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前スレ
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http://2chb.net/r/wres/1649854474/ 335 朝から啓蒙 懐古系全日本ダさヲタクホイホイ(⌒‐⌒) (ワッチョイW df24-jdY3) 2021/04/15 07:16:28
>>333 理由↓プロレスの蘊蓄が社会的に全く無価値になったから
592 お前名無しだろ (オッペケ Sr5f-A0sD) 2021/04/10 12:40:04
>>591 80〜90年代のプロレス雑誌も絶賛暴落中だな
http://imepic.jp/20220521/666750/B9Yz 週プロ、週ゴンが39〜50冊まとめ売りでナンと一円w
一冊当たり2銭=通過単位0.02円也ww
他ジャンルじゃあり得ないたたき売り落札w
今読めば下らん駄文満載の活字ナンタラの経済的暴落はまさに底が丸見えの底無し沼だねぇww
十数年前なら、資料用に未読誌集めてるライターや物好きなんかには需要があってそれなりの値が付いたけど
今や回顧(懐古)本も全〜〜然売れないから二束三文いや、 50冊1円という惨状w
503 お前名無しだろ (ワッチョイW 8324-yKFi) 2020/10/01 20:18:42
>>487 力道山がどうしたってw
どうでも良いけどゴング創刊年(1968年)のバックナンバーがヤフオクで古書転売業者に衝撃を与えた一円落札されて早一年w
流センセ曰く、十数年前には200人位いたカイコプロレスマニアが鬼籍に入って今は50人くらいに減ったからじゃない?
大暴落では〜い、レトロプロレス終了ーーー( ´,_ゝ`)プッ
http://imepic.jp/20220521/670920/11WF この後、この年代の出品・落札履歴なんかも殆んどナシw
数年前は一札3000円位で落札されてたのに昭和レトロプロレスアイテムの超大暴落っぷり見てると馬場だの猪木だのってこの辺は「本当に」オワコンだなw
市場は正直だからな
940 お前名無しだろ (ワッチョイW bb24-n4M0) 2022/05/09 23:55:08
快復してもここが潮時だな
プロレスでは元気を!とかいっくら空念仏唱えても嘘臭いし
こういう時に限ってプヲタの精神的貧困が露呈するだけだからな
ツイッターがプヲタの本性浮き彫りにしちゃうからな
若手芸人も下手にプロレスなんかネタにしても今や誰も食いつかんし
面倒くさいプヲタが騒ぐだけで何のメリットもないからやらないってな
975 お前名無しだろ (ワッチョイW bb24-Ru76) 2022/05/12 07:03:02
>>940 長くプロレス見てると狭量なプヲタ思考が染み付いて情動指数が確実に落ちるし頭も回らなくなる
プロレスで元気になるなんてことはないだろw
皆分かっててお題目唱えてんだよ
人格も粘着質になって人生観もプロレス的な村社会の同類相憐れむ的なマイナス思考しかできなくなる
ここんとこレスラーが引退したりスタッフがプロレスに縁切りしてくのが増えるのも、そういうプヲタの本質が分かって仕事としてキャリアを無為に費やすのがバカバカしくなったからだよ
987 お前名無しだろ (オッペケ Sr33-Ru76) 2022/05/12 19:21:11
>>975 老害プヲタが推し団体や贔屓の選手に自我投影、自己同一化して、その競合相手をネットで叩く(笑)
その叩く理由・理屈をいかに嫌味ったらしく書くにはどうするか?
なんていつもアレコレ考えてたりしてりゃ嫌でもプヲタのEQやIQ・知能ってのは低下するよな
↓こいつみたいにw
http://hissi.org/read.php/wres/20181120/QmFaYUJMVC9kSEFQUFk.html >>5 「木村&草津が大木&キムドクのインタータッグに挑戦するのを、馬場君は指をくわえて見ていてほしい」
って吉原がインタビューで言ったことがあったんだよ。三軍対抗戦を盛り上げるためのリップサービス。
へー吉原の発言か、まあこの言い方出来る人は限られてるがw樋口に猛抗議したりしてたな
>>9 オープン選手権含めて吉原は、常にラッシャーよりも目立ってしまっていたのが失敗だったと思う。
吉原がジョーさんに猛抗議して、それを試合に敗れた張本人であるラッシャーがなだめる。
普通に考えたら裁定に納得できないラッシャーを、吉原がなだめるブックが普通に思うよね。



@YouTube 草津って悪い話ばかり聞くが全日本との対抗戦は悪くなかった、馬場の16文が一番強烈だったのが草津だし受けも悪くない
早いからこっちでいいのか?
故竹脇無我がプロレスファンだったということを知って無性に嬉しい。
これ完全に全日ファンだよなw
1975年12月12日に東京スポーツが行ったインタビューで、プロレス好きを公言していた。
開口一番「昨日プロレス見に行ってねえ、隣の記者が何も知らなかったもんだから、
僕が全部解説しちゃったよ」と語り、その後は取材記者とプロレス談義に花を咲かせたという。
当時の贔屓レスラーはドリー・ファンク・ジュニアとハーリー・レイス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E8%84%87%E7%84%A1%E6%88%91#%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96 >>13 そういや藤波の無我に対抗してか、みちのくが竹脇って興行やってたな。
竹脇無我を最後に見たのは影武者徳川家康の風魔小太郎役だったが
うつ病になったことでかえって神秘性が出ていてよかったな
1本目は大木が草津をフォールして、2本目はラッシャーがドクをフォール。3本目は両リン。
こんなに勝ち役と負け役がはっきりしているタイトル戦は、結構珍しいんじゃないかな?
https://blog.goo.ne.jp/1972ajpwf/e/f370d1b665ac5632415bf9d612d9385e >>13 竹脇無我は49年の蔵前の猪木シンを観戦に来て
テレビ中継のインタビューに答えてたな
http://blog.livedoor.jp/moneslife/archives/51643163.html http://blog.livedoor.jp/moneslife/archives/51659532.html 実際に付き合いのあった方のブログを発見。
竹脇さん、百田義浩とアイスホッケーやってたとか
報道陣シャットアウトの輪島デビュー戦の控室に激励に行ったとか、面白い話がいっぱい。
ガチの全日派、馬場派だったんだな。
ワープロクラシックで大岡越前レギュラーの谷幹一が蔵前のリングサイドにいたのを見たことあったけど
撮影の合間にふたりでプロレス談義とかもしてたんだろうな。
馬場と草津がタッグ組んだら、東京タワーズとか義兄弟コンビとか言われそう
>>22 一応、付き人経験があるから"師弟コンビ"じゃね
>>22 馬場が国際のリングに友情参戦した時に組んだんじゃなかったか?草津が馬場に前歩かせたとか?
>>24 「お互いにエースとして頑張りましょう」発言に次いでだからねw
ウルトラ16文くらってもしょうがない
要するにインタータッグはIWA世界タッグより上って事だな
IWA世界タッグは保持者挑戦者調べたら、アジアタッグと同等にいけるかどうかもあやしくないかw
芳の里ってメッチャ顔でかいよな
5頭身くらいじゃね?
>>24 草津はアメリカ帰りなのでアメリカ流に格上が先に入場させるために譲る積もりだったとかどこかで読んだ
>>27 だからアジアタッグとのダブル戦もありなんだよな
最終的に最後の王者だった原&井上がアジアタッグを取った時点で実質統合された印象
>>27 永源や山本が全日本にいてもアジアタッグ取れなかっただろうしな
>>31 小鉄駒の鬼軍曹コンビとかありそうだけどな小鉄が全日に居たら
>>32 駒が亡くなった後に復活発表だからな
生きてたらやはりヒライあたりがパートナーか
>>30 >>31 よくよく考えたら
アジアタッグは力道山豊登馬場猪木のビッグ4が歴代王者に名を連ねてるから
世界王座とは言えIWAはかなり格下なんたよな。
草津の「やぁ馬場君、あなたは日本プロレスのエース、僕は国際プロレスのエース。お互いエースとして頑張りましょう!」
といって馬場は何言ってるんだこいつはと思ったとか。
>>36 IWAの世界ってのはむしろNWAに加盟出来ないからって感じなんだよな
>>29 草津の人格から苦し紛れの後付けだろうw
金を引っ張ってくる才覚が長けてただけで
人相悪いもんな。力ある目上に対しては人たらし的な能力に秀でてたのだろうが、その反動が所属レスラーに向かったと。
悪口言わないの浜口ぐらいだもんな
当時の全日本は陣容が薄くまだTBSと組んでいた国際に対し立場が弱かった面もあったろうし
後でタップリお返しした感じもあるが
>>27 北米タッグも挑戦者の顔ぶれはろくでもないな。
保持者はまぁIWAよりはまし。
北米タッグの挑戦者は怪力コンビの時代が一番豪華な印象
浜口とか悪口を言わないのを美談としてる風潮は嫌だな、コロナ直前のマイティのイベントに行ったらマイティが
「こんなに真剣に国際の話を聞いてくれる人達がいて嬉しい、今度は浜口を説得して連れてくるよ」
と言ってて嬉しくなった、カブキが言い過ぎてるのは問題だと思うが、裏話とかはもっと聞きたいし言わずに亡くなる方が嫌だわ
井上って柔軟な試合スタイルに反して結構エッジが効いてる人だよなw
>>45 井上は未だに浜口がベストパートナーだったって言ってるよな
国際崩壊後は再結成する事が無かっただけにまさに国際を象徴するチームだった
井上はIWAタッグ戦で小鉄と1本ずつ取り合う、というブックにカンカンだったらしいが、
アジアタッグ戦で小鹿と1本ずつ取り合う、ってブックには特に怒らなかったのかな?
https://blog.goo.ne.jp/1972ajpwf/e/f370d1b665ac5632415bf9d612d9385e >>44 鉄腕&怪豪か?
