姉ちゃんの反抗期のとき「みんなでお父さんのところいこうか」と泣いたお母さん。
東京で暮らしたい私はあさって上京します。
お姉ちゃんが結婚してこどもを毎日連れてくるから、
昔より家族の仲がよくなったよね。
その分私は家を離れることが寂しくて悲しい。
正直行くのがいやになってます。
お母さん。
私はひとりでも大丈夫かな。
いままで照れくさくて言えなかったけど、
毎日本当にありがとう。
大好きだよお母さん。
それとお父さん。
お父さんが死ぬ前にたくさんがんばってくれたから、
私は不自由なく生活し、大学まで行くことができました。
今でもお空のお父さんに話し掛けてるまだまだ幼い私だけど、
お父さんのおかげで幸せな今があることを本当に感謝しています。
ありがとう。

チラシの裏でスマソ


286 : >>285 勇気をもって一歩を踏み出し、人生をより豊かなものにして幸せになる。
それが今まで頑張ってきた母の幸せだとおもう。
感謝の気持ちがある限り、どこにいてもダイジョブだよ。がんがれ、そして幸せになれ。

287 : 団地住まいの消防のとき、クリスマスの日。

いつものクリスマスはそんなこと無いのだが、
珍しくその年は、かあちゃん直々に
¥2,980の運動靴プレゼントしてくれた。
デザインはあんま自分の趣味じゃなかったよーな。

そんでDQNな漏れは、その時イライラしてて
「そんなもん金の無駄遣いだよ!さっさと返品して来い!」
と一言。

母ちゃん泣いてた。
今でも鮮明に覚えてる。

あの日に帰ってあの日の漏れに一発くれてやりたい。
今は親孝行しとります。。悪かった、かあちゃん。


288 : 中学の頃、好奇心だけで塾の冬期講習を受講した。
講習のある日、学校から帰ってくると家の前の草むらに
うっちゃられた自転車を見つけた。
何も考えずそれに乗って塾に行った。

塾から帰ってくると母親が「自転車見なかった?」と聞いた。
それなら乗ってったと言うとひどく叱られた。
なんでも近所の子供のだったようで、その子の親が探してたらしい。
明日一緒に謝りに行くよと言われ、勘弁してよと思った。

翌日。意外にもその子の家は近くだった。
呼び鈴を鳴らして中にはいるとその子の親らしき人が出てきた。
「この度は…」と頭を下げながら謝る母親に形だけは習いながらも
んなとこにうっちゃった方も悪いじゃん、とちょっとむくれてた。
と、お詫びの言葉の最中突然母親が泣き出した。
何が起こったのか全く判らず固まるオレ。
母親は嗚咽しながらも謝るのを止めないので何を言っているのかわからない。
相手の「もういいですから」という言葉にもひたすら「申し訳ありませんでした」と。
泣きながら。

帰り道、ちょっと落ち着いた感じの母親の後について歩いた。
何もあんなに泣くこと無いじゃん、と思いと同時に母親を泣かして
しまったという罪悪感でいっぱいだった。親の責任というものが
どういうものか、少しだけ判ったような気がした。

それ以来、母を泣かすようなことはしていない。あんなに後味の悪い
思いはこりごりだ。

289 : 貧乏暮らしは親父に時の運が無かったとあきらめていたが、中学卒業するまで
の15年間、母親に甘えた記憶が皆無だった。 勉強はそこそこ出来てたし、
家事の手伝いも四人兄弟の中では一番役に立ってたのに。 やっぱり、遅くま
で寝小便たれてたのがいけなかったのだろうか。小学校五年の遠足先の河原に
手拭一本忘れて帰った時、「落ちてるはずだから、取りに行って来い!」って
、家に入れてくれなかった。 往復三時間歩いて取って来たけど‥‥。 これ
って、「厳しい躾」って言うより、今風なら「親の子イジメ」だろうに。その
遠足で持たされたオヤツだって、「炒ったそら豆」一袋だけだった。昭和の二
十年代の頃の話さ。

290 : >>289
あんたいくつよw

291 : 去年に母親が死んだ。心筋梗塞で。私の事を毎日A叱ってくれる母親が死んだ。うるさかった母親が死んだ。
今思えば、誕生日も母の日も1回しかあげた事がないな。私の悩み事をちゃんと聞いて、それにあわせた自分の意見も語ってくれた母親。心配性の母親。
伝える事ができるなら「私を産んでくれてありがとう。心配しないで。早く祖父の所に行ってあげて。」
そぅ母に伝えたいな。

292 : お袋今まで色々迷惑かけてごめんな。
中坊くらいから学校へ行かなくなった俺を泣きながら必死で学校へ行かせようとしたよな。
家でシンナーや葉っぱやってた時も泣きながら必死で止めさせようとしたよな。
俺が中2の頃に空き巣と傷害で引っ張られた時も何も言わず、ずっと泣いてたよな。

今までずっと泣かせっぱなしだったな。
本当にごめんなさい。これからはお袋を笑わせられるような
息子になるからな。

293 : あらま、ひょうきんな息子さんで・・・。

294 : 私は確か小4の春くらいに陰毛が生えてきて、小5で生理が始まりました。
でも、1つ上の兄は中1の秋くらいまでお風呂上りは全裸でプラプラしてました。
まだ毛も生えてませんでした。
私は気になったので、精通したかどうか訊いたところ、全く「何ソレ?」といった感じでした。
小学校では性教育は女の子だけで、中学校では冬にちょっとだけ習うくらいで、兄は全く知らなかったのです。
私自身は男の子のことはよくわからないので手間取りましたが、なんとか頑張って精通しました。

295 : 蛍!蛍!とダダこねて都会の真ん中居る筈も無い蛍を探しに出かけると‥そんなバカな!一匹だけだが田圃で光ってた。捕まえて俺は大喜び。母が息子を想う気

296 : 持ちが成し得た業か?二十四孝の逆バージョンだな。今度は、いつかは真冬の筍俺が採ってやっからな。

297 : 子どもの頃、遊んでもらった記憶ないなー
近くの公園で、フェンスに止まったトンボをいっぱいとって、にこっとした母さんの顔だけ印象に残ってる。
遊んでほしかったなー

298 : 感動して、全然涙が止まりませんでした。
こんなにいいスレがあるなんて思ってもいなかった。
よくちょっとしたことで「うるさい!」なんて怒鳴ってしまったりしてしまった。
だけどお母さんはいつもニコッと笑って返してくれました。
本当にすまないことをしたと思っている。
あの時は怒鳴ったりしてごめんなさい。

299 : 幼稚園に入園したばかりの小さい頃、電車で一時間程離れた所にあるお祖母ちゃんの家によく遊びに行っていた。
母方のお祖母ちゃんだからお母さんも気兼なく行けるようで、母さんと兄ちゃんと(当時小1)弟と俺の4人でしょっちゅう出掛けてた。
お祖母ちゃんの家には同い年の従兄弟一家も住んでいて、部屋で遊んだり外で従兄弟や従兄弟の友達と走り回っていた。
ある日、俺と兄ちゃんだけでお祖母ちゃんの家に泊まることがあった。
俺はお泊まりが大好きだった。(母さん付きだったけど)
特に今回は母さんがいない事に妙にテンションがあがり浮かれきっていた。
よその家で食べるご飯や、従兄弟達とお風呂に入ったり子供大勢で布団を並べて寝るのが何故かとてもワクワクした。そして翌日に電車で帰った
ひとりではとても帰れない複雑な路線でも、電車好きな兄ちゃんがテキパキと切符を買い、乗り換えをしてくれるので、俺は兄ちゃんの手を繋いでいるだけで良かった。
そんな兄ちゃんは駅を降りた帰り道に友達に会い、そしてそのまま遊びに行ってしまった。
だから帰りはひとりだった。家に着くと俺は弟がお昼ねをしているのではないか、と思い小さな声で『ただいまぁ…』と言いながらソロソロと中に入る。
すると母さんは部屋でアイロン掛けをしていた。俺の気配に気付くと、ゆっくりと振り返り『おかえりぃ。お兄ちゃんと2人で疲れたでしょ?』とにっこり微笑んでくれた。
俺はかなりびっくりした。普段ははっきり言ってかなり厳しいひとだった。いつだって叱られて泣いていた。
そんな母さんが今
俺に優しく微笑んでくれている。何故か照れ臭くて、でも嬉しくて…。10分もすればすぐに元の母さんに戻ったけど。それからはお祖母ちゃん家よりも、お祖母ちゃんの家からの帰りが大好きになった。
家に帰ればいつだって優しく微笑んでくれる母さんがいた。そして恐い存在だった母さんの事ちょっぴり好きになった。


意味分からんかったかな??

300 : >>299
感動して泣いちった。


301 : お ま い ら の 文 が ま ぶ し い よ 。ま じ 俺 感 動 し て る よ

302 : 母の愛気づかず…両親殺害の少年、通帳の名義見て涙(読売新聞)
 
東京都板橋区の建設会社社員寮で先月20日、高校1年の少年(15)が両親を殺害し、部屋をガス爆発させた事件で、
亡くなった母親(42)が少年のために内証で約20万円の預金をしていたことが12日、警視庁高島平署特捜本部の調べで分かった。
少年は、両親から十分な愛情を受けていないという「思いこみ」から犯行に及んでいた。
特捜本部では少年心理に詳しい専門官とともに、凶行に至るまでの心の変遷の解明を進めている。
◆家族で海水浴「1人遊んだ」◆
「小学1年か2年の時にどこかの海へ日帰り旅行に行った」。
家族との楽しかった思い出を捜査員に尋ねられると、少年はうつむきながら記憶をたどった。「でも、僕は海で1人で遊んでいただけだった」
会社の社員寮で小学生のころから育った。共働きの両親は、土日も仕事で休みを取れず、一人息子をかまう時間は少なかった。
小学生時代、友達が夏休みに東京ディズニーランドへ行ったと聞き、「うちも家族で行きたい」と思ったという。
しかし、「寮を空けられないのは分かっていたから(両親に)言い出せなかった」と、当時の心境を捜査員に訴えた。
寮の仕事を小学生時代から任されていた少年は、「両親との楽しい思い出はほとんどない」と漏らした。
事件前日、少年は父親(44)に「お前は頭が悪い」などと言われ、頭を押さえつけられていたことから、当初、これが犯行の動機になったとの見方もあった。
しかし、特捜本部では、殺害には直接的な動機はなく、少年が両親からの愛情を渇望し、それがかなわずに仕事ばかり任される「不満」が「あきらめ」に変わり、
最後には、「殺意」になったとみている。
「高校に入ったころには、寮の仕事で部活もできない状況だった。友人を積極的に作ろうと思わなかったようだ」。少年の弁護人も、当時の心境をそう代弁する。
◆「お父さん・お母さん、天国へ行って」◆
「父親がやるべき仕事を自分に押しつけられていた。両親を殺して解放された」。調べに対し、少年は、寮の仕事の量が徐々に増えてきたことへの不満を強調。
母親に対しても、「母親の仕事まで手伝わされた。最初から殺すつもりだった」と供述した。
ただ、少年は母親の愛情に気付いていなかった。事件後、特捜本部で自宅を捜索したところ、母親が少年のためにためていた少年名義の預金通帳が見つかった。
逮捕されて以来、両親殺害を人ごとのように淡々と話していた少年は先月末、捜査員から通帳を見せられ、涙を流した。
「なぜお母さんを殺してしまったのか」。今、少年は毎日、こう祈っている。「お父さん、お母さん、天国へ行ってください」と。(石間俊充)

[読売新聞社:2005年07月13日 14時51分]


303 : 俺の母さんは、飲み屋で働いていた。
出勤前まで寝てるから、俺が家にいるとうるさいので、夜7時まで家に帰ってきてはだめと言われた。
俺は学校が終わると、近所の生協やスーパーで試食品を食べあさって、本屋で立ち読みをして時間をつぶした。

いまは朝出勤する振りをして出かけてハローワークや図書館で時間をつぶしている。
子供の頃と違うのは弁当作ってくれるので試食コーナーに行かないことだけだ。

人生ってシビアだわ、ホント。

304 : 母は俺が幼稚園の年中の冬に亡くなった。どうしていなくなったのか分からないまま泣いていたのを覚えている。
泣いてる俺に『お母さんはいないけど、お父さんがいるからな』と父は言ってくれた。
その父が再婚したのは俺が小学2年の春だった。正直父に裏切られた気分だった。
なつく、なつかないのレベルではなくむしろ『拒絶』に近かった。家に帰ると義母が『おかえり』と言っても無視して、顔も見たくなくて部屋にこもった。
仲良く義母と笑ってる父自身も許せなかった。
俺は棺の中で花に囲まれていた母の姿が目に焼き付いている。たった一人ぼっちで焼かれて行った母を忘れて
父は知らない女と笑っているんだと思い、尚更義母を毛嫌いした。
今思えば虐待されていてもおかしくない程いっぱい意地悪をしてた。
ご飯は食べないし、学校の書類も『親に見せるように言われた』と言って父にしか渡さなかった。部屋にも亡くなった母と撮った写真を飾っていた。
父に叱られても義母と父の前で『母さんを忘れてニセモノを連れて来た父さんが悪いんだ!』と大泣きして怒った。
それでも義母は優しかった。
1年半以上経ち、少し義母の事を許せるようになると今度は実の母との間に苦しむようになった。

305 : 今こうして義母を許しかけているのは、母を裏切っているんじゃないか?
俺は悩んだ。そしてとうとう苦しくなり、義母に悩みを言ってしまった。
すると義母は『我慢しないでいいんだよ。廉君が都合のいい時に私を使えばいいんだから。話してくれてありがとう。大丈夫、裏切りじゃないよ。』と言って俺を抱き締めてくれた。それを聞くと妙に安心して不覚にも泣きじゃくってしまった。きっと寂しかったんだなぁ、俺。
母さんが死んだからって忘れる訳がないのに変な意地張ってた。
今年の成人式に初めて手紙をもらった。
『廉君へ
成人おめでとうございます。
初めて会った時からもう13年もたったのですね。早いものです。
初めはなかなか心を開いてくれなかった廉君が私に「おかあさん」と言ってくれた日がとても懐かしいです。
あの頃の私の願いは、いつも「廉君が血の繋がった息子だったら」でした。
そうしたら初めからあなたに受け入れてもらえるでしょう?あの頃のあなたの気持ちを思うと馬鹿な考えです。
でもその必要はありませんでした。あなたはちゃんと自分で悩み、考え、私に言ってくれました。ありがとう。今では本当の家族ですね。だから私はもう血の繋がりは望みません。


306 : 例え血の繋がりは無くてもこうして家族になれる、通じあえる何かがあるのなら、私はあなたと血が繋がってない事を誇りに思います。今だから話せますが、私には子供ができません。そんな私に可愛いい息子が出来て、今日こうして成人した姿を見ることができました。
今の私の願いはただ「あなたの幸せ」です。これからも私を母でいさせて下さいね。』
全文写してみた。
またうるんできたな。
俺も血が繋がって無いこと誇りに思うよ。
ありがとう母さん、かあさん。


307 : うわぁぁぁぁぁぁぁあああ

308 : 創作だろうけど、泣ける話だね

309 : マジ話だよ。今みたいな関係になるまではもっとドロドロしてた時期もあったけど
今は普通に仲がいいと思う。肩の力を抜いたというか、意地張るのやめたから。

310 : 嘘にしてもいい話しだったよ!サンキュー

311 : お前にサンキューなんて言われる筋合いないんだが。

312 : その一言がすべてをパー…

313 : なんか悔しいから一言いわせてほしい。
〉312
必死だなって笑われそうだけど、〉311は俺じゃないぞ。

314 : >304
前の母親に対する気持ちよくわかるな。

315 : >>313
おまいが誰か名乗らなければ分からんぞw

316 : 〉304
話に関係ないが、廉なんて今風でカコイイな。
俺なんて一之…顔が平安時代だから別にいいんだが。

317 : 感動話キボンヌ…

318 : >>316
かずのしん、とか?
友達にかずのしんっていたからさ

319 : ままー

320 : 小6の時、母の日に財布を買ってきた。
我ながら良い息子だったと思う。
実は媚び売って、スーファミ買ってもらいたかったんだけど。
で、母ちゃんに持っていったら