当時のWWWFのトップヒールだもんな。
井上が阿修羅と組んで最強タッグに出た時も、公式戦で意外に阿修羅が負け役を引き受けてるのも先輩の顔を立てたんだろうか。
原は全日入団後全日サイドの頃から一人だけ全日のジャージ着てなかったな
あの特別扱いを馬場は何とも思ってなかったのか
試合前から竹刀で大暴れしたり汚い反則攻撃してる鶴見のジャージが
後ろに「鶴見五郎」と自分の名前が書いてあるかわいいもので阿修羅とお揃いなのもかわいい
荒鷲と怒涛の怪力のタッグは新日ファンでも不安があったらしく、タッグの日本選手権をやろうと呼びかけたら小林では駄目だから猪木に替えろと言われる有様だった。
>>19 今さらながらこれ読んだ。竹脇無我のいい人さが出てるね
全日本話をしてたら「僕も会場に連れてってください」と言ったディレクターに消極的だったというのもわかるわ。
こういうと閉鎖的とか言われそうだが、他人に思想を強要するのが嫌なんだよね、閉鎖的で頑固なんじゃなくひたすらおとなしいだけというw
後藤、三沢、冬木はみんな天国か。早すぎるよな。
彼らの上(越中)と下(川田)は元気にしぶとく長生きしてもらいたい。
ルー・テーズ杯参加者は8人中4人死去(百田兄弟を外しても割合は変わらない
2年後のヤングライオン杯参加者は10人(+野上)で1人しか亡くなってないのに
83年頃にある雑誌でハンセンと1番仲のいい日本人選手として名前が挙げられていたな
後藤に関しては試合よりも以外過ぎるその記述が印象に残っている
大仁田が成功したのも、汐留でのあの試合があったから。もう32年も前なんだね。
【大仁田vs後藤】“史上初”有刺鉄線電流爆破デスマッチ 【FMW汐留大会】
https://pw-vives.com/onita-1990denryuubakuha/ このスレに特化した後藤の思い出話って難しいな
・練習生や新人時代、海外遠征の裏話
・セコンドとしてテレビで見た思い出
・数少ないテレビ、ウォーリアーズ戦しか記憶にない
後はWARの天龍原と戦ったときか、テリーやスレーター、シークとも戦ってるしなんかありそうだが
若手の頃、シンに襲われて血ダルマにされなかったっけ?
で、FMWで同じようにセコンドだった鍋野を血ダルマにした。
>>62 一枚目のやつが大喜利のネタっぽくてホント好きなんだよなあ。
冬木と大仁田さえなんとかなってれば、後頭部へのアックスボンバーの連結が完成するんだけど・・・
>>62 下のTシャツがいつみてもひどくて笑える
これを着てかっこよくと言われても
後藤の存在を知ったのは、プロレス中継ではなく、フジテレビの「ザ・ガマン」で越中、三沢とともに出演した時だった。
>>72 あのTシャツ、当時で送料込み2300円はまあまあの値段かな?
さすがに今の時代はだいぶ洗練されてるねw
鶴田さんと世界タッグ王座を獲得したカブキは「ジャンボはすごかったですね。試合も強かったし、いい選手でした。この日本のプロレスを見守ってください」としみじみ。
>>75 二枚舌だな。いつもは「大したことなかった。」とか悪口ばっかり言ってる癖に。
もしその日が芳の里追悼興行だったとしたら
おやじさんは本当にいい人でした。言葉では言い尽くせないほと世話になって……
もしできるならリングで相まみえてみたいレスラーだったとも思います、おこがましいですが。まぁそれでもぼくなんかは5分でやられてしまったでしょうけど。
みたいなコメントになるだろうから鶴田に対してのそれはいつもとかわらず
他人行儀で通り一遍な内容だね。二枚舌とかではない。
>>76 ヤフコメですら「普段馬場と鶴田の悪口ばかりなのにノコノコ来るんじゃねえ」と
ボロクソに言われていた>カブキ
こんな小遣い稼ぎすらしないといけないほど金に困っているのかね
>>78 > 他人行儀で通り一遍な内容だね。二枚舌とかではない。
「凄かった」とか「強かった」、「いい選手だった」とかカブキの口から出たのは初めて見た。
十分二枚舌だろ。
>>81 毎度の悪口も昨日の賞賛も結局は小銭欲しさに
適当な事をベラベラ喋ってるということなのかな。
それでもやっぱりほっこりしてしまう…
>>80 それだけ悪口の信憑性が下がったんだからそれでいいんじゃない
>>75 まさに最後のすかしっ屁だったよな
馬場と鶴田の悪口を言いまくったのについては離脱の選択は絶対に間違いではなかったという自他への言い訳もありそうだが
(つまりそれだけ本人の中では離脱すべきではなかったのではなかったかという後悔が後から出てきたとも考えられる)
カブキは全日離脱前に放送席で解説者をやっていたが、「解説」になっていなかったな。「そうですね」とか「どうなんでしょうね」とかばっかりです。
>>86 誰とは言わないけど一人だけ一般人のしょぼくれたオジサンがいる。
>>89 カブキの解説で良かったの三沢がマスク脱いだ時だ。「何してんだ、おい、何」みたいに、突発的に脱いだんだぞ、というのが強調されてるのがいい。
>>74 送料込み2300円ということは本体2000円か、Tシャツの値段はかなり長い間
据え置きだったんだな
この頃のアイドルとかのコンサート滅茶苦茶安かった記憶がある、ラジオ番組の告知とかの記憶だけど
昭和全日も旗揚げ時は物価安かったはずだからどこかで値上げしたんだろうが
創立1周年と10周年。特別席と小中学生は倍か。
名鑑とかでのマードックは顔を傾けて目をひん剥いてそれは狂犬を思わせるような感じだったよね
値段に関しては
>>104 の10周年と90年代って基本的にかわらんね、ただ立ち見がなくなって高くなった印象
地方民にとっては気軽にどの団体も行きにくくなったから後楽園ホールのバルコニー立ち見がうらやましかった、あれならインディでも気がするいける
うん、プロレス大百科のマードックの顔が子供の頃怖かった・・
ベタだけどオックス・ベーカーの白黒写真がめっちゃ怖かった
>>110 この画像だよね?
関係ないけどスタッドはなぜかこの写真よく使われてたと思う。
更にもっと関係ないけどこうしてみるとシンはそんなに身長ないな。
スローターでせいぜい192~3cm程度だろうから。
>>112 これ見るとそうでもないんだけどね。
>>112 貴重な写真だね。
シンがこんな小さく見えるのは意外。
ハンセンもこんな程度になるのか。
真ん中の子供はシンの息子のアリシンだね。
靴で3cmくらい違うかもしれないからな。集合写真のは足元写ってないから
サンダルとか、少なくともブーツを履いてないのかもしれない。
あとカメラとの距離が少々違うんだろね。
アリ・シンは父親よりも長身になったよね。
高校でバスケで活躍したと聞いた。
>>112 よく見るとシンは奥の位置で少し屈んでる様に見える。
後はスローターのシューズが高いのかな。
これならシンと同じ位のハンセンもこんな小さく見えちゃうし。
ハンセンとスローターだって同じ位のはず。
下の81MSG シリーズ∀写真が正しいかと。
こ?れはみんな足の部分が見えてないけど。
ジュニアのアダムスが意外にも長身だね。
>>91 川田はキックを覚えたから使いたいんでしょうけどもっと色んな技を出さなきゃいけませんねぇ
とか言ってたな
もっとも新日出戻り時代のU勢に比べれば使用頻度は控え目だったが
それにローやミドルは様になってたしコンビネーションも出来てたものの
ハイのフォームが素人だったしな川田
ハイを教わる前に指南役の北原が海外に出ちゃったのかね
九電記念体育館の木村草津VS天竜羽田は地味に好勝負
熱き名勝負集で見たけど天竜(テロップ表記)の超絶不格好かつ躍動感溢れるドロップキックが良い
>>120 あれはいいよね。
天龍と木村の張り手合戦は途中からど迫力に
なった。それからドロップキックまで
4、5秒だけど物凄い緊張感が走っている一瞬だった。
>>109 50歳前後はアレが初マードックの人が多いかもしれない。狂気が迸ってて俺も怖かったな
後年に白いケツを剥き出して泣き顔作る姿は
まったく想像できなかった
マードックはありふれたアメリカのクソガキがそのまま大人になったような顔と
思っていた。
マードックは北欧系でぇアドニスはぁイタリア系っちゅうにぃ聞いちょったかんな。
当時はぁマードック アドニスはぁいいタッグっちゅうにぃ思うちょったぞぇー。
しかしぃ先輩面するマードックにはぁアドニスがぁー嫌気差しちょったしぃー。
でもぉ日本だけじゃあなくぅアメリカWWFでもぉ組んどったかんな。
日本でもぉもぉちったぁ組み続けて欲しかったっちゅうにぃ思うちょるぞぇ。
しかしぃアドニスがぁWWFをぉ選択してもぉたからぁ仕方ないぞぇー。
マードック スーパースターもぉいいタッグっちゅうにぃ思うちょったんよぉー。
マードック アドニスはぁ83MSGタッグ準優勝っちゅう称号与えられたしぃー。
〉マードックは北欧系
マードックはアイルランド系だと思う。
戸澤はスーパーフライスヌーカの娘タミーナと結婚したんか
北欧系のレスラーで有名なのはハンセン、ヘニング父子、ホークウォリアー
>>112 これっていつ頃?
シンがWWFの控え室って意外?
しかもシンとスタッドってのも。
シンこんな小さかった?
スローターと変わらないと思ったけどスローターがシークレット履いてる?
シンはトランクスだから試合の格好、
シンの息子の姿から83年か84年位かな?
>>120 > 天竜(テロップ表記)の超絶不格好かつ躍動感溢れるドロップキックが良い
youtubeで見たけど不格好ではないだろ。
木村が前屈みになってたから低空飛行ではあったけど
パット・オコーナーのスカイロケットに近い綺麗なフォームだったぞ。
サイドスープレックスもそうだけど、この当時の天龍の技は綺麗だったな。
全盛期の不格好だけどド迫力というイメージとは全然違った。
それにしても国際最強チームが
天龍、羽田組にもクイックでしかフォール勝ちできないというのはどうなのかね。
馬場、鶴田組に完全フォール負けを飲んだんだから
天龍、羽田組にはクイックじゃない完全フォール勝ちを飲ませるべきじゃなかったかと思う。
吉原は本当に交渉下手だったな。
>>131 あの当時、中堅以上の日本人同士で完全フォールの方が稀だろ
>>129 1981年 カナダ トロント らしいです。新日でかと思ってたけどシンとスタッドは同時には
たぶん来てないよね。
シンて長身のイメージ全くないな
180cmくらいだと思ってた
>>131 IWA世界タッグをS小林、永源組に奪われた事に比べれば大したことではない
めるると喋ったことあるけど息がくさかったのは萎えた
>>133 すれ違いだね。
シンが新日を出た2年後にスタッドが来ている。
>>135 ヤマハに王座奪われた方が衝撃的だったんじゃないかな?ストロング姉さんは国際の元エースなわけだから。
>>139 マイティが「あの試合の失神で、浜口は性格が180度変わってしまった」とか言っていたよな。
それまではどちらかと言えば無口で寡黙だったのが、陽気でお喋りになってしまったとか。
田コロこんばんは事件の、マイク奪ってガナるとか、京子とバラエティーに出て大騒ぎするとか。
あんなことできるような性格ではなかったらしい。
顔だけの塩だった沼澤邪鬼が場外でコルバダすっぽ抜けて後頭部から落ちレフリーストップ病院行きになって復帰したらすっかりいいレスラーになってた
いうまでもないダメレスラーだったYoshiHashiも花道からエプロンに激突病院送り後いいレスラーに
試合中のミスによる大怪我は自分を変えるきっかけになるのかもしれない
馳浩も後藤のバックドロップで死線を彷徨ってから変わったもんな
>>140 浜口の証言によると立会人で来ていた新間の意見で新日本が場外フェンスを設ける切っ掛けにもなったらしい
死線を彷徨うまでいかなくても、病気や怪我で病院に入院したら性格や人生観は変わるよ。珍しい事ではない。
>>145 リック・フレアーはセスナ機の事故(ジョニー・バレンタインはこれで再起不能になった)から伸びたね
スレーターは交通事故の後遺症から最強タッグでワザと味方に当たりに行く奇行を見せた
頭の打ちどころによって変わるんだろう。近所の女の子が三輪車に乗ってて電柱に頭ぶつけて馬鹿になったし。
>>128 ホークって北欧系なんだ?
そういや、本名マイク・ヘグストランドってそれまっぽいな
>>147 あの試合のスレーターは馬場を四の字で攻めるなど最後以外は完璧だったんだがな
>>149 ゴングに載っていたトニーホームインタビューでホームが
ウォリアーズの世話になったことを受けて
記者が「ホークも北欧系ですね」
ホーム「そうだな、でも世話になったのは主にアニマルの方なんだ」
というやり取りがあった。
>>143 馳の意識が戻った後、当時の夫人(ビクトル古賀の娘)が
「あなた、リングドクターの冨家先生と(人工呼吸の時に)キスをしたのよ」と言ったという話が
当時の週ゴンに載ってたな
>>155 天龍は組んでも対戦しても国際勢とは熱いな。
>>153 遅レスマジレスになるけど
その時の冨家ドクターはマウス・トゥー・マウス(キス)式ではなくて
救急救命士や警備員ライフセーバー等が講習で習う
患者をストレッチさせる様に全身を動かして肺の動作を再活性化させる人工呼吸を施していた筈
週ゴンはファイトや週プロと違って馳失神時の状況を詳しく報じてなかったんだよ
その場に担当記者(たぶんGK)がいなかったから
そんなネタ的な雑感風エピソードを載せる事で“逃げた”んじゃないの?
>>159 そんな対戦は無いよ。
冬木はまだ帰国前。
天龍以外が国際出身の6人タッグが浮かばなかった
天龍井上冬木対木村原鶴見
天龍原井上対スミルノフストンパージョー
>>160 天龍同盟始動のシリーズで木村鶴見とは対戦してたか
>>163 その年の最強タッグで一回だけ対戦している。
国際懐かしイベントとか興業とかやってみたら客来なかったかね?スポンサーみたいなのがいないと無理かな
>>167 90年代にやってる国際プロレスagainとか
草津も張り切ってリング上でトークショーやってた
客入りは結構よかった
宇宙魔神とかゾンビアとかが激しくいらなかった
井上参戦してすぐにマスカラスのIWAに挑戦してた。
馬場もなかなかシャレがキツい。
>>169 マスカラスを呼んだは良いけど、他に適当な対戦相手がいなかったというのもある
そう言えばあの当時、急にマスカラスのIWA防衛戦を日本国内で開催するようになったな。
井上の前には新日から移籍してきたチャボが挑戦、翌年には天龍が挑戦していた。
>>170 5年後くらいの感覚ならば
デストロイヤー、マスカラス組でよさそうだけどね。
馬場発電所組がすこし霞むからだめかもしれないが。
馬場鶴田天龍vs木村原鶴見
まさに昭和全日本珠玉の対戦カード!
>>170 そういう事ではなく、IWAというタイトルに井上が絡んだ事を言っていると思う
>>171 国際が崩壊して国際のIWAタイトルが消滅したから
気を使う必要が無くなったんだろう
逆に言えば馬場による国際消滅認定なんだよな
前シリーズでの防衛戦が発表された時点においての
>>179 しかも次がジョーだからな
国際の消滅でIWAがマスカラスに一本化されたという印象にも
マスカラスが保持していたのは、正確には
「IWA認定インターナショナルヘビー級選手権」だが、
さすがに「IWAインター選手権」とは呼ばなかったなぁ。
奇しくも国際のIWA世界ヘビー(74年以降)とデザインが似ている。
’70年代前半、流行ったタイプだ。
まぁ姿形は違えど、その出自・原点は同じものって感じか。
馬場とすれば日プロ時代に巻いてたインターの全日での続編がPWF。
PWF保持してた馬場がインターに執着せず、ドリーとブロディに任せたのも納得。
「テーズ、力道山から日プロ時代の俺が巻いてたインターの魂、精神はこっち(PWF)にあるから、
お前ら(ドリー、ブロディ)は、そのベルトに新しい価値と魂を吹き込んでくれ」みたいな。
>>173 福井はもちろん、実はありそうだけども一度も実現したことのないカードだな
よく知らないが、インタータッグは全日本傘下にあって、インターヘビーは大木管轄の違いは、なぜ?
>>188 不法占拠でしょう?北方領土や竹島みたいなもの。高千穂はUN返還したんだから。
>>188 馬場は1972年夏に日プロを離脱し、全日を設立する際、保持していた
インターヘビーと同タッグ選手権を取り上げられた。
で、旗揚げ時に、先ずシングルタイトルを設立するために、力道山が
巻いていた旧・インターのベルトを力道山家より受け継ぎ「世界ヘビー級ベルト」
とした(後にPWF認定となる)。
その争奪戦が終了し、馬場がベルトを締めた73年春に日プロが崩壊。全日に
吸収合併された。大木ら9人の残党と共にインター、インタータッグ(海外流出中)、
UN,アジア、アジアタッグも全日にもたらされたが、馬場としては欲しいのは
看板タッグとなるインタータッグだけ。あとのタイトルは棚上げ(全日のリングでは、
ひとまず防衛戦を行わない)という処置になった。
インター王者の大木は、全日に上がったが、処遇は悪い。インターの防衛戦も出来ない。
しかし、彼には母国・韓国のリングに上がる選択肢もあった。
そして韓国では、NWA会員という身分もあり、現地でインターの防衛戦も出来た。
馬場は、UNは高千穂から取り上げ、2番手王者として75年鶴田に渡し、アジアタッグは、
76年に新日が復活させたこともあり、全日が本家としてこれも2番手タッグタイトルとして
復活させたが、大木のインターは、81年まで放置していたと言っても良い。
>>187 1987年の春あたりは
週一ペースでやってたよ。
馬場として当時はPWFをインターの後継的に位置付けてたろうからな
馬場鶴田天龍による6人タッグってテレビじゃ見た記憶がないな
>>194 馬場鶴田天龍対木村鶴見ブロディ
ブロディ新日転出前でやる気無し、試合中に控室に戻る
>>194 馬場鶴田天龍対シンゴディミラノというのもある。
>>195 >馬場鶴田天龍対木村鶴見ブロディ
木村、鶴見とブロディはリングに上がるまで一切、事前の打ち合わせとかしてなかったんかな?
まあリングインしてからも映像では言葉も交わしてないようだけど。
馬場の感覚から見たインタータイトルを会社に喩えてみると
防衛期限切れで清算状態、新日に上がったことで清算結了
全日でヒールになってるし存在を無視して解散、という感じかな。
アジアタイトルの方は認めてるのがめちゃくちゃに奇妙だけど。
それで81年になって社名だけを掘り起こして看板の立派な新会社になった、と。
>>198 なら、1980年、国際プロレス(日本)で
防衛戦(活動)をしたのは、どう解釈する?
>>189 >>190 そこまでは行っていない。
少なくとも、その両件について、日本は
認めず抗議をしているが、
大木が1975〜6年、韓国でインター防衛戦を行った時、
全日系のデストロイヤー、ブッチャー、マリオ・ミラノはおろか、
所属の高千穂、サムソン・クツワダまでも防衛相手を承諾している。
>1981年4月13日、NWA本部からの勧告の形で大木金太郎はタイトルを返却することになった。
その理由は大木が馬場の推薦で韓国のプロモーターとしてNWAに加入していたが、NWA非会員
団体である国際プロレスでインタータイトル戦を行ったのは問題になるという理由からだった。
このタイトルを返却するかわりにオールアジアヘビー級チャンピオンシップを受け取った。
namu.wikiより 抜粋
ハングル読めないわ、ソウルでの猪木とのインタータイトル戦前。
ハングル実況といえば、74年10月10日蔵前の猪木vs大木戦が有名だが
72年日プロ「ゴールデンシリーズ」で、韓国KBSテレビが4試合程収録しているな。
今あるのか知らないけど、大木vsGネルソン(as ミスターレスリング)のアジアヘビー級戦
Jバレンタイン&Kクローvs吉村&大木、馬場&大木vsブラジル&メイナード、大木vsBダンカン
全試合が韓国語実況でYoutubeにアップされていた。
>>199 従業員が(会社がないことを知らせず)顧客と取引をしていたが
在庫がまあまぁはけたので手を引いた
というのはどうですかね。
>>201 アジアヘビーは力道山のインター獲得以降はほとんど名誉王座
で、力道山はインターの防衛戦なんてやったのかい??
相手は、オルテガ、デストロイヤーあたりかな?
ドン・レオ・ジョナサン
エンリキ・トーレス
ミスター・アトミック
サニー・マイヤース
プリンス・イヤウケア
ミスターX
ゼブラ・キッド
ジェス・オルテガ
パット・オコーナー
キラー・バディ・オースチン
ザ・デストロイヤー
グレート・アントニオ
ヘイスタック・カルホーン
ムース・ショーラック
ジャンボのために復活させたUNに高千穂を全く絡ませなかったのは馬場さんの失敗だよな
高千穂vsジャンボだったら
カブキvs三沢タイガーみたいになったんじゃね?