「なにこの財布!使い辛いしキズついてるじゃない!
色も悪いし!どこでこんな安物買ってきたの!
ハァ?三千円もしたの!?私なら三千円あったら財布より服買うわよ!!」

みたいな感じでボロクソに言われた。
流石に泣きはしなかったけど、滅茶苦茶悲しくなった。

あれから10年経った今でも、母ちゃんはその財布を使ってる。

「それ俺があげたヤツだよね?新しいの買えば?」って言ったら
「買い換える金が無くて仕方なく使ってるの!さっさと就職しなさいよ!」と言い返された。

321 : なにそのツンデレ

322 : マスラヲコミッショナーっていうインディーズの座して喰らえば山も空しっていう歌のサビ

今はこのままでいい このままがいい
今度生まれてくる時もまた あなた達の子供がいい
今は彩雲の中 突き進むだけ
前に広がる名もなき人々(はな)は 人知れずに枯れていく

今は自分の希望 やりたいことを
声を合わせて夢中になって 仲間達と生きてます
今はこの体一つ この心一つ
育ててくれた父の背中 母の唄を思います

323 : 昨日の夜、居酒屋で焼酎飲みながら、モロキュウつまんでたんだ。
キュウリ食ってたら、子供の時の記憶が急に蘇ってきた。

あれは小学校1〜2年の頃だったか…
遠足の日に、母ちゃんが作ってくれた弁当を開けたら、
竹串に、キュウリとチーズが交互にね、刺さってんの。
俺、ガキの頃からそういう酒のつまみ的な食い物って好きだったから、喜んで食べようとしたんだ。
そしたら同級生が「こいつキリギリスのエサ食ってる!」って笑い出したわけ。
キュウリが結構大ぶりだったからかな、虫のエサっぽく見えたんだな。
クラス中に俺の弁当笑われてさ。
俺は悔しくて、家に帰った後母ちゃんに怒ったんだよ。
「母ちゃんのせいでキリギリスって言われた!もう母ちゃんの弁当なんていらん!」って。
母ちゃん、困ったような悲しいような顔しながら、
「ごめんね、ごめんね、今度はもっと美味しいもの作るから、ごめんね」
って、謝ったっけ。

俺、まだあの時のこと母ちゃんに謝ってないなって思ったら、涙が出てきた。
今更そんな話したって、母ちゃんは覚えてないかもしれないけどね。
母ちゃんもう随分歳だけど、まだ生きててよかったな。
今からでも、あの時のこと謝れるからな。

ごめんな母ちゃん。
でも、本当は美味かったんだよ、あのキリギリスの弁当。

324 : >>323
自分にもそういうのありそう
忘れてるけどふとしたきっかけで思い出すんだろうか...考えさせられました。
お母さん健在なんですよね?大切にしてあげてください。

325 : 語ろうと思うんですけど…長くなると思うんですけどいいですか?

326 : >>325 おいでませ

327 : お母さん…今どこに居るの?
オトコの家?はたまたホームレス?
私はおかげさまで施設暮らしだよ。
立派に育ててもらったおかげで来年専門に行くコトになったよ。

思い出かぁ…
あったらよかったなw

328 : じゃあ語らせていただきます。
私は今父子家庭です。離婚する前はアパートに住んでいたのですが離婚が理由で父親の実家に父と私で引っ越すことになりました。

祖父母と住みはじめて一年と数か月が経った頃、食事中に、いつも帰りが遅い父に祖父が説教をしだしました。いつものことだったのですが父はしつこい祖父にキレました。祖父を突き飛ばしたのです。その後、殴り合いはなく、口論をしていたのですが、祖父が
「今まで○○のこと可哀相だと思って、同情して面倒みてきたけどもう知らん。今後一切面倒なんか見ない。」
と言われました。祖母は庇ってくれる様子もなく、黙って夕食を食べていました。

329 : 私はコンビニに行くと嘘をついて家出をしました。母と話をしたくて電話をして今の状況を説明しました。母には家に帰れと言われました。私は家に帰るつもりはありませんでした。家に帰ると嘘をついて、その日は友達の家に泊めてもらいました。
次の日、母に家に帰っていないことをメールで伝えたら、ごめん。全部ママのせいだ。と謝られました。なんで謝るの?と聞いたらこんなメールがきました。

330 : だって・・・○○やパパやじいちゃんやばぁちゃんやその他たくさんの人を不幸にした原因はママとパパの離婚にある。
特に○○にはすごい辛い思いをさせてしまっている。その事はいつも思っている。思わないときはない。あたしのワガママで周りの人みんなを不幸にしてしまった。(母方の)じいちゃん、ばぁちゃん、親戚の人たち。あんちゃん。みんなに責められている。

331 : おおばぁちゃんが死んだとき、
「ばぁちゃんが今死んだのはお前のせいだ。ホントはもっと長生きするはずだった。謝れ。ばぁちゃんに謝れ。」と言われた。自分でもそのとおりだと思った。あたしも、もう死んでしまいたいと思った。

332 : 自分では死ねないから、病気になってしまいたい。事故でもいいから。とか。ずっと思っていた。だけど友達に「今、あんたが死んだらきょうかはどうなる?ただでさえ、辛い思いさせてるのに。そのうえ、お母さん死んでしまったら。そんな辛い事ないよ。」って泣かれた。

333 : 名前出しちゃった…orz

そうだよね。こんな無責任なあたしをママだと思ってくれてる○○がいるのに。死ぬわけにはいかない。それからは、生きる事を考えた。人になんと言われても。自分の選んだ事だから。

334 : 今は気持ちも少し落ち着いてきた。○○、ごめんね。子供の○○には辛すぎるね。ホントごめん。いつもいつも心の中で謝っています。やけにならないで。お願い。お願いします。

泣きました…悲しくて。そして、私のことをすごく思ってくれているのが嬉しくて。
思い出っていっても、つい先日なんですけどね。
微妙にスレ違いスマソ。
長文駄文スマソ。

335 : 子供の頃から母親とは馬が合わない感じだったから良い思い出は無いな。

336 : >>335
馬が合わなくても、求め続けるのが子どもじゃないの?
おれは母さんがそっけない人だったけど
カアチャソはやっぱりいいもんだ
と思うんだが・・・・

337 : 良スレ

ホス

338 : 怖いんだけど、常にまっとうなことしかしないから心から反抗ができない。
そんな存在でした。

339 : 気味が悪いスレですね。

340 : 小学校1年生の頃、お母さんに向ヶ丘遊園地に連れて行ってもらった。
その日は小学校の創立記念日で私は休みだった。
お父さんが会社に行くのを見送った後にお母さんが
「ユウちゃん(私)向ヶ丘遊園地にいこっか」って言ってドタで行く事になった。
花の時計を見たり、水が吹き出る射的みたいなもんとかやって一緒に遊んだ。
ジェットコースターもあって私はお母さんにしきりに「乗ろう乗ろう」って
ダダこねたんだけどお母さんは体が弱かったから困った顔をしてた。結局乗れずしまいで、
家に帰ってきてからも私は半ベソをかきつつ「お母さんのせいで乗れなかったんだよっ」
とか言っちゃって、今思うとひどいことを言ってしまったと後悔してる。
それが一番の母との記憶。



341 : いつみても気持ちの悪いスレですね

342 : hoshu

343 : 640 名前:本当にあった怖い名無し :2005/10/10(月) 03:38:06 ID:Z64lAnyi0
姉のパンツでオナニーしてたら妹に見つかって口止め料に3000円払わされた挙句「今度から変態って呼ぶから」とか言われ
逆上して妹の胸触ろうとしたら「お母さーん!!!!」って死ぬほど叫ばれて何故か親父が現れて妹が事情話して
親父に頭死ぬほど殴られてパニクった俺は持ってた姉のパンツを口に含んだら妹に死ぬほど蔑まれて親父にまた死ぬほど殴られて
「うわああああああああ」と叫んで姉の部屋を飛び出したらそこには姉貴が立ってて泣いてんの姉貴。その時気付いたら俺もめっちゃ泣いてた。


344 : あげます

345 : あげよ

346 : 最近、病気が辛くて仕方なかったけど
このスレに書いた自分のレス読んだら
もう一度頑張ってみようと思えた。

このスレがまだ落ちてなくて、ありがとう。
それから昨日叩いちゃったお母さん、ごめんなさい。
本当に辛かったんだ・・・。

347 : みんな創作にしては中々頑張ってるな。
>>346見てるこっちが辛いぞ(笑)

348 : 俺んちも母子家庭&貧乏っていうパターンだったけど
似た境遇の香具師多いんだな。

小さい頃、周りの友達がみんな自転車買ってもらっててすごく羨ましかった。
でも子供のくせに空気読んで「買って」って言えなかったな・・・
友達と遊ぶ時も俺だけ走ってたな(笑
そしたらある日、家に突然黒い自転車が登場。「あんたの自転車だよ」だって。

よく見ると、古い、しかも女の子っぽい自転車をペンキで塗ったようだった。
たぶん新品は買えなくて、どこかで貰ってきたやつを母さんが塗ったんだろう・・・
仕事と家事で忙しいのに、俺のために慣れないペンキ塗り一生懸命やってくれたんだな。

このスレの病気とか別れとかの話と比べると全然つまんない事だけど
俺はこれ思い出すと泣いちゃうな

349 : 大したこと無いなんてそんなことないっしょ
それぞれってやつじゃん

350 : >>348
俺はわかるぞ。泣けるよ。
がんがろうな。

351 :  幼稚園の時弁当の時間に仲良かったTちゃんがとなりに座ってて、
「おかずとっかえっこしよ」といってきた。 「うん、いいよ」と私。
そしたらTちゃんの反対側に座ってたAってコが聞こえよがしに耳打ちしたんだわ。
「Nちゃんのお弁当、ごはんばっかだから損だよ。 やめなよ」

たしかに私の弁当箱はご飯を入れるスペースが広かったんだけどね。
母の実家は米どころ宮城でさ。 いつもササニシキのとれたてを送ってもらってて。
しかも釜炊きだったから、私にとってはうちの白飯はご馳走だったわけ。
おむすび弁当だって大好きだった。
別にTちゃんには普通にその日のおかずのコロッケとかそういうのあげるつもり
だったんだけど、Aのこの一言でカーっと頭に血が上ってね。

次の瞬間号泣しながらAに掴みかかってった。 楽しいはずの弁当タイムに
突然女の子同士のつかみ合い勃発に大慌てで引き剥がす担任。
押さえつけられながら
「おかあちゃんのおべんとう美味しいもん!Aちゃんなんか大嫌いだ!」
とか延々さけんでた。 …弁当ひっくりかえしちゃったんだけどさ…

その後私とAは別々に呼ばれて事の発端を説明させられた。
その日のお迎えのときに担任が母と少しの間話してた。
(Aの親も同様になんかいわれてた)

帰り道、いつ怒られるのかとびくびくしてる私に母はなにも言わなかったよ。
いつもと全く変わらんの。 ただ、その日の晩御飯はいつもより時間が早く、
メニューは私の大好きなハンバーグだった。もちろん炊きたてご飯たっぷり。

352 : 続き

で、次の日持たされた弁当がいつもと様子が違うわけ。
なんか包みがごつい。
「お弁当の時間まであけちゃだめだからね」と念を押された。

午前のお時間がすぎて弁当タイム。
中から子供の自分の顔なんぞすっぽり隠すくらいでっかいおむすびが1個出てきた。
おかずは卵焼き、唐揚げ、いぶりがっこ…だったかな。
もう周り中から羨ましがられたよ。
「いいなあー!さるかに合戦みたい!」
「僕もママに同じのつくってもらう!!」
照れ笑いしながら一生懸命食った。 たらこだの梅だのねりおかかだの
色々入っててさながらビックリ箱おむすび。
途中で腹くちくなったけど最後まで休み休み平らげた。 

帰宅してからっぽになった包み手渡したら、顔中くしゃくしゃにして喜んでくれましたね。
おかあさん有難う。改めてうちのご飯は世界一だと思ったよ。
ガキのクセに生意気な感想だけど。

家を出た今も、米は釜で炊いてるよ。
でーっかい具たくさんおむすびは私が落ち込んだときに作る
必殺入魂メニューです。

=長文にお付き合い頂いて有難うです=

353 : >>352 なんかいいなー。

354 : 先週、母ちゃんが死んだ。立派な最後だった。
…………なんて言いたかった。
御飯を炊いてくれたり、色々な物を買ってくれた母ちゃん。
本当に優しかった。
でも、バカな俺は、大学生になっても、親孝行一つもしてあげられなかった。
社会人になって、お金もたまって、やっと親孝行できる!!なんて思ってた所。
すると、明後日になって。突然電話がかかって来た。
姉からだった。「お母さんが倒れたの!!早く××病院に来て!!」
と、早口で、大声で言われた。その後、自転車で、病院に急いだ。




病室には家族が回りに立って泣いていた。………………遅かった。


母ちゃん……こんなバカな俺に色々構ってくれてありがとう。
そして…………何も出来なくてごめん。
こんなバカな俺のために………本当にありがとう。


長文失礼いたしました。

355 : age

356 : >>352 今「3丁目の夕日」観てきたからか。
涙腺緩みまくりで、
泣いてしまった。
お母さん何も言わないとこがもう。(T_T)

357 : 俺、いま東京で浪人生してるけど、当たり前だと思ってた。
けど、このスレみておれ一人の受験じゃないんだなって思った
。親はあんたが受かるのが一番の親孝行なんだからねって言ってたの思い出した。
もう一週間授業出てなかったりタバコ吸ったり
友達と遊びほうけてる自分がなんてバカなんだと思った。
お母さん、お父さん、いまさらだけど僕は頑張ります。
スレ違いスマソ。

358 : >>357
がんばれ!!

359 : あげ

360 : 良スレあげっ!

361 : 消防の頃、何か悪い事すると「あんたは荒川で拾って来たんだからまた捨てるよ」って脅されてたっけ。
でもな、そんなの絶対嘘だ。中学に入るまですげぇ太ってた俺を、水曜の夜のママさんバドミントンに連れて行って一緒にやってた時、他の人からいつも
「○○君はお母さんそっくりだねぇ。打ち方なんてそのまんま(笑)」って言われた。

アナタは間違いなく世界でただ一人の俺の母さんだ。

母さんがこの世を去るときに言ってくれた言葉「絶対に幸せになるんだよ」
もうこんな時に何言ってんだよと。幸せとは何かって教えてくれたのは母さんじゃねーのかよ。
こんなにもたくさんの涙が出るのは、母さんががいてくれて幸せだったからじゃねーのかよ。
自分の体を犠牲にしてまでここまで育ててくれた俺が幸せじゃないとでも思ってるのかよ。

もし戻れるのなら、あの瞬間に戻ってそう伝えたい。

362 : 友達の結婚式で泣いたことがある。
お約束の「花嫁の両親への手紙」。
花嫁になった友が、「あなたたちの子どもに産まれてよかった、
いままで本当にありがとう」と用意した手紙を涙ながらに読み上げ、
披露宴会場はもらい涙のすすり泣きの音が聞こえた。

俺も涙がでた。
それはもらい涙じゃなかった。
「あなたたちの子どもに産まれてよかった」
そういう台詞を言ってみたかった。

酒乱の父と男遊びの激しい母。
小さいころからいつも家の中は怒号で鳴り響いていた。

自分が結婚したときは花束贈呈のみ。
「できることならあなたたちの子どもに産まれたくなかった。
自分の子どもには自分のような思いはさせない。」
そんな積年の想いをぶつけたかった花束贈呈だった。

今両親は未だに離婚していない。
自分は可愛い子ども三人に恵まれ、家族に囲まれた
今までの人生の中で一番幸せな時間を過ごしている。

両親はどうして幸せになれないのだろう?
どうして離婚して次のステップに進まないのだろう?

363 :     タケシ、スレ上げよっか?