>>210 あの頃の鶴田に変なこと(弱く見えるようなこと)したら干されるんじゃねぇ
>>210 最初は日本代表決定戦で勝った方がブリスコと対戦する予定を辞退したのは高千穂。一応シングルで対戦して鶴田が勝ったけど、正直決定戦やった所で大して盛り上がることもないかな。
ブリスコをあれで格落ちさせてしまったのももったいない。
ドリーにしてもレイスにしても、もちろんテリーも王者転落後の方が強さが見直されてたのに、ブリスコはなんだか尻すぼみ。なんとも贅沢な無駄使いのように思う。
マードックあたりの方が適切だったんじゃないか。後から考えるとハンセンやブロディも「ありえた」んだろうけどね。
>>209 ジム・ライトが抜けているね。
1960年1月15日大阪と30日に東京で挑戦。
15日の試合は反則勝ち含みながら2−1で勝っている
(王座は移動せず)
>>213 ブリスコは陥落後はほとんどセミリタイア状態
セントルイスではスレーターやブロディの引き立て役もやってたし
ブリスコはNWA王者で燃え尽きた、
と語ったそうだ。
ブリスコは日本だとどうしても、馬場にNWAを取られた男というイメージが一番濃いよね。
王に756号を打たれた鈴木、みたいなw
>>220 リアルタイムで知らないから、マサ斎藤にAWAを奪われたラリー・ズビスコみたいなイメージ
>>219 馬場の評価はそんな感じだったね
ブリスコは名レスラーだったけどちょっと線が細かった
NWA世界王者になって燃え尽きてしまったんじゃないかとか
>>221 テーズの評価はむちゃくちゃ高くて
自分の後のNWA世界王者では間違いなく最高のレスラーがブリスコだそうな
最強タッグ戦の直前にフロリダでブリスコに挑戦して肩を負傷していたというんだよな
あるいはそれがテーズの最後のNWA戦か
>>213 鶴田はNWA挑戦ではブリスコに全敗だったからな
初挑戦は同じ日大だし
また日プロ時代は猪木が王者時代に挑戦してたしまさに最高の相手だったんだよな
>>213 鶴田はNWA挑戦ではブリスコに全敗だったからな
初挑戦は同じ日大だし
また日プロ時代は猪木が王者時代に挑戦してたしまさに最高の相手だったんだよな
>>220 リターンマッチで負けた試合もテレビでやってるのに引き分けた長崎と奪還の豊橋がノーテレビだのも大きい
当時のブリスコは日プロで猪木に負けている印象がまだ強かった事情もありそう
81年のチャンカーで久々に全日に上がった時のブリスコは、ブッチャー、ブロディと同率3位だったから、翌年のロビンソンの扱いよりはだいぶ厚遇だった。
>>227 同点にするために、ウェインファリスと時間切れ引き分けにするブックだったんだよな。
>>222 でもテーズさんて金で転ぶ人でしょ(´・ω・`)
>>227 ブリスコにしてもロビンソンにしても、扱いを悪くしてるわけじゃないが
超一流としてもてなしてはいるけどエース、スターとしては扱ってはない。
あれなら国際に出してやれば、と思ったがもう国際がなくなってた…。
>>222 >テーズ評、最高のレスラーがブリスコ
ちゃんとレスリングが出来て、「品格」があるという意味だろうね。
ただ、馬場(挑戦者)に短期間、王座を売る、という行為を
最初にやったのも彼だろう。
田鶴浜さんは、ブリスコのチャピオンベルトを、腹の周りで半回転させ
自分で脱着する動作を批判していた。俺は格好良いと思ったが。
もっとも田鶴浜さんに言わせれば、レイスなんかケチョンケチョン。
>>231 田鶴浜はフレアーもボロクソに言っていた
「バディ・ロジャースと比べれば、フレアーなんてただの田舎ものだ、いっしょにしてもらっては困る」
>>227 インター王座トーナメントのブロディ戦で背中を椅子で叩かれてのリングアウト負けは余りにも切ない。
78/11/10ソウル
金兄弟イル&ドクVSカマタ&サンタナ



@YouTube 韓国では師弟コンビではなく、兄弟コンビになってたのか!
ラッシャー木村も普段は馬場をアニキとは呼ばなかっただろうしな、三国志の義兄弟とは違う
>>234 この試合、月刊プロレスかデラプロだかに、経過説明とかなしで写真と結果だけ掲載されていた記憶がある。
サンタナではなく、ブラッド表記だったのも覚えている。キムドクも、翌年には大木に造反するんだよな。
'74新春NWAチャンピオンシリーズ
第2戦対馬場(1-1)△、第3戦対レイス(1-1)△、第5戦対ドリー(1-1)△、第6戦対デスト(1-1)△、最終第8戦対鶴田(1-2)〇
王者時代のブリスコってやっぱ凄いな…。
こんなタフな防衛ロード日本でやった世界王者って他にはドリーぐらいか。
>>238 このシリーズではドリーも凄い。毎日のようにフルタイム戦って移動しても何とも無かったのかな。
>>238 補足すると、ブリスコの1974年、日本でのNWA世界防衛戦は
1月23日、長崎、馬場とトータル24分(PWFとダブルタイトル)、
24日、広島、レイスと60分、28日、名古屋、デストロイヤーとトータル27分、
29日、大阪、ドリーと60分、30日、東京、鶴田と28分
馬場も、この23日〜30日の8日間で、ブリスコ、レイス、P田中、ドリー
相手に4回PWF防衛戦を行ったが、60分フルタイムはなかった。
>>241 そのシリーズはドリー×レイスやレイス×デストなんて試合もあって
45分フルタイムだったんじゃないかな。みんなタフだわ。
>>239 福井放送だけオンエアされてたよ
俺ビデオテープ持ってるし
確か青森で、三沢小橋対川田田上の試合が60分時間切れになった試合があって青森県だけフルタイム放送があったはず
それが数ヶ月経って富山で放送されて昼間に放送され見たことがある、地元大会は特別に放送したりするからまだまだ知らない映像はあるかもしれん
もちろん一番期待するのは会場隠し撮りだけど
キミねぇ、世の中にゃあ隠し撮りング映像はぁはぁ沢山あっちゃるぞぇー。
キミがぁー驚く試合なんかもぉ沢山あっちゃるからぁ自分で調べてみぃ。
ようつ動画に上げるとぉ短期間で削除されてもぉちゃるバワイがぁ多いぞぇ。
>>241 試合を観返す直す度に思うけど
タフなだけじゃなく見ていて感動するくらい巧いんだよブリスコ
レイスやフレアーの様にあからさまな反則やずる賢さを強調するムーヴは用いてないのに
気が付けばドリー馬場鶴田等対戦相手の方を応援したくなる試合展開に持っていってる
その辺りの文字通り“Scientific”なさりげなさ良い意味でのアクやケレンの無さを
テーズも田鶴浜も買っていたんだろうね
サンマルチノの時代のカメラデカそう、こんなの持ってプロレス会場なんていけんわw
>>246 福井放送だけでオンエアされたのはSWSのプレ旗揚げ戦だろ。
>>254 この頃はVHSもベータもフルサイズのカセットしかなかったような
ショルダーバッグみたいなデッキ抱えてカメラ回してたのか
今G+でやってるオープン選手権
ドリーvsホフマンが間違いなく大会でのベストバウトなのだけど
昔からベテランのライターですら取上る人が少なく知られざる名勝負枠に止まっているのは残念
しかしこのオープン選手権のホフマン準優勝の筈なのに
ドリー戦鶴田戦に決勝の馬場戦と
負け試合ばかりテレビで放映されていたのは流石にどうかと思う
>>258 準優勝はドリー。
ホフマンは馬場の最終戦の相手。
ホーストホフマンは今のところ訃報は聞かれない人だけど、生きていれば86歳・・
健在ならいいけどなあ。
オープン選手権出場者で存命なのは何人いるのかなぁ
ファンクス、ブッチャー、ホフマン、天龍、井上…
デストと組んでた人は生きているのか?
樋口のダウン芸のせいでブロディにインターを奪回されたドリーさん
>>262 あと存命は戸口、高千穂。
デストの相棒テキサス・レッドことレッド・バスチェンは10年前に亡くなっています。
>>265 ありがと
旗揚げシリーズを調べてみたら
テリー、百田光雄、佐藤、鶴見(国際)が存命
ジェリー・コザックは?
>>268 関係者のほぼ全てが悪口だらけの松岡かw
馬之助が唯一の味方で朝鮮系だったかな?
写真しか知らないけど人相が激悪だもんなー
Gスピが取材して掲載してくれたらなあ
この爽やかな好青年ぶった松岡の写真、何度見ても笑える。
他はみんなプロレスラーとしての面構えなのに一人だけ異質。
週プロが85年ぐらいにやってた天龍の評伝で日本デビューのシリーズで
ホフマンにぼろ雑巾みたいにされて自信無くしたって
>>271途中で送信しちゃった。
週プロが85年ぐらいにやってた天龍の評伝で
日本デビューのシリーズ(77NWAチャンピオン・シリーズ)で
ホフマンにぼろ雑巾みたいにされて自信無くしたって書かれてた。
「昭和の全日本プロレス」で見てみたらテレビ収録した3大会で天龍はホフマンと当たってる。
鶴田&天龍vsレイス&ホフマン
馬場&鶴田&天龍vsレイス&ホフマン&ボブ・ブラウン
鶴田&天龍vsホフマン&メヒコ・グランデ
どれか現存してないかな。レイス&ホフマン組、魅力的な強力タッグだな。
そりゃあミスで飛来されたんではケガの元やから怖いな!
四天王時代にブロディがいたら、、、
三沢、川田相手に寝なかっただろうな。ガキンチョ相手に、みたいな感じで。
>>267 ヤスフジイ=ストロングマシン3号だっけ
>>278 この藤井さんはヤス・フジイではありません。
>>276 おぉ、32文をスカした!
※6分あたりから
>>276 16文、河津落とし、ネックブリーカー辺りは全く痛そうに見えなかった。アレで終わるとガッカリした。
>>281 でもデビッドサンマルチノに放った16文は強烈だったぞ
>>283 体固めでフォールされた草津がすぐ起き上がってマット叩いてるのはどうかと。
ヒライは息子がタイムスリップして入れ替わったのかと感じるくらいそっくり。
スピンニングトーホールドなんて小学生心にも全く痛そうに見えなかったが
アレをファンクスが繰り出すと興奮した
そういや少年ジャンプの増刊にコンタロウが描いた読切でドリーもどきのレスラーが
スピニングの態勢から前転する技を十八番二していたな
>>286 あの漫画のドリーもどきの鉄砲玉&用心棒の黒人レスラーのモデルは
ハーリーレイスだとコンタロウ本人が語っていたけど、
実際にレイスはドリーのそういうことやっていたのかね?
>>286 プロレスごっこでかけられたらものすごく痛かったぞ
>>276 実はこの頃のフィニッシュホールドだったよ。
仙台の鶴田戦もネックブリーカーで仕留めた。
あえていうとジャンピングの方は逆転の必殺技で
ただのネックブリーカーは殺人フルコースの〆の技、という使い分けだったと思う
二流レスラー相手には河津掛け、一流にはネックブリーカーという分け方もあったかな。
トゥホールドでスピンする発想が奇抜よな。
列伝かなんかで、1回転ごとにダメージが2乗になると解説してたが
ガキのオレでも納得できなかったわ。
>>291 知ってる。だから馬場は嫌いだった。
ジャンピングネックブリーカードロップと32文は説得力あったので、普段は使わず決めるのが凄い不満だった。
普通のネックブリーカードロップがフィニッシュになった試合だと鶴田VSレイガンズもあったな
世界王座争奪戦の最終ブラジル戦は、普通のネックブリーカー3連発だった。
まあ32文とジャンピングネックブリーカーは伝家の宝刀だから、ここぞの場面だけで…
馬場は主に全日初期、普通のネックブリーカードロップをフィニッシュで使っていた
長身の馬場が繰り出すこの技には、それなりの説得力があった
しかし、筋力の衰えでスピード感とパワフルさが出せなくなり、封印してしまった
日本ではネックブリーカーは受けが悪かったのかそれほど使われないけど、北米では
現在でも多用されてる印象あるね。



@YouTube
77年チャンピオンカーニバル決勝戦 馬場・鶴田戦
馬場の大技オンパレード。 スピニングトーホールドは相手の膝裏に自分の足を入れて絞るときが痛いよね
別に回転しなくてもいいんだけどそれは・・
かけようとして首根っこに手を回されてスモールパッケージでカウント3が定番
あのなぁ、スピニングはなぁ、片足んなってまぅのがぁー最大の欠点だかんな。
相手も片足んなるからぁもぉ片方の足でぇ顔面をぉ蹴られてもぉちゃる。
特にぃハンセンやブロディにゃあ頻繁に顔面キックでぇカットされちょったぞぇ。
ハンセンやブロディ相手にゃスピニングはぁ全く通用しないっちゅうにぃー。
中堅や格下はぁスピニングん時にゃあ顔面キックでカットはぁダメだかんな。
しかしぃハンセンやブロディクラスならぁ顔面キックのカットはぁ許されたぞぇー。
特にぃ顔面キックでのぉカットだとぉドリーもテリーもふっ飛んでたしぃー。
ありゃあ見ちょってドリーもテリーもかなりぃ惨めにぃ見えちょったぞぇー。
スピニング・トーホールドで1回転したまま覆いかぶさってカウントスリー
鹿児島のUN移動劇だけど会場が静まり返ってたな
鶴田が自著でスピニング・トーホールドのかけ方の難しさを面白く書いてたな。
回転するとき相手の足を離すんだけど、そのタイミングが難しい。
離すタイミングが遅れると完全に極まっちゃってマズイ。極まる直前に離さなきゃならない。
なんてこと書いてた。
これは華々しい見せるための技、短足で下半身ががっしりしてる日本人には向かない技とも書いてたけど、
アマリロ修行中にドリーと対戦して実際に喰らった時は本当に足が痺れて大変だったとも書いてた。
85年頃の谷津が繋ぎ技としてスピニング・トーホールドをたまに使ってたけど、それなりに説得力があった。
フィニッシュ技として使ってなかったからボロが出なかっただけかもしれないけどw
鶴田が言うにはあの技をかけるにはタイミングとスピーディーさが必要ってことで、
あの技の華である見栄えと効き目を両立させるには身体能力の高いレスラーじゃないと難しいんだろうな。
回転する必要ないって言ってる人がいるが、あの回転で勢いがついて足首が痛いんだよ凄く。痛くてすぐギブアップ。反撃なんてあり得ない感じだった。プロレスごっこでかけてくれた相手がうまかったんだろう。
悲鳴も上げられないほど痛かったぞ
グルングルン回転しやがって
谷津のスピニングトーホールドはただの見様見真似で適当にやってるだけにしか見えなかったな
トーホールドじゃなくてクルクル回ってるだけで、ドリーにはすぐ頭取られて丸め込まれてたし
馬場がジョナサンにスピニングトーホールドを仕掛けている写真を見たことがあるが
どんな感じだったのかな
>>308 それ写真(静止画像)でしょう?
スピンしたのかな?
単なる、ステップオーバートーホールドでは?
藤波がハンセンにスピニングトーホールドかけてるの見た覚えあるな。
猪木と組んでハンセン&ボックとやった時だったかな?
あれは意図的にダサかっこよさを演出してたんでないの?
リック・モートンにロバート・ギブソン 各自の名前もなんだか絶妙
>>303 >これは華々しい見せるための技、
>短足で下半身ががっしりしてる日本人には向かない技とも書いてたけど
逆にサソリ固めはそういう日本人(黄色人)の体型に向いているね。
昔たぶん豆タヌキの本シリーズのプロレスの技のに
「サソリ固めを得意とするのは長州・藤波以外では石川孝志、長与千種、
ライオネス飛鳥といったところ。しかしこの面々をみて思うことは
藤波以外足が太く筋肉質というよりどちらかと言えばアンコ型。
どうやらこの技は足が短くて太い日本人に向いているようだ。
外人レスラーでこの技を得意とする人がいないのを考えてもなるほどと思う。」
と書かれていた。
その後スティング、ヒットマンみたいなサソリ固めを得意技にする
白人レスラーが出てきたがなんかぎこちなく様になっていなかった。
白人はひざ下が長いからウンコ座りできないっていうしね
谷津のスピニングは監獄固めへの布石じゃないのかな。
谷津繋がりになるが今298を見たら鶴田がブルドッキングヘッドロックをやってた
この技ってラッシャーか谷津が持ち込んだ技だと思ってたがこんな昔から鶴田がやってたんだな
ドリーにしろテリーしろゆっくり回って何度か揺さぶり
またゆっくり回って揺さぶったところで蹴り倒される(二流どころならギブ)だからな
プロレスごっこでその要領でかけたこともかけられたこともあるが
相手は痛がってなかったし俺も全然痛くなかったわ
そんで試しに高速で回転したら確かに痛がってたな
ドリーのスピニングトーホールドもテリーのローリングクレイドルも
二人がNWA王者時代は回転が速かった。
スピニングトーホールドでフォール勝ちしたのは後にも先にもマードックだけ
>>317 あれは精神的に揺さぶってるんじゃないかな
「おい、この俺が切り札出してんだからギブするよな?」
「ノーノー!」
「そうか(クルッ) さあ二回り目だぞ、今度こそするよな!?」
足4の字もフォールカウントとるレフェリーがいるわな
>>322 それを「うるせえ」と蹴っ飛ばすのがブロディ
81年世界最強タッグ優勝戦で、ブロディとハンセンがテリーを場外でKOしたけど
その間にスヌーカがギブアップしたらどうすんだよと思って見てた
>>297 日本では馬場よりも先に猪木が日プロ時代にネックブリーカ―ドロップをフィニッシュホールドにしたんだよね。グレート東郷のアドバイスで。
>>326 テリーをKOしたハンセンに注目が集まったが、実はスヌーカの粘りが優勝をもたらしたのだ!
みたいな記事の雑誌もあったよね。
>>323 >>324 あれは、4の字でギブアップするのを潔しと
しなかった天龍がわざと両肩をマットに付け
フォール負けを選んだのでは?
>>329 その頃のフレアーの4の字はタップを奪る技でなくてフォールを奪る技
>>296 日大でのブリスコのリターンマッチでも二本目を取ってたな
ブッチャーはデストのUSも奪取したよね。PWF、UN、インタータッグとほぼ総ナメだったんだな。
チャンカーも2度優勝して、なぜか最強タッグだけは最後まで縁なく終わってしまったが。
79年なんか春冬連覇の最大チャンスだったな
直前にはNWA挑戦もしてたし
最強タッグは、表彰式でフェアプレー賞がどのチームが受賞するのか毎年楽しみで仕方なかった。
1981年の最強タッグ、表彰式には馬場鶴田組、天龍原組、小鹿大熊組しか居なかったなぁ。
昭和の春冬連覇は78年の馬場と80年の鶴田だけか
しかも双方ともシングル無冠の越年でグランドスラムはならず
春にリマッチ勝って冬に優勝したハンセンブロディ
春にAWA取ってUN取って、夏にインタータッグ取って冬に優勝した鶴龍
春冬と言えばチャンカーと最強タッグ
それを除くなら75年に馬場がグランドスラム
>>335 ブッチャーの王座奪取は全部10月なんだよな
馬場も鶴田もグランドスラムを逃した原因はブッチャー
今朝の天龍の話はなかなか面白かった。馬場と日プロ残党の関係、第三者の立場からいろいろ感じたんだろうな。
天龍さんが語る“気晴らし” 相撲時代は兄弟子に勝つこと、プロレス時代は馬場さんやジャンボの悪口で気分爽快〈dot.〉
https://news.yahoo.co.jp/articles/44250eaa10b08f1eadddcf0c157837a1e2c72586 >>345 >馬場さんも自分が見つけて育てたジャンボ、大仁田をかわいがる一方で、
>小鹿さんたち日プロの“残党”に対しては仲間というよりも
>「日本テレビから押し付けられて引き取った」という思いが強かったようで、最後まで相いれなかったように思う。
馬場にとっての日プロの残党は天龍にとっての荒川や高野兄弟みたいなもの
>>345 上手く日プロ残党に取り込まれてしまったんだな
>>346 小鹿たちも日本テレビに頼まれて来てやったというスタンスだからな
あれでは好意の持ち様が無い
そこは剛じゃなくて鶴見に
剛なんか出て来たら井上に引き摺り下ろされそう
>>350 じゃあ馬場 鶴田 天龍vsシン アシーク 鶴見で
訃報です、65歳はまだ若過ぎますよね。ご冥福をお祈りします。
天龍源一郎氏の妻・嶋田まき代さんが死去 65歳 団体「WAR」のチーフとしても天龍氏を支える
https://news.yahoo.co.jp/articles/1fac7b1a3b7edda52a8a2b76f0f22bde113ac8c5 マシン&阿修羅は、なぜアジアタッグ?インターじゃないの?と思った。
馬場鶴田天龍の6人タッグがテレビで流れたのは
2回だけだな。
対ブロディ木村鶴見と
対シンゴディミラノ
もう今夜がお通夜だったんですね。こんな集まるのは人望があったんだろう。天龍もツラいだろうな。
天龍夫人の通夜に中邑、オカダら供花「天龍源一郎を前向きに歩ませたのは、嶋田まき代のエネルギー」
https://news.yahoo.co.jp/articles/7eecaa900fa8c9bb9d953cc7250f9c29b6b6f865 初めて生観戦した時のメインが馬場鶴田天龍VSブロディギャングブルックスだった。
>>362 なかなかいいカードだな。ブルックスが、やられるとわかってても。
ブロディとギャングの相性はどうだったのか気になる。
ブロディは小さい相手レスラーは嫌いで、
タッグを組むなら自分より背の低い選手でないとイヤというめんどくさい人だからな
>ブロディは小さい相手レスラーは嫌いで、タッグを組むなら
>自分より背の低い選手でないとイヤというめんどくさい人だからな
そんなのありそうだけどブロディよりデカイ人はあんまり居ないよね。
蔵前で実現する予定もあったホーガンならどうだったかな。
>>364 インタータッグ挑戦したときのアーニー・ラッドとか
たかしは日大人気。
日大出身の有名人というだけで、特定のファンやタニマチがつく
>>371 1981年の最強タッグ、表彰式には馬場鶴田組、天龍原組、小鹿大熊組しか居なかったなぁ。
>>372 →
>>338 338 お前名無しだろ (スフッ Sd5f-/RTC)[sage] 2022/06/25(土) 07:32:15.85 ID:BzXXR7t4d
1981年の最強タッグ、表彰式には馬場鶴田組、天龍原組、小鹿大熊組しか居なかったなぁ。
>>374 リーグ戦終わればノーサイドで全員リングに集合する90年代よりこんな方が好きだ
開幕のセレモニーも表彰式もきとんとやろうとするのは日本くらいなんじゃない?