              J( 'ー`)し     ウン!!
               (  )\(∀` ).
               │|  (_ _)ヾ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄



364 : 受験生のくせして読破してしまいました。涙が止まらない…。
うちも母子家庭。特別貧乏ではなく、小さい頃から年に一度は旅行に連れて行って
もらってたし、海外にも何度も行かせてもらった。小学生の時には学校内に母子
家庭の子が何人かいたからあまり気にならなかったけど、中学受験して私立の学校
に通うようになると、母子家庭の子はほぼ皆無。その頃から両親が離婚していると
いう事がコンプレックスになり、周りの子達が羨ましくて仕方がなかった。
その事で何度も母を責めてしまった。その度に母は私に「ごめんね」と謝るばかりだった。
でも母は、出来る限りのことを私にしてくれていた。両親が揃っていない事で私が惨めな
思いをする事がないようにと、小さな頃から私の洋服や持ち物にも気を使ってくれたし、
習い事もたくさんさせてくれた。仕事で忙しいのに6年毎日お弁当も作ってくれた。
こうして書いていると、私って幸せだなって改めて思う。そして、なんて親不孝なんだろう。
ほんっと最低な娘。もう二度と母を責めたりしません。今まで本当にごめんなさい。
一人っ子で面倒を見てくれる兄弟のいなかった私は、休みの日はよく母の職場の病院
に連れていかれ、そこでも周りの人に温かくしてもらったのにも関わらず、
「私は将来は病院でだけは働きたくない!」などと言っていた。でもね、今の私の夢は、
病院で働く人になること。その話をした時、母はとても喜んでくれた。
なのに、思う様に勉強が進まないと、また我侭で天の邪鬼な私が顔を出し、
「どうせ無理だからもういい!」と八つ当たり…。本当酷過ぎる…。
センターまで残り少しだけど、最後まで諦めないで頑張るからね!
もう絶対に意地悪なこと言わないし、受験も一生懸命頑張るからずっと
仲良くしてね!!お母さんの子で本当に幸せ。だから、これからはお母さんに
「この子が娘で良かった」って思ってもらえるようになるから!!
ずっとずっと長生きして、また一緒に色んなとこ行こうね!

長文&駄文ごめんなさい。そして目を覚まさせてくれ皆さん、ありがとうございました。
今日から一生かけて親孝行します。


365 : 364
ガンガレ!ガンガレ!モニターのこっち側から応援してるから!
その気持ちは絶対お母さんに伝わるからさ!

366 : 俺の受験を思い出した。数年前の受験時、センター会場までタクシーで行く事になっていた。タクシーに乗り込みドアが閉まると、見送りにきた母が何か言いたそうだった。そこで運ちゃんに俺はこう言った
「早く車を出して下さい」

367 : 近親想姦のスレは、
ここ…じゃありませんですた。

368 : ああクセースレ。

369 : ↑このバカが一番くさい

370 : せっかくいい気持ちになっていたのに
空気読めよ

371 : まあまあ。ママンとの素敵な思い出がなくてさみしーのかもよ

372 : このスレの人には、リリー・フランキーの「東京タワー」って本がおすすめ。

373 : 母親との思い出YouTube動画>1本 ->画像>14枚  ツリー
母親との思い出YouTube動画>1本 ->画像>14枚  ロゴ
母親との思い出YouTube動画>1本 ->画像>14枚  ウォーターメロン
母親との思い出YouTube動画>1本 ->画像>14枚  Kittyソリ
母親との思い出YouTube動画>1本 ->画像>14枚  Merry Christmas
母親との思い出YouTube動画>1本 ->画像>14枚  COMING SOON
母親との思い出YouTube動画>1本 ->画像>14枚  MERRYCHRISTMAS


374 : 小学卒業と同時に父親の仕事の都合で家族全員でニューヨークに引っ越すことになった。

大好きな友達と同じ中学に通い、部活動に精を出し、その中で起こりうるだろうほのかな恋愛体験、そして
受験戦争で現実の酸いも甘いを味わいながらも、学生生活を堪能するだろうと信じて疑わなかった自分にとって、
海外移住など苦痛以外の何物でもなかった。

親父は学生時代は英文科卒で仕事も海外との商売を専門としていた。学生当時からアメリカに憧れをもっていた親父が社会人になってからも
一年の1/4を海外出張で留守にしてて、当時の子供心としては当たり前だと思っていた。だが仕事の拠点をNYに移す判断を
下した親父に自分は反発した。最後の最後まで反発した。結局自分は転勤当日の成田空港まで納得できないままNYと飛び立った。

現地についてからも親父に反発した、何故アメリカに住む必要があるのか、何故英語を覚えないといけないのか、何故
日本に帰れないのか、、、とにかく楽しい中学生活を過ごすはずだった自分のプランをぶち壊した親父を相当恨んだ。
「いつか家出してでも帰国してやる」そんな考えだ常に脳裏にあった。オヤジの夢の実現の為に、オヤジの仕事の為に、
子供の夢や希望を犠牲にした最低なオヤジだと罵ったこともある。それでも自分は帰国を許されなかった。

そんなある日オヤジが倒れた。脳内出血だった。家族の為に体にムチ打って働いた親父にも
ついにガタが来た。高度成長期出身のオヤジにとって労働スタイルは”会社の為に尽くす”考えだったのだろう。
結局倒れた一ヵ月後にニューヨークの病院で息を引き取った。

オヤジが逝ってから当時の仕事仲間が俺たち遺族に当時のオヤジの仕事ぶりについて話してくれる機会があった。
たがその中で沢山の人から「君のお父さんは○○(俺のこと)がアメリカに馴染めず苦労していていることを心配していた」と
言ってくれた。普段は優しく、家族の前で文句や愚痴を言わなかった親父も外では家庭内の事情を相談していた
ことを初めて知った。子供の前では弱音を見せなかった親父も、本人が死んだ後にオヤジの”人間らしさ”を
知った自分が恥ずかしかった。

だが、それでもオヤジの都合で俺を海外生活に巻き込んで人生をぶち壊されたオヤジを許すことはできなかった。
親父の死と俺の将来は別物だった。

それから5年後、俺も日本へ帰国したある日に近所のスーパーに買い物に行った時に、棚の隅に
見覚えのある品物がヒッソリと置かれているのを目に入った。手にとって見ると、それはオヤジが死ぬ直前まで
取り引きで海外から仕入れた品物だった。パッケージ記載の会社名は変わっているものの、会社の住所は
間違いなくオヤジの勤務していた会社の住所だった。

オヤジはもうこの世にはいない。だが、目の前には明かにオヤジが遺した功績があった。それを知った瞬間、今まで
胸の奥にあったオヤジへの憤りが少し軽くなった気がした。

今でもオヤジは完璧に許してはいない。だがオヤジが生存しているなら言ってやりたい言葉がある。

      「オヤジ、俺はどんなに許せなくてもオヤジは偉大な人だ」と。

375 : 女は糞死ね

376 : >374
感傷に浸っている所を悪いが、
ここは母親との思い出を語るスレなんでね。
いつ母親が出るのかイライラしちまったw

377 : 母親の思い出は・・・・・叱られたこと、にらまれたこと、世間体が悪いとなじられて・・
攻撃されたこと、顔が不細工すぎて・・・怖かったこと・・・料理が下手なこと・・
ま、いやなことばかり〜。いい思い出は何もない。

378 : 漏れは孤児院育ちだから思い出がない…

379 : 俺の母親との想い出は、5年生までしてた寝小便にまつわる苦難の思い出し
か無い。 5歳の頃は、シ−ツのまま吊り下げられて浴室に運ばれて放置さ
れて、「オネショする子は、サーカスに売ってしまう!」と脅された。 
6歳になって妹が生まれると、これ幸いと夜におしめを一緒に当てられてた。
妹がおしめを卒業すると寝小便布団に戻されて、「オネショ直るまで布団は
替えない!」と言われて、まっ茶色に世界地図が重なった布団を、毎朝干し
出されていた。寝しょんべんパンツだと言って、分厚い雑巾のような専用バ
ンツを与えられて寝ていた。 3年生になると「オネショする子はオシメし
かない!」と言われて、妹と使っていたオシメを10枚縫い付けた分厚なオ
シメを拵えて、「今晩から、これを当てて寝ろ! 濡らす濡らさないはお前
の勝手だけど、洗濯は自分でやれ!」と宣告されてしまった。 毎朝、風呂
場でグチュグチュと揉み洗いして、絞り上げるのがたいへんだった。洗濯が
終わらないと朝飯は食べられなかった。 いい思い出なんか何も無い。

380 : >>379
その厳しさの裏に愛を感じるよなぁw

381 : >379

ちんちん切るとか言われなかった?

382 : 母親なんていらない。
母親との思いでは・・・・・・嫌なことばかり。
思いでのなかから削除。

383 : 親父に寝取られた。悔しい

384 : あたしは、おかぁさんがとても嫌いだった。
どうしても「愛」という感情がうまく出せなかった。。。
うちは、おとぉさんが家にいないからおかぁさんが一人であたしたち兄弟を
育ててくれた。
でも、、、その当時引っ越したばかりでおかぁさんは近所に友達もいなくて
なんか、色々なやんでてストレスがたまっていたのかな?
毎日泣いてたんだよね。。。あたしは気づかなかったけどお兄ちゃんは
あの人はちゃんと気づいていたんじゃないかな?
おとぉさんは家にいなかったから、電話がかかってくればいつも喧嘩っぽくな
ってた。あのとき、、、正直心の中でこの2人は終わるんだろうなぁ〜とか
思っていたことを今思い出した。。。すごく嫌な思い出だったからあたしは
記憶から消してたんだけど…
おかぁさんは、やたらあたし達に八つ当たり(?)をしてきた。。。
だから、お兄ちゃんはいつもおかぁさんの顔色を窺ってていつも家にいるのに
気を使ってた。今ならおかぁさんに「八つ当たりはやめてよ」って言えるけど
あの時は無理だった。すごく怖かった。
あたしも、そのくらいのときからすごく精神的に狂ってきてた。
「愛」を探して人を傷つけていた。自分の居場所がよくわからなくて大暴れしてしまったことを
いまでもよく憶えてる。
それから、もう10年は経ってるけどなんかトラウマ
おかぁさん今は好きだけど、、、、本当にあの人に「愛」を捧げるのはちょっと
抵抗がある。怖くてしょうがない。
母親との思い出は何故かこれしか思い出せない。
あたしは母親にきっと愛されてる。でもその愛を受け入れられない。
子供なんだあたし。
八つ当たりで、叩かれたこともあったと思う、、、、
なんか、今思い出したくなかったこと思い出したけどすごく心ん中では喜び
にちかい感情がある。。。。
まぁ、生んでくれた人だしねこれから思いで作ればいいと思ってしまった。

385 : あげ

386 : 誰かあのキャンディーのCMのやつ作って。
このスレバージョンで。
あれ好きなんだ。「特別なのです。」ってやつ。

387 : 無し

388 : 無し

389 : ー母へ。


私もようやく二十歳になれた。もう2年も経つんだよ。

『いきなりどうした』って?なんか急にお母さんと話したくなってさ。
実はずっと前から二十歳になったら、
お母さんに手紙を書こうと思ってたんだ。
まさか死ぬなんて思わないさ。
早すぎますよ、42歳なんてw冗談にもならない。そのせいで私が今どんなに苦しんでいるか見せてあげたいよ…。
私を愛してくれてましたか?
今でも私を心配してくれていますか?
お母さんの愛情は兄貴に傾き過ぎてましたよ。私に対して愛情があったのか、わからなかった。
次に会うときは、もっとわかりやすく!!

あ、文句言いに来たんじゃなかった。
ずっと言いたかった事があるんだ。

自分を産んでくれた事じゃないよw
可愛い妹を産んでくれた事。
本気でその日産まれた中で1番可愛い子連れてきたんだと思った。
妹の全てが愛しいよ。
自分を踏み台に使ってくれても構わない、誰よりも幸せになって欲しいって
心から思える。
9つも離れてるからかな、妹ってこんなに可愛いんだね。
私は幸せだよ。
お母さんの代わりに大事に大事に育てるよ。
だから一つお願いがあります。

お母さんが生まれ変わっても、
また私とあっちゃんを同じ姉妹で産んで下さい。

390 : なし

391 : 小さい頃わがまま行ったら車から降ろされて置いてかれた。でもすぐ戻ってきてくれた。

392 : 小学一年生の頃、六年生の修学旅行が広島で、原爆ドームに持っていく折り鶴をみんなで折ることになった。一人何個作るか決められていて帰宅した私は母にその事を話した。すると母は何かのラッピングだった(多分クリスマス)包装紙を持ってきて丁寧に切っていった。

393 : 可愛い包装紙だった。折り方がわからなかったけど母と作る折り鶴は楽しくてすぐにたくさんできて学校に持っていけば喜ばれるだろうと話した。嬉しかった。翌日、六年生の人にドキドキしながら渡すと「これは折り紙じゃないし模様があるからダメ」と言われた。

394 : ショックだった。せっかく母が頑張って手伝ってくれたものなのに…と。泣きそうだった。母に何て言おう、がっかりするんじゃなかろうかと。帰宅して事情を説明すると笑顔で「仕方ないね」と言った母に小さいながら申し訳ない思いでいっぱいだった。今でも少し悔しくなります…
長々すみません。

395 : Thank you, dear mother...(´ー)

396 :        ___
     /;;;γ'⌒゙ヽ、
ウギャァァーー!! /     ヽ
ウギャァァーー!!  ◎   l ))
。;:∵ ;:・:ヽ。、    /,.;
・゚J(; 'Д`;)し・゚・。, /彡・,
⊂;:;⊂・/;;':"γ'⌒;ヽ、`ミ゚;`'.
;:∵;:・:/,;;;;;;;'/     ヽ;'∵;‘             ( ´Д` )
 (( i;;;;;;;;;;i  ◎  ゙i ;;;'              (    )
   ヾ;;;;;;;,ヽ、   ノ  ;;               | | |
    `ー--=ニ-ー'                 (_(__)

ぎゃはははははwwwwwwwカーチャンがなんかはさまれてっぞwwwwwww
マジカワイソスwwwwwwwwwつーかゴミを処理してるだけなんだけどねプゲラwww

       ___
     /;;;γ'⌒゙ヽ、
ウギャーーッ!!! /     ヽ  ;::・;:
ウッ…ギッ…!   ◎  l ))*;:∵;::
  ;:・;::*:ヾ、      /;:%;:∵;::;
  ;:∵;:・:: ゙ヾ、__, /彡・;:*;::;:
   ゚・/,;;;'γ'⌒;ヽ∞;::;:・;::;;;::'.
    /,;;;;;;;'/    ブチャブチャッ!!;;'∵;;‘        ( ´Д` )
 (( i;;;;;;;;;;i  ◎  ゙i;8:・o;:∵;:;;;'           (    )
    ヾ;;;;;;;,ヽ、   ノ                  | | |
     `ー--=ニ-ー'                  (_(__)

げらげらげらげらwwwwwwww完全にぶっ潰れちまったwwwwオエッキモッwwwww

397 : あなたにとってどんなに大切なカーチャンでも
嫁にとってはただの鬼ババー
早く死んでくれと陰で罵られる邪魔な存在
そんな嫁達の集う殺人予告&示唆&教唆スレッド
http://aa5.2ch.net/test/read.cgi/nanmin/1128371391/



398 : 小学校1年の時、おはじきを使った計算がどうしてもできなかった。
教科書に載ってる、上の段に犬の絵が書いてあって、下に犬小屋が書いてあって、
ひとつずつおはじきを乗せて、「どちらが多いでしょう?」
とか、そこらへんで躓いてた。

私の頭の中では、犬と犬小屋は違う物なのに、比べることなど出来るわけがない
というような謎の理論がまかり通っていて、そのせいで理解できなかったんだよね。
犬小屋と犬の数を比べるってことが。今思えば本当にあほな子だ。

さすがの母も焦ったらしく、毎晩特訓してくれた。
おはじきを持ち帰り、根気強く こうやって、こうやって、と手順を教えてくれる。
でも手順はわかるんだけど、理解ができない。
母はキレてしまい「どうしてあんたはわからないの!」と怒鳴るから
「だって、犬と犬小屋は違う物だし…」とかごもごも言ってみた。
すると母は
「犬が犬小屋に入りました。1匹しか入れません。犬があまるでしょうか?犬小屋が余るでしょうか?」
と言った。問題の意味がようやくわかったあほな私。

399 : 、


400 : 400

401 : 近親相姦ハァハァ

402 : 383

403 : >>380その厳しさの裏に愛を感じるよなぁw
379だけど…。どこに「愛」なんて感じられるのだろうか? 確かに、寝小便
してたコッチも悪いけど、したくてしてた訳でもないのに。10枚も縫い付け
た分厚いオシメの洗濯なんか、させられた身でないと悔しさは分からないだろ
う。 朝っぱらから庭で竿に干したり、学校から帰って取り込んだりの毎日だ
ったんだぜ。

404 : 涙が出て全部読めねーじゃねーかヴォケ!だから書く。

うちの母親の作る弁当は、必ず「おにぎり」でした。幼稚園の時も。小学校の遠足の時も。
それを友達にからかわれて恥ずかしかったから、弁当は隠して食べる事が多かった。おいしかったのに。
普段は普段で「おいしい」って言うと同じメニューが2、3日続く事があった。子供だった自分はそれが嫌でたまに文句を言っていた。
その後父親が亡くなり、一人で働いて自分たち兄弟を育ててくれた。
そんな母親が、自分が社会人になってすぐに病気になってしまった。病気と向き合いながらも、強く生きている母親。
母さん、もう母さんの「おにぎり」は食べられないけど、そんな事はどうでもいいよ。とにかく長生きして下さい。

405 : >>404
おまえのも 涙が出て全部読めねーじゃねーかヴォケ!