品行方正に終わるわけがないよね当時は
ロード・ブレアースの開会宣言すら、どのレスラーもまともに聞いてないでしょう。特にハンセンとブロディあたり。
試合前の花束贈呈にしても、ブロディやハンセンが入ってきて嬢は渡すことなく結局そのまま下りたりしてたよね。
そうなるとわかってるじゃん、バカか?て思ったりするけど、スポンサーの関係とかで一応リングに上げる必要があったのかな?
試合前の花束贈呈にしても、ブロディやハンセンが入ってきて嬢は渡すことなく結局そのまま下りたりしてたよね。
そうなるとわかってるじゃん、バカか?て思ったりするけど、スポンサーの関係とかで一応リングに上げる必要があったのかな?
試合前の花束贈呈にしても、ブロディやハンセンが入ってきて嬢は渡すことなく結局そのまま下りたりしてたよね。
そうなるとわかってるじゃん、バカか?て思ったりするけど、スポンサーの関係とかで一応リングに上げる必要があったのかな?
天龍がブロディに延髄斬りしても倒れなくて、三連発してやっと倒れたのを思い出した
鶴田とブバのタックル合戦は三発目で鶴田がジャンピングニーして終わる
Gスピリッツ最新号の表紙
一見すると微笑ましいがベルトの鷲はソッポを向いてるのが意味深
>>382 www
技も2発やって倒れなきゃ少しパターン変えてきたりするもんだけどね
執念がすごい
川田のジャンピングハイだって数打ちゃいいの当たるって感じだったじゃん
あれは一撃必殺というより相手にダメージを蓄積させてフィニッシュに繋げる感じだからな
プロレスは空振りとかは失敗として、攻守交代になることのが多い
ドロップキック失敗なんて、成功とダメージあんまりかわらん
>>389 その辺は階段がまだあると思ってたけど無かった時にガクってなるようなものだと思ってるわ
>>381 花束嬢もリング上ではハンセンとブロディに睨まれ、リングを降りれば元子から選手に色目使ってと怒鳴られ色々大変だ。
>>389 三沢が技の自爆は肉体的よりも精神的なダメージが大きいて言ってた。
Gスピリッツによれば
元子のビキニでプールサイドではしゃぐフィルムがあったらしい・・
>>377 85年の時だったか、レイスが宣言を読み上げるブレアースに「もうやめろ」って感じで宣言書を手ではじいていたな。
ハンセンの振り回したブルロープがレイスに当たって、凄まれたことがあった。
超獣コンビ唯一のインタータッグ戦を見たが鶴田がラリアットを食らった最初の試合だったのか
俺も若いときの元子嫌いじゃない、気の強そうな女だから好き嫌いは別れるだろうが
>>396 レイスはその前に長州に、開会宣言のあとは馬場に突っかかってた、単に盛り上げるため
1987年最強タッグ、木村鶴見組かタイガー仲野組の優勝を期待していました!
オープンタッグで「天龍羽田組か井上高千穂組の優勝を期待していました!」って言うようなものだな。
87最強タッグはぁハンセン ブロディの初対決とかぁ歴代一番の大会だぞぇー。
ブロディ ブッチャーとスヌーカのまさかのぉ全日復帰っちゅうのもぉー。
ブロディのパートナーはぁデビアースっちゅうのからぁ突然スヌーカにぃ。
ありゃあ衝撃的だったしぃ、いい意味でぇ予想外の展開んなったかんな。
今から考えたらぁハンセンとブロディの公式戦はぁ大会場ん方が良かったぞぇ。
でもぉ都内で見せたいっちゅう馬場の考え方からぁ後楽園ホールで組まれたんよぉー。
候補としてはぁ最初にゃあこの公式戦はぁ大阪府立だったらしいぞぇー。
しかしぃ馬場がぁ都内っちゅう拘り(こだわり)あって後楽園ホールにぃー。
最終戦の武道館の案もあったっちゅうにぃ聞いた事がぁーあったんよぉー。
でもぉ最終戦だとぉ優勝を決めるっちゅう時だからぁ難しいっちゅうにぃー。
最終戦武道館でぇ公式戦組むっちゅうのもぉ悪くなかったっちゅうに思うがぁ。
どぉせ両リンっちゅうのぁどの会場でもぉ全く変わらん結果だかんな。
そんでぇ五輪×龍原の決勝戦っちゅう流れで五輪優勝でも良かったっちゅうにぃ。
でもぉ龍原がぁ負けたら価値が落ちるっちゅう配慮がぁあったんかもなぁ。
そんでぇ五輪とブロディ組を決勝戦にしてスヌーカを逆転フォールっちゅう。
ブロディのハイキックで倒れた谷津がぁーそのまんまスヌーカをフォールとかぁ。
まぁあの時代だからぁあぁゆぅ結末もぉ許されたっちゅう感じだったぞぇー。
>>406 テレビに出なかったのはタイガー仲野だけか
ハンセンゴディvs木村鶴見
馬場輪島vs木村鶴見
タイガー仲野vs天龍原
鶴田谷津vsジンクターミネーター
ザファンクスvs木村鶴見
1987年最強タッグは珠玉の闘い!
あと1987年最強タッグ
ブッチヤーTNTvsジンクターミネーターも印象的
全日では全く実現の気配すらなかったが、新間あたりなら大国際軍団つくってたかもな。
木村
井上&浜口
原
鶴見
剛
寺西
菅原
高杉
冬木
スミルノフ
ブルックス
ストンパー
木村とスミルノフは一度タッグ組ませたかったな
他はもう賞味期限切れのばかりや
>>416 国際軍団の頭目に吉原がいれば更に良い。新日にいた時期っていつだっけか。
あとマンガにもあったがアンドレが絡むといいな。
昨夜G+でやってたが四十年前のレイスはとにかく強かった
まさにレイス最強!
>>416 マッハ隼人入れてやらないと可哀想なのと、マイク・ジョージは?
>>416 全日本ではジャパン参戦後の旧国際三分が見所だったな
特に全日本側で急先鋒を務めた井上のハッスルぶりとか
>>420 馬場の身体をキレイに上げてブレンバスター決めるのは
キラー・カール・コックスとレイスぐらいやったな
>>419 キッド入れるんならフレアーも入れないと
>>427 ブッチャーがカマタに嫉妬していたって話は面白かった
>>424 バーチカルスープレックスとかバーティカルスープレックスじゃなかった?
バーディカルスープレックスと一番言ったのは倉持アナかな
バー、のところを力強く言うんだよね
背中から落ちるのがバーディカルスープレックスで、やや脳天から落とすのがブレンバスターでいいよね
垂直落下式ブレンバスターとか53歳とかあるが
バカとはなんだ、早稲田出てるんだぞ。スペイン語もペラペラ
フレアーは滞空時間の長いvertical suplex を開発したのはレイスだと主張していたな。
英語ではDelayed Vertical Suplex。
四十年前のレイスは海外中継でのフレアー戦から始まったんだよな
そう考えると長いな、倉持とか存命だからイジれる部分もあるし、徳光も元気だわ
ウルトラマンエースの技でバーチカルギロチンってのが有ったから
バーチカルスープレックスも抵抗なく覚えた。
オースチンかオースティンか
ヘルナンデスかフェルナンデスか
チンチンかティンティンか
みたいな
ヘルナンデスとフェルナンデスはそれぞれ頭文字がHとFで別物。
コックスのブレーンバレイスのバーティカル・スープレックスは形は綺麗なんだけど、あれ一発で馬場クラスがフォール取られるほどの破壊力があるんだろうか?と疑問ではあったな。
>>444 文章の修正ミスで失礼。
レイスのバーティカル・スープレックスは形は綺麗なんだけど、あれ一発で馬場クラスがフォール取られるほどの破壊力があるんだろうか?と疑問ではあったな。
>>441 斉藤と齋藤と斎藤はぜんぜん違うという人も居る
説明を聞いたらなるほど違うのかも、と思ったが
自分がサイトウ本人じゃなかったのでどうでもいいと感じた。
名前を間違えるのがいちばん失礼という風潮もつまらんプライド故だな。
>>441 スペルはFでもマニー・ヘルナンデスのほうがやっぱ馴染みあるじゃん
本人希望のセミー・シュルトもやっぱセーム・シュルトのほうがしっくりくるし
スペイン語で語頭のHは発音しないが、エル・ハルコンとか知らなかったのか
それともあえて英語風に発音したのか
それにしてもヒューラカン・ラミレスはないわー
ロイス・グレイシー、ロドリゴ・グレイシーならいいけど
リクソン・グレイシー、ロイラー・グレイシー、レンゾ・グレイシー、ロリオン・グレイシーだと変な感じ
>>446 こだわるのが人によって個人差あるよね。
例えば、カワダさんと呼ばれて「いや俺カワタだから」っ人もいれば別にどっちでもいいよって人もいるw
マサ斎藤が全日本に参戦した時期って非常に短いけど、
ジャイアント馬場と絡んだ試合ってあったんでしょうか?
試合内容含めて、ご存じでしたらぜひ教えてください。
>>451 久留米の一試合のみ、なはず。
馬場鶴田カブキ×斉藤カーン谷津かな。
>>452 >>453 ありがとう。一度だけあったんだですね。。
どんな絡みがあったんだろ。。
YouTubeで長州と馬場の絡みが最強タッグ戦でアップされてたのを見て、見入ってしまいました。
この二人は二回あるようですね
>>454 ターザン山本は倒れただけで死んでないだろ
>>453 確か福井大会でも
馬場ドリー大熊vs斎藤カーン永源が実現している
福井大会からもう一つ
馬場鶴田石川vsシン原鶴見も名勝負
>>456-457 俺も山本の方を連想した。
後藤が付かなくてただの「ターザン」だと山本を連想するからな。
後藤が58青柳が65安倍晋三が67
と考えると馬場はそこまで早くないな
心肺停止と聞くと2009年6月13日の夜を思い出す
今日はちょうど福井で初戴冠した混成コンビのアジアタッグ返り咲きの日
マサ斎藤が全日勢と絡んだのは85年新春シリーズと春のジャパン主催シリーズくらいだっけ
85年のエキサイトにも参加していた気もするが記憶が不確か
心肺停止でもなんでもないただの失神だがミラノの死んじゃったの時は
本当に死ぬんじゃないかと気が気じゃなかった
>>472 >ほかにも日本のあるステーキ店が人気で、わざわざ車を出してまで通うレスラーも多かった。
>そこは外国人レスラーが行くとサービスがよかったみたいだからね。
>俺も一度行ったけど、そのとき撮った写真を勝手に店に使われて「俺たちで商売しやがって!」と頭に来てね。
>それ以来その店には行っていないけど、外国人レスラーには人気だったよ。
なんか、こういうところがなぁ…
一番面白いのはデビッド・サンマルチノの話だな。
マスカラスやブロディはいまさら。
マスカラスはメキシコ人と言うだけで差別を受ける世の中で、
むしろ毅然としてて俺は好きだな。
彼のおかげでメキシコのレスラー達の扱いが良くなったのは事実だろう。
>>472 天龍のコメントの中に「ドンパチ」ってのがあるけど「トンパチ」のことだろうな
天龍の滑舌だから「ドンパチ」に聴こえたんだろうけど、インタビュアーが若い人間なんだろうな、「トンパチ」って単語がわからないんだろう
外人はボスをボコボコに出来ないってスティーブウィリアムスは
馬場猪木をリアルにKOしたぞ
誰が強いか知りたいのに天龍はプロレスの裏側を守る気が無くなったらしい
ボコボコにはしてないが、ハンセンブロディはそれ以上にやっちゃいかん大怪我させてるだろ
>>475 ところがメキシコマットでは
メヒコ以外の中南米国出身のルチャドールが差別を受けるという事実
パナマ出身のカトがグチりまくっていたのはちょっと驚きだった
「ただしアルゼンチン出身のコロソ・コロセッティは例外だ
アルゼンチンは富裕国だったしアルゼンチン料理は高級イメージがあるからな」
深い… というか知らんがなwというか
プロレスラーが本気で戦うわけないだろなんて
うっかり隠語使ったらなんだそれはと凄む天龍は消えてしまったんだな
本気で相手をケガさせたければボディスラムを失敗すればいいだけだからな、対抗戦の木村けんごみたいに
>逆に俺と戦うときは、いくらでもボコボコにしていい。攻撃のシビアさが全然違うんだ.。
いつでも自分のことは持ち上げる。
持ち上げてるか?
自分がジョバーだと下げてるように読めるが
>>484 そういわれてみればそうだな。
前に「鶴田は受けてくれないけど天龍は受けてくれるから感謝してる。」
という趣旨のことをハンセン、ブロディに言われたと
鶴田を下げて自分を上げるようなことを言っていたので
「また同じようなことを言ってるよw」と思ってしまった。
>>475 どこに行っても
「私はスターだから最高の待遇を用意してほしい」
「誠意とはギャラの金額以外にはないだろう?」で通して
「ああ言う人だったからメキシカンなのにアメリカでもトップスターに
なれたんですよ」と肯定的に評価していたいた人もいたからね
プロレスラーが本気で戦うわけないなんて最低のカミングアウトだよ
一般紙に出ると「最近のプロレスは見てない」って 見てないのになにえらそーに
ミスタープロレスはレイスだよね。
馬場猪木差し置いて天龍はない。
オーナー社長に本気だす訳ないって、じゃあWARはどうだったんだって話だし、力道山から続くオーナー社長プロレスを腐すというのは、さすがにどうかと。
>>476 >ドンパチ
若くない俺は弾けるキャンディを思い出した。
82年の最強タッグをG+で見たが華やかってのはまさにこういうのを言うんだな
>>498 84年くらいまで本当に世界からタッグチーム集めてたからな。
85年は大会史上最悪だろ。
82,85,86年は一枚落ちるけど90年までは参加メンバーの顔ぶれでワクワク感はあったな。
個人的には優勝するかというよりお祭り感覚を楽しんでいた。
当時まだ幼くてフェイクだなどとはみじんも思わなかったが
ワクワクしながらもどこが優勝するかとかもまったく興味がわかなかった不思議
優勝どうこうよりお祭りだよね。入場セレモニーが一番興奮した。
初期の最強タッグはファンクスと馬場以外の世界王者級が参加するのも見所だった
そして世界王者級が参加しない時にはマスカラス兄弟が参加
82年とか当時めちゃくちゃ力入れて観てた。
前年最終戦からテリーのハンセンに対するビッグリベンジ期待してたからね。
82年にゃあシン 上田ならぁ本当に良かったっちゅうにぃ思うちょるんよぉー。
後はぁもぉ1チーム、それこそぉスーパーデストコンビでも良かったなぁ。
後はぁレイス スヌーカで参加ならばぁ更にぃ盛り上がっただろぉかんな。
スレーターはぁパイパーかデビアスとでも参加しちょればぁ更にぃ良かったぞぇ。
まぁ焦点はぁファンクスとハンセン ブロディだったからぁ他は霞んだがぁー。
馬場や鶴田でさえもぉファンクスとハンセン ブロディの抗争にゃあ霞んだしぃー。
実際にゃあこの両チーム中心になった大会だったのもぉ物足りなさかもぉ。
ファンクスがぁー反則勝ちで優勝っちゅうのもぉ当時ならぁ普通だったかんな。
81から84までは1本の大河ドラマみたいなもんだよ。
超獣コンビvsレイス&スヌーカは見たかったな。対ファンクスとかより、ずっとスイングする試合になったと思う。
ファンクスとハンセンブロディブッチャー絡みでないチームで
最も優勝に迫ったのレイスニックかな?
>>507 開幕戦でいきなりリッキー組が大善戦だからな
しかも最後の師弟コンビもいきなり上田組に無得点試合
>>510 パートナーが不調のスレーターだったので結局はPWF王者のレイスが一人で大暴れ
>>511 レイスニック組とか誰がどう見ても実力者コンビだし優勝しても納得なんだけど、
それで盛り上がるかというと・・って感じよね。
78年と80年の馬場鶴田組優勝も、盛り上がらない優勝決定だったな。今思い出すと気の毒に感じるね。
リーグ戦として、シリーズ通してのストーリーが最高だったのは79最強タッグ
ファンクス対ブッチャー・シークの抗争が最終戦でピーク、そして仲間割れへの流れは完璧
サイドストーリーを描いたマスカラス兄弟やワフーも良い仕事をした、ワフーは日本でのキャリアハイ
そして、彼らの力を引き出したのもブッチャー
>>513 結果はファンクス優勝だったけど、超獣の強さしか印象残ってない。
翌年スペアチームのハンセンロンバスですらインター獲ってたくらいだから
超獣はどうしょうもなく手が付けられなかったね。
>>516 パッと見の第一感で、レイスニックの優勝は難しい感じだけど
鶴龍超獣とどんな絡みになるのか楽しみだった。
「元」王者コンビってとこがミソで、仮にフレアーマーテル組だったら
優勝もあり得たかもしれないね。
84年は馬場もラッシャー指名で、上位狙ってる雰囲気あったし
参加チームの穴が少ない期待値の高い大会だったな。
>>511 レイス&バーも最終戦時点で自力優勝の可能性があった
レイスニックを実現させて、マニアを熱狂させるセンスよ
84年最強タッグはぁ馬場 木村とシン ショーの2チームがぁ離脱だかんな。
シリーズ中にぃ2チームもぉ離脱っちゅうのぁ他の見てもぉなかったぞぇー。
他のっちゅうのぁ歴代最強タッグや新日のタッグリーグもぉ含めてだかんな。
84年最強タッグん時ゃ馬場のパートナーはぁバックランド説もあったしぃー。
結果的にゃあ契約でけんかったからぁ木村んなったっちゅう流れだろぉなぁ。
木村はぁ敵方に置いて活躍の場を与えるっちゅう流れだったんかもなぁ。
結果的にゃあ84年がぁーハンセン ブロディとして最後の大会んなったぞぇー。
ハンセン ブロディではぁ三回しか参加しちょらんっちゅう現実だかんな。
地方住まいでテレビ観戦のみだったんだけど、最強タッグで
外人同士の試合ってどういう感じだったんだろう?
83年のハンセンブロディ対マスカラス兄弟、同じくウィンダム・
ロンフラー組くらいしか印象にないんだが。
前者はガチの不穏試合で後者は一方的な蹂躙だったけど。
総集編でそれまで放映した試合のダイジェストやるくらいなら、
未放映の外人チーム同士の中継を見たかった。
観てないから何とも言えないけど、外人同士の手抜きというか
お仕事感満載の試合だったんだろうか?
なんかそういう書き込みを以前読んだんで。
>>526 ダイジェストでやってなかったか?