406 : 今回の帰省は自分なりに親孝行したつもりでいました。
父が大病を患い、母も心労で相当疲れきってました。
そんな両親を、行きたい所へ連れてって、食べたい物を食べさせて、
できるだけ傍についててやりました。
ところが私が帰る時、駅まで見送りに来てくれた母は
私が階段を上がっていく姿を痛めた膝や腰をかがめてまで、
私が見えなくなるまで手を振り続けてくれていた。
その姿を見た私は、電車の中で思わず涙した。
自分では十分親孝行したつもりでいたのに、
心の支えにはなってやれてなかったことに気づきました。
あんなに寂しそうな母を、私にはどうしてやることもできず、
病床の父を楽にしてやることもできず、
何の力にもなれない自分を責めました。
今まで苦労して私を育ててくれた両親に対して、
なぜ恩返しひとつできないのかと…。
病気の父と、心労で倒れそうな母を思うと、
あまりにも辛くて悲しくて、
何かをしてる最中でも涙が溢れて来ます。

私は今度生まれ変わる時はもう人間には生まれて来たくないです。
こんなに辛い思いをするなら、
一人ぼっちでも生きていける野性の動物に生まれたいです。
お父さん、お母さん、こんな無力な娘で本当にごめんなさい。
幸せにしてあげられなくて、苦労ばかりさせてしまった事を
許して下さい。



407 : 僕がハゲ始めたころ、ママに頭皮をマッサージしてもらった
気持ちよかった

408 : お母さん、俺は今もお母さんと自分の部屋に感謝しています

409 : 泣きすぎで目が腫れる・・・・

小さいころ、いつも母親と一緒に遊んでた。
幼稚園の先生してたから子供と遊ぶのが得意だった。

近所の子供も混じって色んな遊びを教えてもらった。
雨の日も室内で出来る遊びを教えてくれ、毎日が楽しかった。
夜寝る前は絵本も読んでくれた。兄弟三人で並んで聞いた。

皆母親が大好きで、帰ってくると「母さんは?」ってすぐ聞く。父親もwww

今は皆大きくなって母親を疎んじる事もあるが、大切な存在で、幸せに生きてほしいと思ってる。
就職も決まったし、いままで沢山漏れのために使ってくれたお金や愛情を返していきたい。

長生きしてくれよ。父ちゃんと母ちゃんの老後くらい面倒みてやるから



410 : 102 が面白すぎの件になぜかみなさんスルー

411 : >>410=102
2年ぶりに
このスレのぞき込んだかワラ


412 : 母親は小学校の教頭。
母親が教師ということで今まで結構自信が持てた。
経済的にも余裕がありました。

教員の女性とも結婚できた。
謝謝濃。


413 : 母からきたメール
「42妻人妻です(^o^)旦那と子供には内緒で割り切ったお付き合いを希望してます。平日昼間ならいけますよ☆」


「今のはなんでもないからね。変なメール転送しちゃったみたいだから。今晩おいしいお肉焼くからね。」

「ゲーム買ってあげるからお父さんにいっちゃだめよ。おねがいだから。ほんとにおねがい。」


414 : >>413
ワロタ

415 : >>413
いちばん泣けた

416 : あげ

417 : 今日は俺の36歳の誕生日だった。
お袋が誕生日おめでとうと電話してきたのだが何やら
様子がおかしい。長年患ってた糖尿病の影響で眼が
見えにくくなってきており近日レーザーを眼にあてる
治療をするそうだ。だが最後にはいつものように早く定職に
就いて結婚しろと愚痴を言ってくる。情けない話だが
5年前に保険会社を辞めてからずっと気ままなフリーター
暮らしを続けてきた。金欠の時にはお袋から金を借りたり
もした。いつもの愚痴は鬱陶しいなと聞き流してたが
今日はなんだか身に染みた。糖尿病で失明するというのは
知識としてあったがまさかお袋がそうなりそうだとなると
俺は何やってんだという気持ちでいっぱいだ。がんばって
職探して早いとこ結婚して眼が見えるうちに孫を見せれる
ようにがんばるよ。お袋今までぐーたらでごめん。

418 : 母の慈愛は海より深い

つω;)

419 : スーツケースの後ろ姿を弟と見送りました

セピア色の想い出です

どうか生きていて下さい



420 : 中学生の頃 一部の男子と上手くいかない時期があって
これ見よがしに何か言われたり掲示物に悪戯されたり
強がってたけど本当は凄く悲しくてもう登校したくないって思った
いじめが原因で自ら命を絶ってしまった子のニュースをぼんやり見ながら
「もし私がこうなったらどうする?」ってなんとなく聞いてしまった。
お母さんは間髪いれずに
「相手の子を殺してしまう」
と言った。いつも優しくてお茶目でお笑い番組のどつきにすら
難色を示す人からそんな暴力的な言葉が出るとは思わなくてビックリして
なんだか解らないけど涙がジワジワ出てきて
「冗談だよ」って無理やり笑顔作ったけど自分の部屋で泣いた。
そんな事一瞬でも考えさせてごめんね。
お母さん大好き。またお母さんの娘に生まれたい。お母さんの娘じゃなかったら
生まれ変らなくていい。長生きしてね お母さん優しすぎるから心配だよ。

421 : >>413
いや、なんかもう頑張ってよ。
少し小遣いアップしてもらうぐらいだな。あとは秘密にしとけ。

422 : 良スレage!

423 : >420
なんかすごく涙が止まらないよー。あなた凄く綺麗な心持ってるんだね。これからもずっと、お母さんを大切にしようね。私も素直になれるよう頑張ろう。

424 : 風邪をひきかけたとき、お母ちゃんに「ちょっとしんどい」って言ったらいつも
「じゃあ今日はもう寝た方がいいね」って布団をひいてくれた
(いつもは自分でひかなきゃいけないけど風邪の時は特別)
敷布団とシーツ、枕を置いたら私が寝転がって
お母ちゃんが上から毛布と掛け布団をかけてくれる
そのあと「おやすみ〜」って言って電気を消してお母ちゃんが部屋を出ていった後
私は真っ暗すぎてなかなか寝つけないんだけど、毛布のニオイを
くんくんかいで、あーいいにおい!と思いながら幸せな気分になってたなあ

425 : 男から見た母親像と女から見る母親像って生理的に違うものがあるのかな
それとも育った環境の方が大きいのかな

今自分は30を過ぎたんだけど、近頃母親の母性の偉大さとか懐かしさに
ちょっと涙腺が緩んだりする。
で、父親の方は全くそんな感情がわかない。

426 : 俺の高校は結構ガラの悪い高校で偏差値も低いんだが 
中学のときは悪かったであろう友達と飯食ってるんだよ。
そしたらそいつが親の作ったおにぎりをバッグから出して、「腹いっぱいで食えねーよー」
とか言ってるんだよ。普段は売店で買ったポテトとかあまったら捨ててるようなやつなのに
おにぎり食いだしたんだ。で、一言、「俺、親の作ったものは絶対捨てらんない
んだよねー」って。いいやつだなーと思ったよ

427 : 泣ける2ちゃんねるで母親の事を思い出したので書きます。

俺は3人兄弟の末っ子で、うちはとっても貧乏だった。
父親はアル中で職を転々とし、荒れると、母や兄に暴力をふるい、
母がパートで家計を支えるという典型的な貧しい家庭。
だから小学校低学年〜中学あたりまでは、ろくな思い出がない。
うちの家族が一番大変だった頃(確か小学校2,3年の頃だった気がする)
母が俺の誕生日にプレゼントを買ってきてくれた。
たしか300円くらいのガンダムのプラモデル。
その当時、すごく流行っていたけど、
もちろん、うちに、そんなものを買ってくれる余裕はなかった。
だからとてもうれしかった。
ガンダムのプラモだ!って。
喜んで、良く見ると、
ホワイトベースのプラモだった(笑)
正直がっかりしたけど、兄に作ってもらった。
友達は、ガンダムとか、ザクとか、人気のあるプラモを持ってたなぁ。

けど、あれ以来、あのホワイトベース以上のプレゼントをもらったことはないな。
たぶん、母親は覚えてないだろうけど、あの時は本当にうれしかったな。
いつかこのことを話したいけど、照れくさくてダメだ。

428 : >>427
言えるうちに言っておいたほうがいいぞ。
後悔したくなかったらな。


429 : 俺がお袋のお腹にいる頃、兄が骨折して入院した為、母は暖房の効かない病室で看病したが無理が祟り妊娠中毒症を起こした。
何処の産婦人科でも「赤ちゃん諦めなさい」と言われたが、最後に立ち寄った病院の院長は「私の言う通りにしなさい」と言われ治療。数ヶ月後無事俺は誕生した。
命の恩人。お袋や院長に感謝。

430 : みんな泣けるものばかりだな。
じゃ、俺もひとつだけ置いていこうか

俺が高校入試を控えていた中3の頃の話だ
裕福とはいえない家庭に生まれた俺はちょっと家庭に問題を投げかけていた
いつも親に迷惑かけて、高校はここじゃないと嫌だとか言ってたっけ
だけど夏休みを境に人間自体が変わって、家庭の事情も理解できるようになっていたんだ
それからは親の手伝いとか一杯して、少しでも楽をさせてあげようと思った
そんなこんなで高校入試は前日に控える
どうやら体調管理に一番気を遣っていてくれた母親が風邪を引いたらしい
風邪なんて1年中で引くか引かないかっていうぐらい丈夫な体だった
俺の為にって健康管理に気を遣ってくれたっけ
そしたら本人が体調崩してさ、もう何でもないよね
なのにも関わらず、昼間に買いだしに行って
滅多にでないトンカツとか刺身とかかなり豪勢な晩飯だった
その日のトンカツ・・・本当においしかった
おかげで高校も入学できたし、全部母親のおかげだった
合格発表の時は仕事で一緒に喜びを分かち合いたかったけどできなかった
でも真っ先に母親に電話したら電話越しから聞こえたかすかな母親の鳴き声
この家の長男だったし、きっと凄い嬉しかったんだろうな
そんな母親は50歳過ぎてもいつまでも俺の自慢の母親だ


431 : なんか機械音痴の母がデジカメを買った。

    ホラ。デジカメカッタノ
                カタカタ__,
J( 'ー`)し     ウルセーナ     |   |
 ( っ[l◎]         ( `Д)_|    |
 ||          (  つ | ̄ ̄ ̄|
    
どうやら嬉しいらしく、はしゃぎながらいろいろと写してた。

何日かしてメモリがいっぱいで写せないらしく
「どうすればいいの?」って聞いてきたが

 ドウスレバイイノ・・・?
                カタカタ__,
J( 'д`)し               |  |
 ( っ[l◎]          ( `Д) _|    |
 ||          (  つ | ̄ ̄ ̄|

「忙しいから説明書読め!」とつい怒鳴ってしまった。

 ・・・・。 忙しいから説明書読め!!!!
       つまらないものばかり__,
J( 'д`)し   写してるからだろ!!! |   |
 ( っ[l◎]         (Д´#) _|    |
 ||           (  つ | ̄ ̄ ̄|

さらに「つまらないものばかり写してるからだろ!」とも言ってしまった。

432 : そしたら「・・・ごめんね」と一言。

 … ゴメンネ。
                カタカタ__,
J( '-`)し        ケッ       |   |
( っ[l◎]          (#`Д) _|    |
 ||          (  つ | ̄ ̄ ̄|


そんな母が先日亡くなった。

   ________
   |     ___  |
   |   [|J( '-`)し|] .| ('A`) カアチャン・・・   
   | | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | (  )
   | |         .|| ||
   | |         .||
   | |         .||
   | |         .||
   | |         .||
   | |______||
   |________.|




遺品整理してたらデジカメが出てきて、何撮ってたのかなあと中身を見たら
.__________,,,,,,,,,,,,,,___
|   [(◎)]________   |
| ◎◎   || /      \ ||   |
|       || | / ヽ___/ ヽ | ||   |
|-----   .|||   ヽ/   .||   |
|[]      || ヽ、      ./ ||   |
|[]

433 : 俺の寝顔が写ってた・・・涙が止まらなかった。


      (;';A`;),,__  カアチャン・・・・
      ( っ[l◎]  ウッウッ・・・
       ||    カアチャン・・・・

434 : ('A`) カーチャン、県立高校落ちた。

J( 'ー`)し カーチャン、お金がなくて私立は通わせられないよ。定時制でいい?

4年後
('A`) 採用試験、また落ちた。定時制じゃだめなのかな?

J( 'ー`)し タケシはイイ子だから、そのうちイイ仕事が見つかるよ。のんびり探してごらん。
   
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
J( 'ー`)し 今の時代、パソコンぐらいできないとダメなのかも・・・
      タケシ、パソコンを買おうか?

('A`) パソコンかー、欲しいいけど貧乏でお金ないからいいよ。

J( 'ー`)し カーチャン、パートの仕事増やすから大丈夫だよ。

<店員> インタネットセッティングサービスを含めまして25万円です。

J( 'ー`)し こんなに高い買い物をしたのはオトーチャンが死んでから始めてだよ。
      タケシ、いい仕事が見つかるとイイネ。

435 :  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(`Д) インターネット、オモシレーなー。ネットゲーム最高だぜぃ。お!レア物ゲトだぁ!

J( 'ー`)し タケシ、パソコンのベンキョウ頑張ってるなー。いい仕事が見つかるといいねー。
      カーチャンも頑張らなきゃ。

(`Д) ・・・・(パソコンの勉強か、そのうちやるよ。今、ギルドの幹部になっちまって忙しい)

J( 'ー`)し タケシ、カーチャン、ちょっと疲れた。肩を揉んでほしい

(`Д) 今、ベンキョウで忙しいんだよ

J( 'ー`)し タケシ、ガンバッテルナー。カーチャン、嬉しい。いい仕事が見つかって、優しい彼女も
      できるよ。


カーチャンの入院

J( 'ー`)し 病院まで10kmもあるのに自転車で見舞いに来るなんて、タケシは親孝行だね。
      パソコン頑張ってるから、自動車も買えるようになるよ。

('A`) ・・・・(カーチャン、俺ホントはゲームしかしてないんだよ。)

436 :  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ <医師> おかーさんは、急性白血病で、緊急の事態を要します。

('A`)・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
('A`) RMTの掲示板に書き込んだ
    「リ○ージュのアカウント、レアアイテム、ギル売ります。格安です。」

('A`) 売ったお金でーチャンが好きなチーズケーキとヨーグルトを高いお店で買った。


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
J( 'ー`)し タケシ、チーズケーキおいしいよ。でも高いんだろ?お金はどうしたの?

('A`) パソコンのバイトで稼いだんだよ

J( 'ー`)し パソコン買ってヨカッタね。もう、いい仕事が見つかったんだね。

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
カーチャンが死んでガランとした病室

<看護婦> タケシ君、パソコン得意なんですってね。オカーサンが毎日自慢してたわ。
       パソコンが得意だからいいお仕事がたくさんあるんですってね。

('A`)  ウワァァァァーン

437 : 泣ける…

438 : あんまり泣かせないでほしい(`;ω;`)

439 : お母さん大好き。
太陽のような人だ。

私が失敗したときやつまずいたときには、『くよくよするな!』『母さんが助けてやる!』と笑い飛ばし、
私が傷ついたときには一緒にわんわん泣いて、なぐさめてくれた。

母さんがいなければ私はダメになっていたかもしれない。
ありがと。ありがとう。

今は一人暮らしだけど、お母さんと一緒に暮らしたい衝動にかられます。
最近弱ってるからかな。

春になったら会いに行くね。

440 : 良スレあげ

441 : 親孝行 したいときに 親はなし

442 : いい思い出がイッコもない‥
一緒に死のうと言われたとかそんなのばっか。
(現在絶縁中)

443 : >>299
なんか微笑ましくて良かった。

444 : 家が旅館やってたから母さんはバリバリの女将だった。いい着物を着て旅館の仕事まわしてた。
でも父親はろくでもないから外に女つくったあげく、離婚・商売たたむことになった。
生活は一変。母、姉、私、母方の祖母でアパート暮らし。私だけ親戚の家に居候したこともあった。
でも、私立高校も転校することなく大学まで行かせてくれた。慣れない会社勤めしてさ。
数年後には母ひとりで新居まで建てちゃった。70歳までローン地獄。それでもカラカラ笑ってた。

そんな母がしみじみ私に謝ったことがある。新居への引越しのとき。
二人で荷物を運んでたら、急に母が「私が離婚さえしなかったら、アパート暮らしもしなくてすんだし…。
慌ただしい引越し何度もしなくてよかったのにね。ごめんね。」って。私は呆気にとられてしまった。
離婚の直後も、母は「あんたたち子供のことは何があっても一生守るから」ってそれだけを毅然と言い放っていたから、
母が建てた新居への引越しの日にまさか謝られるとは思ってなくて、びっくりした。
「あのまま親父と離婚してなかったら、こんなピカピカの家に住めないよ!だから私、今のほうが幸せ」
って冗談めかして言ったら、「そやなぁ。あんた、ええこと言うなぁ」って母が笑ったから安心した。
この時ほど神妙な顔の母を見たことがない。今でも脳裏に焼き付いてる。

最近、母がローン組んで家建てた理由が分かった。
「娘二人をちゃんと『私たちの家』から嫁に出したかった」
「二人がいつ帰ってきてもずっと変わらず居場所があるようにしたかった」

冗談じゃなく、母さんといる今が幸せ。1番幸せ。
まだまだ嫁になんか行ってやんないw

長文失礼しました。

445 : >>444 (ノД`)
カーチャンカコイイ
おまいもローン手伝ってやってな

446 : 良スレage

447 : このスレ読んでて、ふと母親の顔見たくて、1階へ降りた
どうやら風呂に入ってるみたいで、いなかった。

なんか、こんなすれ違いが大きくなって
最後には会えなくなるんだろうな、と思った。

448 : まだ俺が小さかったとき、なにかつらい事があれば「おかぁが守ってあげるから!」と元気いっぱい励ましてくれた母。
「パソコンを使った仕事がしたい。」そんなガキッちぃ俺のわがまま聞いてくれて
「おまえが仕事楽しくできるんだったら。」と、金もないのに、借金して専門学校に行かせてくれた。
そんな俺も成人になり無事就職。先週2年ぶりに帰郷した。

その日、母と久しぶりにスーパーの買出しに行った。
ふと、隣で歩いている母に目をやると、あんなに心強かった母がすごく小さく見えた。
今まで苦労かけっぱなしだったね。
これまで自分を支えてくれた分、これからはたくさん恩返しをしたい。
ありがとう。

449 : 癌で入院した母を見舞い、病室でバイバイしたのに後から追いかけて降りて来て出入り口で見送ってくれた母。
私が見た正気で元気な最後の母の姿…

あれから4ヶ月、今生に母は居ない。

母の意識がしっかりしているうちに伝えたかった。
「私を産んでくれてありがとう」

最期のお別れまで言えなかったけど、本当に感謝しています。

450 : まだ3だけど、家を出て寮生活を始めました。生まれてから15年間、ずっと一緒に暮らしてきて、いつも当たり前にそばにいてくれた母親。早く帰って顔が見たいわ... 親孝行絶対してやる。

451 : >>447
風呂に乱入すればよかったのに(・_・;)

452 : 僕の母も癌でした。胃を全部切除する手術を受けましたが、容態が回復することなく世を去りました。
僕が結婚して5ヵ月後のことでした。「千の風になって」と言う歌を聴くと涙が流れてなりません。
僕の母も千の風になって僕を見守ってくれているのでしょうか。
父親が脳梗塞で亡くなり七年後のことでした。
お父さんお母さん、僕を育ててくれて本当にありがとう!この思い、
両親に届けてくれ・・・千の風よ!

453 : 私も皆さんの様に思って貰えるお母さんになりたいなー

454 : 俺、母さんに凄く感謝してる。
苦しい時、辛い時、いつも励ましてくれた。
中学校、高校、と落ちこぼれた。
母さんは俺を見捨てなかった。
俺がどんなクズでも。
いまは浪人生してます。
母さん巨人ファンなんだよね。
来年大学に合格したら、東京ドーム連れていってやりたい。
母さんは女の鏡だと思う。大事にしたいよ。
心から感謝してます。

455 : おまいら、まじでニートの俺を泣かさないでくれ
おれ
どうしたらいいんだよ


456 : >>455
そう思えることが素敵すぎる。
おまえはきっと、母親にとっては優しい自慢の息子のはずだよ

457 : 父親がこっそり毛じらみの治療を受けていたことがわかり、
泣いていた母親の隣に黙って座っていたことがある。
あのときは父親が隠し事をしたことに泣いてたんだと思ってた。

458 : 母親の思い出

俺が中学校のとき。
父親が浮気していて、ほとんど家にお金を入れてなかった。

一方、俺は中学になって、周りのダチがオシャレに目覚めて
あれこれ服とか自分で買うようになった。
それまでは母親がダイエーとかで買ってた服を着てたんだけど
なんか恥ずかしいのと、仲間はずれになるのが怖くて、
母親に「俺も自分で服を買いたい」って言ったんだ。

そしたら5千円くれて、
それで心斎橋のアメリカ村に服を買いに行ったんだ。

初めてだったから、なんか舞い上がって
変なズボン買っちまった。

でも、気に入っていつもはいてた。

で、ある日、父親が母親に「髪の毛のセットもせずにみっともない!」
ってののしってたんだよ。

どうも母親は自分の美容院代を俺にくれたらしい。
それで髪の毛をセットできなかったんだ。

今、思い出すとちょっと泣ける。

459 : ここのエピソード見てると母さんに会ってお礼を言いたくなってくる
もう母さん居ないけどね

460 : 女は書き込むな
死ね

461 : スレ違いなのは承知しているけど…

この前近くの神社まで散歩したんだ。
絵馬がたくさんあって、あまりいい趣味じゃないなと思いながらも
いろんな願い事を見ていたんだ。
「受験が合格しますように」「○○と一緒にいられますように」…
そんな中で、一番小さく安い絵馬板に
たぶん小さい子供と思われる字で、

「おかあさんの びょうきを なおしてください」


事情はもちろんわからない。どんな病気かも知りようが無いし。
けど、この子の願いが叶うよう願うよ。
本当に心から願う。

462 : まだ小学校に入る前、(年齢は覚えていない)山の中の一軒家の母の故郷に行った。
山といっても小さな里山で、その山一つと山を下ったところにある田圃が祖父の土地だった。
山には竹やぶがあり、雑木林あり、いろいろや果樹があり、祖父が炭焼きをする炭焼き小屋があり、山羊もいた。
家はかやぶき、電気は来ていたが、ガス、水道無し。
家から少し離れた所に、月見草の花が自生していた。「月見草は花が咲くとき音がなるよ」と母が言ったので、夜、母にせがんで月見草の咲く音を聞きに行った。
暗い中、母と並んで、じっと静かに花の音を聞こうとしていたのを思い出す。
月見草を見るたびにその時のことが思い出される。
この家は能登半島にあるが、だれも住んでいない。後に田圃がダム建設に伴い、買い上げられたので、叔父が町のほうにひっこしたからだ。
「今度の地震でつぶれただろうかねえ。」と年老いた母が先日つぶやいていた。


463 : >460
良スレにお前邪魔だ
二度とくるな!!!

464 : 母は後妻だった。先妻は4人の子どもを残して別の妻子ある男と駆け落ちしたらしい。
そんなところへ、母はお見合いでやってきた。昔の事、30歳を過ぎた母には後妻の口しかなかったらしい。
一応写真を見て2択のうちから選んだらしい。
母親に捨てられた4人の子ども達。当時、11歳、9歳、7歳、5歳。下の2人はそれなりに懐いたが、上の2人は反抗的で大変だった。
その後、兄と私が生まれ、6人の子どもを抱えて母親は苦労の連続だった。父は、真面目でよく働く人のがとりえだが怒りっぽく気難しい人だった。
別に道楽しないし暴力もふるわないが、いたわりの言葉をかけるわけでもない。貧乏に子だくさんだったのもあり、家は母に任せ、ひたすら働いていた。
成長につれ、兄や姉達は、ぐれかかったり、大病をしたり、散々母の手を煩わした。
自分の子ども達よりも常に先妻の子ども達を優先した。自分の子どもを決して甘やかすことがなかった。兄たちの母親が違う事を正式に知らされたのは小学校の高学年だったが、幼いときから、なんとなくそれを察していたので
私は自分なりに母に甘えたい欲求不満を抑えていた。それどころか、母親が何かしてくれようとするのに、遠慮してしまう変な子どもだった。
しかし、いかんせん子供の事、チック症状などが出ていたが。
まだ私が1年生くらいのあるとき、なぜか母と2人のとき、ポツリと母が、「どこか遠くに行きたい」と言った。「私も連れて行って」というと、「いや、ひとりで出て行く」と言った。
その言葉がショックだった。それから家から帰ると、母の所在を確認し、いないと不安で居たたまれなくなるようになった。
しかしながら、母は出ては行かず、苦労のかいがあって、上の兄や姉達にも「お母ちゃん」「お母ちゃん」と慕われ、孫たちも自分の本当のおばあちゃんだと思って懐いている。
父が元気で真面目に定年まで働けたこともあり、経済的にもだんだんと楽になっていった。
今では年金で悠悠自適。しかし、あるときポツリとつぶやいた。「もっと遠慮しないで自分の子ども可愛がったらよかった」
「なんで、叩かんでもいいのに、自分の子ども叩いたんやろう」
甘えられない私も寂しかったが、自分の子どもを可愛がるのを抑えた母は辛かったろう。
その反動もあるのか、今、自分の血を引く孫(自分の息子の娘)を猫かわいがりしている。
それはどうやら「孫を可愛がる」と言うよりも自分の子どもに対する代償らしい。
そんなこともあり、今、私は、母がしてくれることをありがたーく受け取ることにしている。しかし、サプリメントをやたらともってやってくるのは少し閉口しているが。

465 : 俺のお袋は音楽講師をしている(キャリアは長い)ことから小さい頃から様々なコンサートに連れて行ってくれたを覚えている
その事から音楽の素晴らしさを覚えた

466 : 良スレ上げ。
アラシ、スレ違いは書くな!
見てていい気分が萎える!

467 :あぼーん

468 : 俺の母ちゃんは俺が生まれた直後くらいから持病を悪化させて長らく入退院を繰り返し、俺は同居してた婆ちゃんに面倒を見てもらってた。
そのお陰で母ちゃんは俺のハイハイにも初めて立ち上がったのにも立ち会えなかった。

しばらくして、母ちゃんが退院してきた時…
門を入ってきた所を見た俺は、婆ちゃんに一言「あの人だーれ?」って言って人見知りしまくった…
幼児のことながらその場面は鮮明に覚えてる。
母ちゃんも「子供に人見知りされた」って、ちょっと泣いたらしい…


そんな母ちゃんは今は病気も完治して元気に仲良くやっとります。

469 : うちの母親は俺が2歳の頃に離婚し、女手ひとつで子供3人を養うために働きづめだった。
そのせいで母親と一緒にいた記憶もあまりない。どうも母親と俺がぎこちなかったのは覚えている。母親は俺にはそっけなかったから。
その母に年長の頃1度だけ動物園に連れて行ってもらった事があり、帰りにパンダの縫いぐるみを買ってもらった。
初めて母親と2人きりで出掛けられた上に高いお土産まで買ってもらって。
俺は本当に泣きそうな位嬉しかった癖に何も言えず、母親も特に何も言わなかった。
帰りもお互い無言だった気がする。

話はそれだけなんだけど、最近何故か母親がいきなり当時の事を話してワンワン泣き出した。
母親によると、父親と離婚してからは生活する為に働いてばかりで、俺の面倒をちっとも見れずに俺は次第に無口になっていたそうだ。(俺の面倒は歳の離れた姉が見ていた)
そんな俺を喜ばせようと張り切って動物園に連れて行ったが、俺は全然楽しくなさそうで
「自分はいい母親を演じたい為に無理に動物園に連れて行っただけなんじゃないか」
と凄くへこんだそうだ。
オマケに上の姉2人は同性だからある程度理解は出来たけど、男の俺にはどう接すれば良いのかもよく分からなかったらしい。
「あの頃は母さん馬鹿でごめんね」と謝られてしまったよ。
人の記憶って面白いなと思う。あの時俺には“何も言えなかった後悔”が残り、母親には“子供を分かってあげられない悔しさ”が残ったんだから。
素直に言葉に伝えるのは難しいけど言わなきゃ伝わらないんだよな、お互い。
…俺は嬉しかったんだよ母さん。

470 : http://ime.nu/www.chironoworks.com/yuell/html/4-1.html

生きてるうちに親孝行しとけって入力すると、このスレにいけるよ。
この人、今どうしてるのかな?
俺はこの人と話がしたい。
だれでもいいから、これ見て何か思った人、感じた人、これを2チャンネル内で
広めて欲しい。
このスレを立ててくれたことで、どれだけの人が親孝行しようと思ったか。
このスレを立ててくれたことが、どれだけ意味のあるものだったか。
たかが、2チャンネルだけど、僕はこの本人に
このスレを立ててくれて
心からこう言いたい。

ありがとう。

471 : お袋とも思い出は沢山あり過ぎて何を書いたら良いか分からないけど俺は五人兄弟の末っ子で兄弟とは年が離れててお袋は俺を45歳の頃に産んだんだよね
年行ってから産まれたし末っ子って事でお袋には可愛がって貰ったよ

そんなお袋も二年前の六月に末期癌で天国に行きました

77歳だった

親孝行何一つも出来ずにお袋は逝ってしまった

おかん 今まで育ててくれてありがとう

おかんの子供に産まれて幸せでした

472 : >>464
思わず涙が…。
サプリメントはワロタ

473 : 俺こんなこと言ってもアレだけど、母さんを大事にしたい。
中学生時代に荒んだアホだったし、取り柄と言ったらソフトテニスぐらいで、
相当なアホだったから、まともな高校にも行けなかった。
高校時代は真面目に勉強して、指定校推薦で大学も決まってたんだけど、もっとレベルの高い東京の有名大学に行きたくて辞退しました。
高校側、大学側にも大変申し訳ないことをしたと思うし、当然ながら担任は激怒したし校長からも呼び出しをされて、大変怒られました。
担任と進路担当の教師と校長に謝罪しなくてはならないから、母さんと学校に行ったんだけど、
その時母さん泣きながら、その場にいた担任、進路の教師、校長に必死で謝ってくれた。
俺、凄い情けなかった。
自分を本気で愛してくれている、母さんをこんな形で泣かしてしまった自分に。
俺は帰りのバスで母さんの顔さえ見れなかった。
でも母さん俺に、
「浪人してでも行きなさい。
アンタはアホで根性なしやけど、そんなアンタのサポーターになっちゃるから。」
母さんの言葉に涙しました。
久々に母さんの前でおもいっきり泣いた。
それから人が見違えるぐらい勉強した。
現在浪人中です。来年東京に母さんを連れていきたいです。
母さんは俺の誇りです。
日本生まれの日本育ちの俺は、普段面と向かって言えないけど、ここで言わせてください。
「母さん。
親として母さんを愛してます。
こんなボンクラ息子を愛してくれてありがとう。
母さん。
いつまでも健康で優しく、幸せでいてください。」

長文&チラ裏ですいません。

474 : 揚げ

475 : ちっちゃい時肺炎で入院して
毎日母がきてくれた
ある日母はおもちゃを買って来てくれて
そのおもちゃというのがコロコロ転がしてラインがひけるようなスタンプだった
それで遊んでみると不器用だった自分はラインがまっすぐにひけず
それだけで腹が立って「こんなんいらん」と泣きわめいた
それでも母は「ごめんな、お母さんが悪かったな」って言ってた
いまおもえばなんてわがままだったんだろう
退院してお母さんの自転車のうしろにのっけてもらって帰ってるときも
足が車輪にからまってびっくりして「お母さんのせいや〜!」って泣きわめいたり
今でもそんなこと思ってないのに
ささいなことで腹が立って「うっとおしい」とか「だまれ」とか…
ごめんよ親不孝で

476 : >>475 
車輪に絡まった足は無事だったのか?
でもやさしい母さんだなぁー、

477 : 幼稚園のとき、母親が入院した。
毎日、お見舞いに手紙書いていって渡した。
その手紙を母は大切にとってくれてて、
10年後のあんたに見せる(^_^)
って言ってた。
今も持ってるんかなぁ。

478 : >>477
絶対持ってるよ。その手紙はなにより大切だろうなぁ

479 : とりあえずあげか?

480 : age

481 : ホシュ

482 : 幼稚園の頃まで一緒に住んでいた母
俺が生まれた時から体弱かったせいか、丈夫な弟ばかりかわいがってた
俺がぜんそくの発作起こしても、「うるさい!黙れ!」で終了
そんな母に見切りをつけた父(婿養子)は俺を連れて実家に帰った
中学に入ってから久しぶりに元の家族4人で食事をとることになった
嬉しかった
何より、久しぶりに母と話ができることを感謝した
片親だからっていじめられたりしたこともあったけど、負けずに頑張ったよと母に報告したかった
母に誉められたかった
昔のことは完全に忘れていた
母に会えることを楽しみにしていた
食事は楽しく4人で食べることができた
今まで自分に起こった事、勉強した事を母に話した
弟も同じように父に話していた
幸せなひとときだった
それまで離れていた時間を埋めることができた、そう思い込んでいた
帰り際、俺は思い切って母に言った
「また4人で暮らそうよ!今度は大丈夫だよ!」
母は困った顔をしていた
それでも俺は母に頼んだ・・・それがいけなかった
つい焦って母にしつこく言い過ぎたんだ「お母さんと一緒にいたい」って
急に母の顔色が変わり、俺は母に怒鳴られた
「気持ち悪い!やめてよ!あんたがそんな聞き分けのない子だとは思わなかったわ!」
「昔はわたしが命令したらすぐ黙ってた癖に!一人前の口きいてみせてw」
「やっぱり産んですぐあんたが死にかけてた時に先生に頼んで殺しておくべきだったのよ!」
立て続けにまくしたてられ、俺は何を言われているのかわからなかった
だが、最期のひとことで俺はす我に返り、全てを理解した
「あんたなんか…産むんじゃなかった」
それから、母には会ってない

483 : 今夜19時57分〜 『オーラの泉』
ゲストは、人気急上昇中の若手女性芸人・柳原可奈子さん。

1986年、東京都中野区生まれ。
小学生の時にお笑い芸人の道を志し、高校卒業後にお笑い専門学校に進学。
『渋谷109のアパレル系ショップのカリスマ店員』『総武線西船橋駅近辺の女子高生』など、
同世代のよくある風景をネタにデビューするとたちまち大ブレイク!
クラスの人気者が、瞬く間にプロのお笑い芸人として活躍することになった。

明るい性格で人を笑わせることが大好きな柳原さんだが、
幼少期には、林間学校の3ヶ月前から不安に駆られるなど、極度の神経質でマイナス思考だった。
しかし、今は亡き母から教えられた「案ずるより産むが易し」という言葉で、
おおらかな性格へと変わることができたのだという。

今回柳原さんが一番聞きたかったのは、自分を変えたその言葉をくれたお母さんのこと。
過保護なほどに優しく、自分を支え続けてくれたお母さんは、
柳原さんの成功した姿を見ることなく、2年前に病気で他界。
今も心に深い悲しみを抱えながらも、
「実は、母を思い出して泣く事が最近なくなってきたんですよね。
もう声もあまり思い出せないんです・・・。」
強い絆で結ばれていたのに、時が経つほどに消えていく母の記憶。

「忘れてしまう事は罪では無いんですよ。」
愛する人の存在を忘れていく自分を責める柳原さんへ、美輪・江原から愛の言葉が届けられる。

484 : その大切な母親の幻影をあやつる江原という奴は
何者なのか?

俺は江原という奴は罪の深い人間だと思う、本当に。

485 : 宗教板でやれ 気分悪い

486 : 中学の頃、精神的に不安定な時があった。それを察知した母親が「たまには一緒にお風呂入ろうか?」と声を掛けてくれた。正直戸惑ったが、別にまだアソコの毛も生えてなかったから良いかなぁと一緒に入った。

487 : オレは妻がいて、心から愛してはいるが、自分の事を一番大事に思ってくれてるのは母親だと確信している。
こんなオレはマザコンなのだろうか?
心の中では、面と向かってクサイ言葉でお礼と感謝の意を表したいが、出来ない。
多分、一生出来ないだろうが、母親がなくなってから死ぬほど後悔するをだろうな。

488 :    ___        さあ私を楽しませておくれよ!                        _---
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/  ̄            凵P ./::/  /   !  ,,,ノ爻\_ _人 ノr;^ >  )::    :   | ヽ::ヽ Δ            ̄ ̄
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                 /::::/.:  /   | ヽ_  \ )ゝ、__,+、_ア〃 /:::.    |    |  :.|::::ヽ
                /;::::/.::::.. /    |  ヽ、___ ヽ.=┬─┬〈  ソ、\:::.. |   ... |::::::::::.|::::;;;ヽ
               /;;::::/.::::::::/ ....  | ..:::  〈J .〉、| 母|, |ヽ-´  \:::.. |   ... |::::::::::.|::::;;;ヽ
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          /;;__/               y `レl   〈´  リ                    \__;;;ヽ
         //                 /   ノ   |   |

489 : 18の時に地元を離れて働きにでた俺ですが、地元を離れる時に泣かれました。あの涙があったから今でも頑張れる。貴方は私の誇りです

490 : カーチャンは俺が小さいころ(3歳くらいかな)家を出て行った。だから顔も声も記憶にない。
唯一ある思い出は、夕暮れ時カーチャンの自転車の後ろに乗ってたときの思い出。
花柄のエプロンの端っこにつかまって、自転車に揺られてた。夕闇に浮かぶ白い月がいつまでも自分たちを追いかけてくるから
なんでお月様はずっとついてくるの?とカーチャンに聞いた憶えがある。なんて答えが返ってきたかはわからない。
その時の花柄のエプロンと後をついてくる白い月が、今でも鮮明に記憶に残ってる。

491 : 連休中に8年ぶりに実家に帰った。
母さんが小さく、細くなってた。糖尿病の話をしてた。
ひざも良くないらしい。介護保険がどうのとも言ってた。
実家には姉の子供(孫)の写真が飾ってあった。
その中にオレのチビの頃の写真も飾ってあった。

ウチは貧乏だったので、母親はスーパーのレジ打ちや、
近所の公共施設の掃除などしていた。
小学校の時、友達と通学する際に母さんが膝をついて
掃除する姿を友達に見られるのがすごく恥ずかしかった。
いつも遠回りして通学した。
何度頼んでもファミコンも買ってもらえなかったので、
何度もわがままを言った。

どこかに「母の慈愛は海より深い」と書いてあったが、
今想えば物は与えられなかったが、『愛情』は受けたと思う。
姉から聞いた話だが、オレが高校受験の時には合格発表
までの間、毎日夜、神社に行って祈っていたらしい。
留年するしないの時も、警察に世話になった時も、いつも
夜そこで祈っていたらしい。

今は「アンタが母親でよかった」と素直に思える。
ただ、今のオレはどうしようもない。自慢できる事が無い。
上半身スミだらけで、人様に言えない様な仕事をしてる。

だが、明日、上の人間に今の仕事を辞める事を言う。
母さんに「アナタが息子でよかった」と思ってもらう様に
生きていく為に。

492 : 去年の10月から海外留学していて、今月の5月に久々に実家に帰ったんだ・・・・
おいらは1人息子でしかもとうちゃんはもう他界していて女手1つで育てられた
そんなかあちゃんがもう毎日体は大丈夫か?怖い人はいないか?
と毎日毎日電話をくれていたんだ・・・
んで実家に帰ってさっき気づいた・・・・
実家のカレンダー
2月
http://imepita.jp/20080508/343400
3月
http://imepita.jp/20080508/343810
4月
http://imepita.jp/20080508/344430
5月
http://imepita.jp/20080508/344800

5月6日の「おかえりなさい」って俺の帰って来た日だ
何ヶ月前からカウントダウンしてんだよばっかじゃねーの・・・・

(´;ω;`)カアチャン…


493 : >>491
がんばろうな

俺もまっとうとは言えない仕事で生活している
母親は親父に「あの暴れが自分の力で食べているだけで大したもんだよ」って
言っていたらしいけど・・・

俺は自慢の息子にはなれなかったな
ただ母への感謝の気持ちは忘れずにいたい

494 : age

495 : 27年前に父親と離婚し今年60になる母親。
数年前から突発性難聴を患い1人で外出できなくなった。
それでも寝たきりの祖母を介護している。
しょっちゅう親子喧嘩をしているがやはり血のつながりがある母親である。
自宅から3時間もかかる職場に転勤になり、悩んでいたら「無理して体を壊したらどうにもならないから辞めて近場を探せ」と退職を認めてくれた。
金でもあれば祖母を一時的に施設に預け母親の行きたい場所へ連れて行ってやりたいがまだ無理。
今できることは長く働ける会社を探して通うことだけ。
親孝行しないまま逝ってしまったら俺も立ち直りがきかないだろうから何が何でも仕事を探す。
いまできる親孝行はこれだけだ。

496 : お前にはムリw

497 : コン

498 : 俺が稼業の世界へ入ったんで母ちゃんとは絶縁状態だ。
今更カタギにはなれんし、もう二度と会えないかもしれない。

499 : 母親の葬式をするとき=パーティーという鬼畜女のスレ
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/live/1209861942/

荒らしちゃだめだぞ!

500 : 皆さん、いいですね。
僕はよい思い出がないのです。
僕の母は教育熱心でしたが、いまひとつ世間の情報に疎く、自説を絶対に曲げず、
間違いも認めない人だったので、僕に地元の旧帝大に入るよう毎日のように言い続けていました。
僕はある教授のもとで勉強したかったので、某私大を密かに志望していたのに、それすら認められない
雰囲気だし、では旧帝大でも地元ではない(もっと上のレベルの)学校を受けようとしても、それなら地元
で十分というような価値観を押し付けられ、とにかく逃げたかった。
それで地元の旧帝大を受け、滑り止めに実は第一志望という私大を受けることで妥協をはかり、
旧帝大の二次試験では3科目とも問題を半分しか解かずに答案を提出することで、地元脱出&母の元からの
逃走を果たしました。
その後も交際相手や就職でも色々な干渉を受け続けましたが、冷たく振り切って今の人生を勝ち取りました。
思い起こせば小学生の頃から遊ぶ友達のことまで口を出され、読む本も限定されるなど、僕の生きる環境は
厳しいものでした。中学生の頃には近所の同級生の女の子と仲が良かったのですが、その子の親のことが嫌い
な母は何かにつけて僕と彼女の間を引き離そうとしました。だから意趣返しのつもりもあって、高校時代は
その子と交際して、母とはかなり険悪になったこともあります。

501 : 他に適当なスレッドがあったので、そこに書きましたけど、
高校時代に交際した女の子については、実はビキニショットとか、
ブラがバッチリ透けている写真とか撮影して持っていました。
それを母親に捨てられたことがある。そのときも俺はかなり怒りました。
だが母親はいかにも俺のためと言うようなことを言ったのです。
「だってKさんに見られたら、 あなたが困るでしょう。」
Kさんというのは高2のときの僕の彼女です。母は前の彼女のセクシーな写真を
今の彼女に見られたら、僕の立場が無いから、それを慮って私が処分した、と
言ったのです。


502 : ここまで干渉する親というのはどうなのでしょうか?
たぶん母は前の彼女との交際を何とかやめさせようとしていましたから、たまたま
僕と彼女が別れたのを喜んだのでしょう。でも写真が残っており、それもちょっと
Hな雰囲気だったのに嫌悪感を抱いたに違いないのです。
高2のときの彼女とは僕の部屋でキスしたり、それよりも少し進んだ行為に及んだ
こともありました。母は女性同士ということで、それを彼女から感じ取ったに違い
ないのです。家に来る彼女に「男の子の部屋に二人きりでこもったりして、親は
何も言わないの?」とか「うちの子(=僕)がもしKさんに間違いをしでかしたりする
と申し訳ないわ。」などと言うので、Kが僕の家に来るのを嫌がるようになり、それが
別れの原因になりました。「●(=僕)のことはまだ好き。だけど家に行くとお母さん
が色々言うしね。きっと私と●がつきあうのに反対なのよ。」という彼女に僕は何も
言えませんでした。その頃の僕はそれを母に対して怒っても、はぐらかされることを
知っていたし、却って「そんなことにかまけてないで、■大学(旧帝大)に入るために
勉強しないと・・・・」といわれるのが解っていましたから、何も言いませんでした。


503 : 高3になる前に後輩から交際して欲しいと言われて、彼女がいい子だったのもありますが、
「あんたが妨害しても俺は女の子とつきあうぜ!」と無言で言い放つ意味も多少あって
OKしました。そのときはKの写真(これにもセクシーショットが少なからずあった)もみつ
けられることなく、また後輩の女の子は僕と同じ高校で有名大学に進むために勉強している
子だったので、強い反対はありませんでした。それでも「Sさんはまだ受験が近づいていない
からのんびりできていいわね。」と嫌味ともとれる言葉を発したことがありました。
僕は過去同様にSにも自分の部屋でキスしたりもしました。
私大入試が終わって、手ごたえがあったので、旧帝大の二次試験の勉強をすると見せて、
彼女を初体験させてしまったりもしました。その日に私大からは合格通知が届いたというのも
ナイスでした。


504 : Sには僕の思い(私大に進みたいことと母の元を逃げ出したいということ)を伝え、
二次試験のことは気にせずに遊びに来るように言いました。それは彼女を愛おしく
思う気持ちからでしたが、もうひとつは性欲のためでした。彼女も自宅学習期間に
なっている僕に会いたいがために、毎日帰りに寄るようになりました。
母が家にいても僕たちはセックスすることもありました。
こうして二次試験を迎え、僕は>>500に書いたように意図的に不合格になりました。
ところが母は僕の不合格の原因をSの毎日のような訪問にあると言い出したのです。
Sを庇うために真相をぶちまけようと思ったことはありましたが、Sがそれを止めました。
下手をすると私大入学のための入学金等を出してくれなくなるというのです。彼女の諫言を
僕は受け容れましたが、Sには本当に悪いことをしたと思いました。
そんなSを僕は益々愛おしく思いました。僕が郷里を離れるため、一応はSにお別れだと言いました。
Sは泣いていましたが、距離が離れてはうまくいかなくなるということを僕はわかっていて、Sにそれ
を説き、身近にもっと素敵な男性がいれば交際するように言いました。僕はSが好きだけど、そうする
方がSにとっても幸せだ、と。


505 : 僕は大学に入ってからも暫くはSのことを想っていましたが、Sからは連絡がないし、僕も自ら別れを
告げた以上は連絡することは出来ませんでした。6月くらいの合コンで知り合った他校の女性と交際
するようになり、夏休み頃にはお互いのワンルームマンションを行き来する仲になり、
後期からは半同棲状態になっていたのですが、母はそれを察知したらしく、深夜に電話をかけてくる
ようになりました。彼女の部屋にいて、自分の部屋にいなければ「何日はどこに行っていたのか?」と
しつこく尋ねるし、反対に彼女が来ていると何かを感じるのか、なかなか電話を切ってくれませんでした。
冬頃には彼女がそれに恐れを抱いたようで、僕たちはうまくいかなくなりました。
冬休みは仕方なく帰省し、かつて交際したK1(高1のときの彼女で、彼女もイニシャルがKなのでK1と書
いておきます)と再会してデートしていたら、街中でバッタリ母に会ってしまった。そのときも
寒い中なのに延々と立ち話でK1に色々話しかけ、ほとほと疲れました。


506 : 冬休みが終わる頃にSの友達から連絡があり、Sが会いたがっているというので、帰省先を引き上げる日の
前日に会いました。彼女は今も僕を愛していて、同じ大学に進むというのです。でもそれは僕と同じ大学
に行きたいというだけの理由ではなく、英文科の某教授の著書に感銘を受け、絶対にその先生から習いたい
と思ったという理由が第一でした。
僕は嬉しかったのですが、母がそれを知ったら何をするだろうと思うと気持ちが暗くなりました。
だがSは見事に合格し、僕の住むワンルームマンションから歩いても5分とかからないところに住むことに
なりました。彼女の両親は僕が傍にいることで安心だと思っているようで、僕に娘をくれぐれもよろしく、
と言うのでした。
こうして僕とSは早速半同棲状態になってしまったのですが、その年の前期にはSが僕と同じ大学に進んだ
ことは母の知るところとなりました。母は「SさんもX大学に入ったんだってね、知ってるの?」と電話を
かけてきましたが、既に僕のすぐ近くに住んでいるという情報も握った上で牽制球を投げてきたと感じた
僕は彼女の部屋が歩いて3、4分しかかからない場所にあることや、よく一緒に(本当は毎日)夕食を食
べていることを堂々と話しました。「何かあったらSさんのご両親に申し訳ない。」という母に「何かって?」
とわざと突っ込むと「男女の関係になったりしたら、土下座ではすまないでしょう。」と真剣に答えたので
「じゃあ指でも詰める?」と僕はからかったのです。「もしそんなことになったら死んでお詫びしないと。」
という母に僕は異常なものを感じました。それから母はまた毎日のように電話をかけてくるようになり、僕は
勉強の邪魔だからやめてくれと頼みました。
夏休みに二人とも帰省しないと母に二人の関係を察知され、とりかえしのつかないことになると恐怖を感じて
いた僕は彼女を時間差で帰省し、1週間で大学のある街で戻りました。彼女も二週間程度で戻ってきました。


507 : 二人で毎日を過ごすようになったものの、いつか母が現れるのではないかという恐怖感は
消えませんでした。
たしか10月初めで暑い日でした。僕がたまたま友人に会いに出かけるため、某駅に行ったとき、
そこに母がいるのを見たのです。僕の部屋にはSがいて、彼女はかかってきた電話には出ないこと
にしているため、彼女に避難するように伝える術はありません。僕はすぐに地下鉄に乗って引き返
しました。Sをすぐに帰らせ、だからといって母を泊めるなど絶対に避けたいことだったので、
僕は友人に事情を手短に話して彼の家に避難することにしました。母がSの部屋を訪ねる可能性も考え、
僕の持ち物を隠させ、さらに僕の行き先を全く知らないというのも白々しいので、
僕はサークルの合宿で留守らしい、というように答えるようにさせました。
果たして母はSを訪ね、僕と会っているかなど根掘り葉掘り尋ねたそうです。
僕がいないので、日帰りすることにした母をSは駅まで送るなどして、
うまく誤魔化してくれました。
お陰で翌日には僕とSの平和な日常が戻ってきたのですが、母は電話で
「Sさんは暫く会わないうちに色っぽくなっていた。」とか「女っぽさが
出すぎていて感じが悪くなった。」など好き放題に言うので、遂に切れた僕は
「お母さん、女性も男性と関係を持てば色っぽくもなるでしょう。」と言って
みたのです。それで全てを悟った母は「わたしはもう外を歩けない。」とか
「Sさんのご両親にお詫びに行かないといけないから帰ってきなさい。」と言うので、
この年齢になって交際していれば、普通にそうなること、それが世間一般の常識だ、
ということを言い、電話を父に代わってもらいました。父には母がそのことを伝えているらしく、
父が出るまでには時間がありました。父は「そうなのか?」と問うので「うん。」と答えました。
「俺は安心したよ。オマエがマザコンで女性とうまくつきあえないかもしれないと心配したりし
ていたんだからな。」と父は僕の味方でした。「いえいえお父さん、僕は高校時代からしっかり
女性とはおつきあいしていましたよ。」と言う僕に「よし、それなら心配ないな。オマエ、初めて
はいくつのときだ?」と尋ねる父に母が何か言っているのが聞こえましたが、僕は「17だったよ。」
と言うと父は母の耳を意識してか「そうか17か。よしよし。後は俺に任せておけよ。」と電話を切りました。
そのときSが睨んでいるのに気づきました。「17って、誰とだったの?」と暫くは解放してもら
えませんでしたが、Sもそれはそれで仕方が無いと思ってくれたのか、大きな問題にはなりませんでした。
冬休みには堂々とSを自宅に連れて行き(Sは嫌がっていましたが、開き直ったようです)、
母はもう何も言いませんでした。ですが父との間が険悪になっているようでした。


508 : それから14年がたち、父が膵臓癌で入院したとき、母は一度も見舞いに行きませんでした。
父の付き添いは全て僕と僕の妻(Sではありません)任せでした。
父の葬儀は遺言により親族だけで簡素に行い、それを終えたときに僕は母に言いました。
「今日でお互いの人間関係を終わりにして下さい。父がどれだけ寂しい晩年を送り、
つらい死に方をしたか、あなたにはわからないでしょう。ご自分で経験して頂くほか
無いと思います。」と僕は他人行儀に言い、妻はもう僕を止めることができないと悟っているのか、
そっとその場をはずしました。伯父伯母からは僕に非難の言葉が出ましたが、
僕はその思いにいたる経緯の全てを時間をかけて話しました。妻との結婚も母に
妨害されそうになったこと(「相手がSさんなら大賛成だったのに」と言われたことがあります)、
新居を構えるのに一度たりとも援助を受けていないのに、援助しているかのように親戚には言った
ことなどに対する腹立ちもありましたが、それまでの異常なまでの干渉を今日、この機会に
断ち切りたいという思いで僕はあえて淡々と喋りました。
親戚の中には僕の言葉に理解を示す人もいましたが、多くは「親に対して縁切りなど子のする
ことではない。」と僕を非難していましたが、それ以来僕は母と没交渉です。妻にも連絡をと
ることを堅く禁じています。
妻もいやな思いをしているはずなのです。結婚して2年目に「早く孫を見せてくれないと」とか
「産婦人科で一度検査してもらいなさい。」という配慮の無い言葉を浴びせているのですから。
僕としては母の遺伝子を僕の代でを終わらせたいと思っているので、避妊していたのですが、
妻もそれを母に言うわけにはいかずに我慢していたのです。
みなさんが母親に抱く思いを読むにつけ、僕はどうして「親子の良縁」に恵まれなかったのだろう
と悲しくなり、長々と書いてしまいました。

509 : >>500 つらいね。

510 : >>500
もう許してあげなよ

511 : ROMっていましたが書き込みます
昔は母の遺伝子を引き継いでる事に恨み、僕の代で終わりにしようと考えていました
体が弱いのに立派で出来の良い姉と比べると僕自身早く消えてしまいたい気持ちもありました
それでも今、産んでくれた母親に感謝し、いつか会いに行きたいと思っています
自分と自分の環境を責めるというのはどこかで自分が許せない誰かを責めている気がするからです
500さんも頑張ってください

512 : 引き出しの奥の方に半分使った履歴書があった。それを見た時私も頑張ろうと深く思った。
今の私が生きてられるのはお母さんのおかげだよ。お母さんありがとう。

513 : 妹が産まれる前の二年半は
わたしがお母さんを独り占めしてたなぁ。
妹が産まれてからは、嫉妬と孤独を知り、少しだけ大人に近づいた。
その頃から人見知りが一層激しくなったような。

まだ一人っ子だった頃(もしかしたら違うかも?)、
商店街で迷子になった。
人懐っこくなかったわたしは、周りの大人に相談しないで
不安な顔で母を探しまくった。
ある店先のおじさんが、同情の笑顔でわたしを見ていたのを覚えてる。
わたしはそのことすら腹立たしく
ただ母を探しまくった。
暫くすると母がわたしを探しあててくれた。
その瞬間にわたしは号泣した。
母はわたしを抱き上げて、笑いながら慰めた。
わたしに同情の目を向けていたおじさんがわたしを見ていたけど
わたしは構わずに泣き続けた。

このことを思い出すと、どうしても泣けてくる。

大人になった今でも全然変わらない、
わたしはお母さんの前では
ほんと、ただの甘えたがりの娘っ子です。

514 : 父が若くして死に、母子家庭で金がない中で、
いろいろと日帰りでドライブに連れてってくれたカーチャン。

ある日、海で遊覧船に乗ろうということになり海へ。
「遊覧船をバックに写真撮ってあげる!」とカーチャンは
いそいそとカメラを取り出し、後ろに下がったその時。

ドボーン!

後ろを見てなかったカーチャンは、後ろ向きに埠頭から海へ落っこちた。
「ギャー、カーチャンが落ちたあああああ」と叫ぶ私。
泳げないカーチャンは全く浮かべず、手だけが水面からバシャバシャと突き出すのみ。
私の叫び声で遊覧船を操縦してるお兄さんが慌てて船から飛び出てきて、
その辺にいたオジサンと一緒に海に入ってカーチャンを助けてくれた。
カーチャンは意識はしっかりあり、顔をこすりつけて抱きつく私の頭を、
「ごめんごめん」といいながら濡れた手で撫でてくれた。
私は安心しすぎて、母に抱かれながら涙と一緒に盛大に尿を漏らした。

このことをカーチャンは、今でも時々親戚やお友達等に
「あの時○美がオシッコ漏らしちゃってねえ〜」って言ってのんきに笑ってる。
でもカーチャン、私マジでこれから一人ぼっちになるのかと思って
ホントに焦ったんだよーー!カーチャンまでいなくなったらどうしようって。
笑い話じゃないんだから!もう!!


515 : 大好きだったお母さん。
私が大学卒業時に病気で亡くなりました。
お姉ちゃんもお兄ちゃんもお父さんもお母さんも病気のこと私に黙ってた。
私はとてもワガママで世間知らずで最悪な娘だったと思う。
お母さんが末期ガンで介護をしてた時、どうしてめんどくさいって思ってしまったんだろう。
あんなに私を愛してくれた人だったのに。私最低だった。


社会に出て世間の厳しさを知って初めてお母さんが私をたくさん甘やかしてくれて守ってくれたんだとひしひし分ったよ。

当時お母さんの愛情が当然だと思って口答えしてた私バカだ。無償の愛なんてなかなかないのに。
お父さんの浮気や暴力に耐えて私とお姉ちゃんとお兄ちゃんを育ててくれたママ。ママが頑張って働いてくれたからみじめな思いしたことなかったよ。

お母さんに会いたい。
お母さん、私頑張ってるよ。
お母さんの大好きだったメーカーで働いてるよ。
お母さんに今の私を見せたい。あんなダメだった私の変わった姿を見せたい。


ママ、ごめんなさい。
ママの生きてるうちに頑張ればよかった。


涙が溢れて文章めちゃくちゃでごめんなさい。


長文スマソ

516 : >>515
今では立派な2ちゃんねらー

517 : お前もな

518 : ここ見て母親に手作りのものを作ってもらってる人羨ましい
家の母は料理も裁縫もまったくやらず、やるのはたまの掃除(庭掃除は祖父に
掃除機は父にかけさせる)
弁当は祖父が亡くなってから中学高校6年間自分でつくった
6年間一度も母親が作ってくれたことがなかった
ただ中三のとき、みかねた父方叔母が「料理できなくてもサンドイッチ
くらい作ってやれ」
といってくれて月に1度思い出したようにサンドイッチを作ったくらい
(しかも下手も取ってない、切りもせずはさんだまんま)
幼い頃は可愛がってくれた時も会ったし、具合が悪くなったときは心配
してくれたけど、まともな母親じゃなかったなあ


519 : 自分に娘が出来て大きくなっても可愛くて仕方がない
そんな自分を省みると、いかに母が私を可愛がってくれなかったか
気にも留めていない、無視してた軽い存在だったんだなあ、とわかる
娘のために苦手でも裁縫やって指を突いたり、ミシンで怪我してる
でも娘のためなら大丈夫(料理は大得意)
そう思うと、
母→私への愛情は50%くらいしかなかったな
私→娘へは90%くらいあるけど・・・・

母は私のためにほうれん草1つゆでられなかった
台所仕事が大嫌いで叔母に怒られても逃げ回ってた
明らかに母親失格な女だったんだなあ・・・

520 : 消息がつかめてきた母親
親という存在は変える事ができないし
楽しかろうが辛かろうが一緒の時間を過ごした人間
貴重な時間だと思ってる
自分の命を守る事で精一杯で視野の狭かった僕から見えていたものと
今現在の自分から見えるもの
その違いを埋めるため、許しあえなくてもわかりあえなくても
死ぬ前に一度会っておきたいと思う
出来るものなら泣き笑いながら話をして別れたい

あなたが産んでくれなかったら僕はここにいないんだよ
5月の休暇に、僕がもっと前に進むためにもあなたを探して会いにいきます

521 : 母ちゃんとの思い出か。

幼稚園くらいの時かな。
兄ちゃんがいなかったから幼稚園を卒園してちょっと長い春休みを過ごしていた頃かもしれない。
その日は良く晴れた日で、部屋に差し込む日差しがすごく暖かかった。

母ちゃんが私と遊ぶと言う事はあまり無かった。
自営業だったので家にいても仕事があって、さらに家事で忙しかったし、
何より私は赤ん坊の頃から一人で遊ぶような子だったから母ちゃんは私から目を離す事はしなくとも
私に積極的に構うような人ではなかった。

だけれど、その日は私は玩具の縦笛を持って母ちゃんの所へ行ったんだ。
「ママ、わたし、ふえをふけるようになったんだよ」
そう言って、家の中で一番日の当たる場所に二人で並んで、ぴーぴーと笛を鳴らしていた。
自分では吹けているつもりだったんだろうけれど、今にして思えば指で押さえてもいないし、
リズムもめちゃくちゃだったろう。
でも、母ちゃんは「良く出来たね、上手いね」って褒めてくれた。
嬉しくてその日は母ちゃんが夕飯の支度に取り掛かるまでずっと母ちゃんの側で笛を吹いていた。

もう20年以上昔の話だけれども、母ちゃんがすごくすごく笑顔でいてくれたのを覚えている。

522 : 結婚して、母になろうとしている今、
母ちゃんがどうしてこんなに笑顔になってくれたのか解る。

生まれてくる子が、私に甘えて来てくれることを思うと、
今からでも幸せな気分になれる。

本当はもっと甘えて欲しかったんだよね、母ちゃん。
ごめんね、兄ちゃんがいつも母ちゃんといたから、
私は一人でいる方が母ちゃんにとって幸せなんだって思ってたんだ。

母ちゃんは、私が一人で遊ぶ事が好きなんだって思って、遊びたいのに遊べなかったんだよね、きっと。

母ちゃん、もうすぐ子供が生まれるから、そうしたらいっぱい遊ばせてあげるから。

もうすぐばあちゃんって呼ばれるね、っていったら少し複雑な表情をして
「あんただってすぐそう呼ばれるようになるのよ」って言った母ちゃんの笑顔は
あの日と全く変わってなかったよ。

523 : 今日もまた、50過ぎた両親が、祖母の悪口言ってる。
昔、祖母の行動が、如何にストーカじみてキチガイだったか、など

私から見たらあんたらも充分あたまおかしいし、子供に対しても精神的ストーカーだよ。

てか、旦那が姑の悪口を言い出したら、
たしなめるのがマトモな妻だろw

便乗して一緒になって悪口言ってる時点で、二人とも、親離れできてないしw

しかも 母の方は実家の母を引き合いに出していつも
「うちの母も変わっているけど、姑の方が、もっと異常だ」という事をいう。

私から見たら 母方の祖母も、負けず劣らずのキチガイなのに、

未だに共依存から抜け出せていないのか、いつも実母を擁護するw

つい最近でも、カウンセラーに「わたしは子供頃は母に虐待されていた」とか言って、
号泣してたくせに 姑を叩くときはいつも実母をかばうww

未だに母の愛を求めている、自覚のないメンヘラーは怖いね〜。


524 : 共依存人間が
親離れもできていない状態で、
親の意のままに結婚して家庭持った、

当然その子供はマトモに育たない。精神的に未熟で幼稚な親そっくり。
ヒキコモリの完成。


525 : クソ親が何でもかんでも私のせいにしてくる
なんなんだあいつら


犬が喧しいから注意したら虐待したという

廊下でギャアギャア吠えていたからわざわざ注意しにいったのに
お前が虐めたから吠えていたんだとか分けの解らない事を言ってくる

526 : だめだやっぱり親を殺したい


あいつ今日 殺しに来るかも


お前は近いうちに猫殺しになるといわれた


ババァの顔をハサミでメッタ刺しにしてやりたい


今日は部屋にカギかけてねよう
あいつにだけは殺されたくない


色々迷っていたけど今日のあいつの態度で決まった。
手遅れになるまで放置しておく。私が死んでから血の涙を流せばいい。




527 : 順調(に見えるだけでも)な母子関係の幸せが羨ましい。

528 : 俺が小学校に上がりたての頃の話です。

近くの公園で一人で虫取りをしていたら、母が、
「○○(俺の名前)、ちょっと良い?」と、俺の手を引く。
突然の事に、「また怒られるな…」などと考え身構えていると、
「怒られると思う?」と笑いかけてきた。
俺は不思議に思いつつも頷き、母が話すのを待っていると、
家に上がり、子供の部屋の前まで連れて行かれた。
そして、「(戸を)開けてみ?」と促す。
言われた通りに開けると、そこには新品のデスクがあった。
俺は飛び跳ねながら、どうしたのかを尋ねると、笑いながら、
「これからいっぱい勉強しいや。」
と言うだけだった。



そして今日、その机を捨てた。
ホントは捨てたくなかった。
でも、かなり痛んでたし、引っ越し先には持っていけないという事で、諦めた。
もう二十歳になるんだから、この程度で泣いちゃいけないのは解ってる。
でも、なぜか涙が止まらないんだ。
子供の部屋の戸を開けるように促した時の、母さんの笑顔が頭から離れないんだよ。


スレの趣旨からズレてすまん。
そして、机さん。13年間ありがとう。

明日は母さんの肩を揉もうと思う。

スレ汚しすまなかった。
どうしても、どこかに書き込みたかったんだ。

529 : >>528
良い子に育ったね

530 : >>528
お母さん大事にしなよ

しっかりしてんだかへらへらしてんだか分からん人だった
たいていはしっかりしてたけど
もう一度母親のご飯が食べたいなあ
自分で作ってもふーんとしか思わないし
お袋の味が一番美味いよ
何で入院なんかさせたんだろ
助からないなら家で一緒に居れば良かった
お母さん、ごめん

531 : は?

532 : ありがとう

533 : t

534 : ない

535 : 幼い頃に父を亡くし、母子家庭になった。
仕事に忙しい母に無理を言ってバスに30分乗って花火を買いに行き、二人で色々な花火をしました。
小学生時代の思い出です。
その母も最近天国に旅立ちました。寂しくて仕方ないです。

536 : おまっ・・・ちょ・・(´;ω;`)
もし、友達いないなら飲みくらいつきあうぞ!いや、花火か?


537 : >>536
有り難う お酒は飲めないんです。
花火は毎年8月最終日曜日の夜の、年1回の贅沢でした。


538 : >>535
せつないな。
カーチャンの墓前に、自分はなんとか元気でやってるよって報告できるといいな。

539 : 私が中学の入学式を迎える数日前に母が男と出て行ってしまった。
私12才、弟9才。
父は単身赴任者で半年に一度しか帰って来ない人だった。
父母離婚後、父の実家へ兄弟共に友達1人いない田舎住いに、
しかも弟は馴染めない学校に行きたがらず、祖父がよく弟に
その事で殴ったりもした。
祖父母は私にはまぁ優しかったが、弟の事は嫌っていました。
相変わらず父は単身赴任で我関せずな人だった。
正直相当私には辛い時代だった。

私が高校受験の頃には父も帰ってこなくなり
単身赴任先に内縁の妻がいる状態。
弟は立派にグレて地元の不良達と付き合いだし、祖父母は苛立ち
父に再婚して私達を引き取れとよく電話してました。
父にはその気が全くなく、母に連絡して子供を引き取るように
説得したそう。
でも母もその頃には再婚して子供がいた為、母もしぶり
弟だけを引き取っていきました。

540 : 私は祖父母の家に残り高校に通わせてもらい
卒業後は札幌に出て仕事をし1人くらしを始めました。
父には高校卒業後「酷い父親ですまなかった」とだけの手紙と
少しのお金だけでその後会う事もなく、
母とは弟が引取らててから、在学中にたまに電話があるだけでした。
会いたいと母から言われた事もありましたが、
父に捨てられ母に2度捨てられで私はもう親に会う気など
ありませんでしたから。

札幌に暮らし始めて最初の冬に病院から母が怪我をしたと
連絡があり、仕方なく会いに行きましたが、その時は正直弟の事で
頭が一杯でした。
母は一言も言いませんでしたが、案の定弟は引取られた先で
母と養父に暴力を振るっていたようで、遂に母に怪我を負わせたかと
それが心配でした。

541 : 母はろっ骨を折って入院していました。
それ以外にも弟に殴られた痣があり、かなり痛々しい姿でした。
弟はもうすでにお金を持って逃げてしまっていました。
母も養父もその事で弟を通報する気も、責める気もないと言いました。
全て親である自分のせいだからと。

その時少し母と別れてから数年ぶりに話をしました。
母の再婚相手の事、母に聞かれるまま、今の生活などを話し
別れました。
その時別れ際2度と言うまいと思いましたが、
「お母さん、それじゃぁ」とだけ言いました。
すごく恥ずかしくて、言ってすぐ後悔しました。
やはりまだ憎かったし。
母は少し照れて笑って「それじゃぁ」とだけ。

その後母とは数回電話しただけで2度と会ってはいません。
もう10年近く経ち会う事もないと思います。
弟はその後違う傷害事件で逮捕、今も服役中です。
「お母さん」と言った事しばらく後悔しましたが、
今は一言言えて良かったかなと思っています。

長文で失礼しました。

542 : そりゃ弟さんグレるのもしゃあねえべ

543 : 60歳の母親に、帰りに何か飲み物買ってきてくれとお願いしたら、
「了解(`▽´ゞ」って返信がきた・・・

こいつなめとんなwと思ったw

544 : いやな奴だが“母”なんだよな

選べない家族は残酷だ

545 : 保育園のときお母さんの似顔絵を描いた鏡を渡してそれからは化粧の時とかずっと使っていてくれたなあ
離婚してもう会えないけどなんか今日ふと思いだして涙出たわ
お母さん元気かなあ

546 : 永田匡子とかいうバカ母親は

人がパソコンのウイルスやスパイウェアのことやそれの駆除ソフトやアメリカで一大シェアの有料駆除ソフトの話とかしてるのに

頭がバカでアホで勘違いし過ぎているから それをちゃんと聞く能力がバカ過ぎてない

バカなやつと話してるとバカ過ぎてストレスたまるんだよ

だから言わせてもらう、死ね、死んじまえ!

547 : 今日 早朝の無礼な時間に家のチャイムが鳴った

郵便配達かと思って急いで部屋を出たがそうでなかったらしい

そもそもロングスリーパーの俺は そこで 変な起こされ方をされる時点で 半端ない怒りが生じる

そうしたら 下で 永田匡子とかいうクズでバカでアホが でかい溜息をついて こっちに 何かを知らせようとしたらしい

しかし 溜息などという 無礼を平気で働くというのは俺は絶対許さない

そもそも無礼なやつはゴミとして扱うが

そのなかでも溜息などという言動ほど無礼なものはない

だから言わせてもらう、死ね、死んじまえ!

548 : 永田匡子とかいうクズでバカでアホなやつが 俺のいないすきに 人のワード文書を勝手に盗み見

するなどという犯罪行為をしやがった ふざけるな!人をなんだと思ってやがる!プライバシー侵害だ!死ね!


しかもさらに思い出しムカつきをしたのだが おそらく 他人に必要とされないと自分がわからなくなるというタイプの反社会性人格障害のクズ兄と共謀して

俺のベッドに味噌をたらすなどという犯罪行為もした

悪さをした分は鉄槌がくだるのが世の中のだいたいの力学だ、だから言わせてもらう、死ね!

549 : 永田匡子とかいうクズでバカでアホが

今日 ニュースの トラウマの話をみてたら

それを遮ろうとしやがった

現実を直視できない

トラウマから100%目をそむけるような態度は セカンド・レイプ だ

そういう精神障害者を丸出しにするようなクズは死ぬべきだ

550 : 永田匡子なるクズが ついに 今日 認知症の症状が重症化した

人の家での服装にエキセントリックないちゃもんをつけ


そんなんだったら ブラジャー一枚でいようか などという

背筋が凍るレベルをはるかに超えた 気色悪い 発言を した あまりに 気持ち悪い


早く 重症の 認知症の隔離施設に 入れるべきだ

551 : 永田匡子なるクズでバカでアホが

気持ち悪い 鼻歌 歌ったりし続ける

早く 隔離病棟に戻せ!

552 : 永田匡子なるクズでバカでアホの精神障害者は

名医にQレベルの内容すら理解できない知恵遅れぶりだ

俺が見てたらわざと逃げやがった 不快なんだよ

現実をみれないクズ

お前みたいな白痴は死んじまえ!

553 : 永田匡子なる精神障害者が

精神障害の 思い込み発作で

俺の シャツをわざと隠しやがった


お前早く死ね、死んじまえ!

554 : 永田匡子なる精神障害者に

新聞のドン・ジュアンの所をベン・E・キングのとなりにあって

ベン・E・キングみせるふりして これみろみたいな ネッチリズムの

遠回しの嫌み攻撃された


そういうのやめろって言ったのに 頭の障害によって また障害行為を繰り返す

お前 頭にドリル三か所開けてそれかよ

もう 死んだ方がいいよ 死ね、死んじまえ!

555 : 何を勘違いしたのかは知らないが

ゴミ母親に以前朝日新聞の男性型脱毛症の記事みせられた これなどと


勘違いしないで欲しいのは そういう変な自己満足は死んだ方がいい



それに 新聞をまともに読むことができないやつがやることでもない 勘違いするな

死ね!

556 : 永田匡子なる殺人犯がまた殺人を連発している

俺は循環器の人から 心臓との関係で 塩分はあまり とらない方がいい

と言われた それはたぶんあたっている

それは 永田匡子なるバカにも伝えた


にもかかわらず 塩分まみれ 塩分過剰の食事をオンパレードさせ 毎回 塩分の濃い

味噌汁を 強引に強要してくる


俺がここで思うのは あいつは 殺人に快楽を覚えている ということだ


わざと あえて 塩分を盛り込みまくることによって 俺の心臓にダメージを与え

俺を殺そうとしている


早く 殺人罪で刑務所に入るべきだ

ふざけるな、死ね、死んじまえ!

557 : 永田匡子なるクズでバカでアホの精神障害者は

人が一時的に病気になっても その現実を そんなのない などと 思いこもうとし

病気だったら 普通はKEIKOを小室てつやが看病するようなのが人間として

普通のはずなのに

病気で苦しむ人間に セカンド・レイプをし続ける セカンド・レイパーだ

殺人未遂者だ

しかも、適切な医療情報を常に俺から隠蔽して 俺を殺そうとする始末だった

殺人未遂だ 俺はあいつを殺したい 復讐として殺したい


早く刑務所に行ってのたれ死んじまえ、死ね、死んじまえ!

558 : もう亡くなったけど
ぐうたらな母親だったな
良い思い出と言えば、小田原城に連れってもらったくらいかな

559 : 永田匡子なるクズでバカでアホの精神障害者に 俺はずっと苦しめられてきた

親があんなだっていうのが悲劇としか言いようがない


あのバカは頭が悪過ぎて 新聞すら読む能力がない

だから 俺が新聞読んでるのをひがんで バサバサ新聞めくってるのは変だとか

わけのわからない いちゃもんと 足の引っ張りを最近は行いやがった 死ね!


思い出したのは高校でのサッカー部の時 連絡網が家にきて 電話は あいつが とって

次に回したらしいが その情報をあえて俺に伝えず 確信犯だ

俺はその後 大変な 思いをした


それを思い出して 今 あいつを 殺害したい


大学受験の時も 入試で受かられたらまずいを思われ

大事な入試の 前日に お茶だ などと 差し出されて 少し 飲んでしまった

頭が痛くなったし眠れなかった

後で確認すると 大量のカフェインと わけのわからない 物質が混入されていた

その試験受かったが 俺は親からのドメスティック・ジェノサイドの中 なんとか やり抜いた
でも その妨害と足の引っ張りの日々 を思い出して 復讐としてあいつを殺害したい 殺害 殺害 殺害

560 : 毒親はやく死んでくれないかなぁ・・
ちょっと喋っただけで全身の血液が逆流するし傍に寄られるだけで
怖いし気持ち悪いし

だれかあのババァの顔メッタ刺しにしてこの世から
というか私の記憶から存在を消してくれないかなぁ・・




561 : このスレまだあったのかぁ

母さん、幸せだったのだろうか
あれから6年しか生きられなかったのか、
あれから6年も生きてくれたのか、
どっちなんだろう

幸せだったと思ってくれていたらそれでいいんだけどさ

562 : >>539
この書き込みよりもっとずっと前に
「大切な人に2回捨てられた、もう会う事もないと思う、
その人が教えてくれたあやとりを指が覚えてた」
みたいな書き込みをした事ないだろうか

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564 : 親子のつながり、思い出を大切に
泣ける番組




565 : 昔は、どこの家もこんなトイレだったよね。
中学1年の頃、親友の岡原君の家に遊びに行って、
岡原君のお母さんがトイレで用を足してるとこを、
知らずにドアを開けちゃった事があったな…
まさにこの写真みたいな光景だったw

そのあとどうなったか詳しく教えてください

高級住宅どころか取り壊し寸前の廃墟のトイレに見える
訳わからんスケベ遊びしていると幽霊出てくるぞ

僕が、岡原君のお母さんが用を足してるとこを、ドアを開けてしまった時、
お母さんは悲鳴を上げるとか、そういう反応ではなく、「や…ッ!」
(「嫌だ」という意味?)
と口にしてこちらを振り返り、思わず中腰になってパンティーを引き上げる仕草をしました。
僕は「あ…ッ!すいません…ッ!」と言って、あわててドアを閉めました。

それから そのことを
忘れられずに。。
結構 勃起したり。。。してしまう
んですよね。

それどころか、その後かなり長い間、そのシーンを思い出しては
オナニーしてましたよ。

思い出しただけで
射精できてしまう
貴殿のSMの目覚めでしょうか
中学生の頃の

566 :  

mmp2
lud20160409064734cこのスレへの固定リンク: http://5chb.net/r/sepia/1070190095/
ヒント:2chスレのurlに http://xxxx.5chb.net/xxxx のようにbを入れるだけでここでスレ保存、閲覧できます。

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