一番古くておぼろげながら記憶あるのはレイスヘニング組と誰かの試合。
ヒッカーソンブラックウェルの試合もダイジェストで見た気がする。
>>519 同じ反則勝ち優勝でもオープンタッグとは対極だな
>>517 ベビーフェイス同士だからね・・・81年以降は同カードはノーテレビに。。
ディフェンディングのファンクスをセミにできず苦労した感じ。
ファンクスがスーパーベビーでブレイクしてしまったので師弟コンビがヒールの役割になった感じだな
特に三年連続の凶悪コンビの後釜になった後者の蔵前の場合は
>>518 あの年はファンクスだけでなく仮面兄弟との抗争もあったからな
開幕戦ではワフーの日本ベストマッチも引き出したし
チャンカーに続く春冬連覇も掛かっていたし
春暮の連覇って当時はあまり気にされてなかったけどね。
CCは春の選抜で最強タッグが夏の甲子園って感じかな。
あるいはCCが皐月賞で暮れがダービー、どっちにしてもタッグの方が注目度高い。
そもそもメンバーが。
カーニバルより最強タッグの方が敷居が高いって印象もあったな
石川なんか遂に最後まで出場できなかったし
>>533 へーそうなんや
天龍か佐藤あたりと組んで出てても違和感ないけどね。
天龍は革命前龍原て何度かでてたね。
>>534 何度かって一度だろ?極道コンビにも負けたんだよな。
>>534 佐藤も出ていない
代わりにアジアタッグを取れなかった鶴見が何度も出ているのも面白い
>>535 翌年も出ている
そこでは師弟コンビの勝てなかった超獣コンビや上田組に勝利
>>534 石川と佐藤が出ても和製ハイキューヤーズだろ
PWF認定世界タッグ戴冠直前の超獣コンビにアジアタッグ王者の原、石川が挑んで玉砕した試合があったな
最強タッグ出てない日本人も多いことを考えたら、84年以外毎年出てた阿修羅原は実は完全に日本陣営ナンバー4の座にあったと言えるな。
ラシク、クラップが大好きだったが勝ち星に恵まれなかったのが残念だった
81年はマークルーインが目立たないぐらい豪華なメンバーだった
81年は「悪くて強くて凄い奴」勢揃いって感じだったな。
>>543 ブロディとスヌーカ組んだ時点で穴無かったもんな。
ハンセン乱入のインパクト強いけど、なかなかいいメンバーだったんだな。
81年はロートル大会でもあった
上田を含む外国人側12人全員が35歳以上
うち7人が40代以上
>>545 ラシクもクラップも、最後の来日になったんだっけ?ヘニング父も、全盛期はとっくに過ぎていたよね。
レイスヘニングもラシククラップも国際なら超獣並みだろうな。
今日知ったが、ブロディはプエルトリコWWCの共同経営者のゴリラモンスーンから株を買い
共同経営者になろうとしてたんだな。
相当複雑な背景というか。。
ブロディ…35歳
スヌーカ…36歳
レイス…38歳
ヘニング…45歳
シーク…55歳
ルーイン…44歳
ラシク…41歳
クラップ…47歳
シン…37歳
上田…41歳
開催が5年早ければ面白かっただろうな。
>>547 実際、レイスを除いたヘニング、ラシク、クラップは
国際では、エース格(IWA挑戦者)だったんだが。
>>549 スヌーカは1943年生まれだから、当時38歳
このメンバーのなかでは若手みたいな印象だったが、意外と高齢
一部資料では、1945年生まれになってるが
逆に意外と若いシンとレイス
>>549 ここから10年以上経ってFMWで狂い咲きしたシークもまた凄いw
鶴龍は既定路線として、残った原はカブキと出場でも良かったと思う。または石川。
カブキの最強タッグは87年が初なんだよな
もっとも高千穂時代にオープンタッグに出てたが
90年は鶴田と組んで優勝戦線に残れたのにね。一世一代の晴れ舞台を自ら放棄した。
>>556 鶴田国内デビューのタイミングで、上田や松岡と共に全日本退団して海外行けばよかったのにね
>>556 だから尚更に現在喚きまくってる感じなんだよな
自分の選択は間違いでなかったって
「UNベルトを取り上げた人を、ギャフンと言わせる辞め方をしたかった」だけだろ?本人はそれだけで満足なんだよ。
その人の存命中は悪口言わずに、その人が亡くなるのを待ってから悪口言い出したのはカッコ悪いと思うけど。
「俺はUN王者として全日に来たのに、なんでこんな扱いをされなきゃいけないんだ?」
とか真面目に思っていたんだろうな。UN王者の価値は猪木→坂口→高千穂と大暴落したが、
本人は「みんな辞めてくれて、抜擢されてラッキー」としか考えていなかったと想像できる。
鶴田のおかげでUNが復権したんだよな
むしろ鶴田こそUNのイメージ
人がいないからUNやインタータッグがまわってきただけなのに
レスラーは「これが俺の適正な格だ」と勘違いする
上田も「インタータッグ王者のおれに礼を欠いていた」と思ったみたいだからな
高千穂:タイトルマッチもさせずにタイトル剥奪
上田:試合から干す
松岡:移籍初日に中堅外人レスラーにフォール負けブック
馬場のキラーぶりが素晴らしい
>>563 イフの話になるが日プロがもう少し粘ってワールドリーグをやってたら。
順当なら大木が優勝したのかなと思うが(それもかなり黒歴史だろうけど)
高千穂の優勝という目もあったんじゃないかとも思える。
ますます鼻が高くなっただろうな。
>>556 ただ鶴田&カブキ組というかカブキは世界タッグ獲った時点でもうアップアップ感が激しかったなw
あれが限界て感じ。
鶴田のパートナーとしても体格と体力があった田上、鶴田をフォローできたマイティ、渕だからこそ
超世代軍と丁々発止の面白い試合になったんだろうなぁ。
カブキはヘンに先輩面して「お前たちはま~だ、ま~だだ」とか寒いアピールしてぶち壊しになる。
お年寄り同士のマウント取り合い
揚げ足とりスレ プロレス好きはなぜこうなんだろう。
当時の馬場はカブキについて今こそ吉村さんみたいになって欲しいという発言をしていたがその意味合いはなかなかに微妙だよな
要するに外様出身の重鎮という意味かとか
>>568 カブキは鶴田(主力級)のパートナーに限界を感じたんだよ。
格好つけて言ってるけどただ逃げただけ。ゴディウイリアムスに勝ったって言ったってほぼ鶴田じゃん。
カブキ何もしてない
>>570 うーん さんざんやられまくってから回転エビで逆転ピン
というワザをマスターしろということだろうか
>>570 元々高千穂への評価は吉村みたいに馬場・猪木・坂口といった歴代エースの引き立て役としての役割を全うした事を求めているのだろう。高千穂本人の自己評価とは違っていた。
国際はTBSも東京12チャンネルもない
おいらの田舎では無名に近かったな。
ラッシャー木村、誰それ?
お年寄りも力道山、馬場、鶴田、しか知らない。
テレ朝もなかったから猪木も知られていなかった。
なんかアントニオ猪木ってプロレスラーがいるらしい、程度。
お年寄りは深夜テレビなんか見ないから
、何を血迷ったか日曜夕方に新日が放送され始めた時にブッチャー引き抜き
タイガーマスク、ってなった流れだな。
金曜夜8時は太陽に吠えろだろ。
3年B組金八先生?なんか流行ってるらしいね。
つうか1組とか数字だったし。
田舎はそんなもんだった。
師弟コンビ解消して鶴田が最前線で活躍した約10年、
正パートナー最低はカブキだろ。
>>573 カブキはSWSで吉村のようなマッチメーカーにもなったが失敗したよな
>>577 最低は輪島だろ(87年PWFタッグ挑戦
ビンス・マクマホンが引退を表明
ガチなのかアングルなのか
>>581 マクマホンJr.やろ、まあもうシニアが亡くなってから随分たつからな
もう76歳か、シニアが亡くなったのは70前やったか
>>582 ジュニアを名乗らなくなって四半世紀ぐらい経ってなかったっけ?
>>582 あの父子もまさにゴッドファーザーなドラマだったな
>>213 ブリスコの価値を一番落としたのは賞金マッチやった猪木だろ。
内容で魅せる気がないから賞金マッチなどという破廉恥な企画に走った。
>>231 >田鶴浜さんは、ブリスコのチャピオンベルトを、腹の周りで半回転させ
自分で脱着する動作を批判していた。
俺も女がブラジャーを乳の下でホックをはめて半回転させる動作を見ると萎える。
>>585 あの一戦な最初にブリスコが猪木をテイクダウンした場面が全て
プロモーターが引退って意味がわからない。単なる院政。
最初から単発参戦だったみたいだし、NWAネガキャンの一環だろうな。
元世界王者なのにリング上で札束ヒラヒラさせてブリスコの人間性まで貶してしまったと思う。
NWAから下りた後のブリスコは完全に箔付要員になってたからな
>>590 本人も、それを良しとしていたみたいだし。
割り切っていたというか、分かる人には分かるよね?と達観していたのか。
ブリスコは全日本に戻ってチャンピオンカーニバル参加したが、馬場にジャンピングネックブリーカーで負け、鶴田には4の字からの首固めで負け、挙句はブロディには数分で負けしたからな。
レイスやファンクスの様に大事にされなかった。
>>592 次ぎ来たら完全にジョバーになってたね。空気読んで正解
公式戦でファリスと30分時間切れやらされたのが評価を落とす決定打だな。
展開は再三アベンジャーの介入があったってことらしいけど、当時はほとんどが結果しか見れないからダメだと思っちゃうよね。
>>592 馬場鶴田にはそれぞれタイトルマッチで負けた技で負けてるのが変に律儀だな
馬場全日にはまた新日に行ってしまうんじゃないかと重く扱われず
猪木新日には馬場のNWA獲得を揶揄したい意思か、つまらんブックを呑まされ
DLジョナサンは勝ち負けにこだわらない強さ、みたいにいわれる。
体躯こそ違うがブリスコも似たようなもんじゃないのかと思うが
一度新日に行ったことが暴落の原因に言われるけど、ブッチャーブロディと同点3位なんだよな。
ファリスとは現地にいた人いわく、25分でタイムアップのゴングが鳴ったみたい。
ブリスコの扱いについてはスレーター欠場の影響はあっただろう
ブリスコ対スレーターは見たかった。
スレーターが事故に遭わず万全で参加していたらどんな星取りになっていたのか興味深い。
事故後の日本復帰戦、ロビンソンと組んでのサマーアクションシリーズ開幕戦の馬場&鶴田戦、
普通にスレーター、良い動きしてた。ロビンソンと組んでも全然霞まないし、ある意味華という部分では凌駕してた。
結局、このシリーズは体調不良で途中帰国しちゃうけど。
カーニバルでブロディ戦も見たかったな。
事故に遭わなかったら、創立10周年ジャイアントシリーズや81最強タッグにも参戦してたんだろうな。
>>600 スレーターが途中帰国したから、最終戦のインタータッグ挑戦者がロビンソン&天龍組になったんだよね?
そう。
スレーターの途中帰国が無ければ天龍にチャンスは回ってこなかった。
ロビンソンがヒーナン、リベラ、ズビスコではなく天龍をパートナーに指名したってのは
全日、というか日テレの意向もあったのかな。
動員には全くつながらなかったけど、後々のことを考えれば大ヒット。
前年までの全日なら安易に外人からパートナーを選んでたような気がする。
このシリーズはカマタがPWFとインタータッグに挑戦(パートナーは伝説のあのデクの棒)、
スレーターがUNとインタータッグに挑戦、ロビンソンはインタータッグ挑戦のみの冷や飯扱いだったが、
シリーズ最終戦ですべて持っていってしまったかのように、目立つ終わり方になっちゃったな。
開幕戦でロビンソンとシンの唯一の接触があったシリーズ。
馬場対ロビンソンって初対決は馬場が初の2フォール勝ちして猪木との優位性を誇示したけど、後に星を返したことがあったのかな?
最後のシングル、82年のカーニバルでは両者リングアウトだったかと思うが。
カマタに勝ったときにタイトルの名前を知りもしなかったという
>>597 その後にインターチャンピオンシリーズというのがあって、UN戦で鶴田に首固めで負け、インターヘビー王座決定リーグでブロディにリングアウト負けしてるの。
勉強やり直し。
全日のロビンソンはPWFのベルトをブッチャーに渡して御役御免って感じ。その後は特に有効的な使い道もなく呼んでいただけかな。
煽ってるのにミスがあるって本当最悪だよな
オレだったらもうこのスレ閉じてなかったコトにする
84年Gシリーズでの馬場、鶴田VSロビンソン、デストロイヤーでロビンソンがワンハンドバックブリーカーで鶴田をフォールしたのに驚いたな。
このシリーズでロビンソンは鶴田のインターに挑戦して敗れたが、この試合はインター戦の後だったかな?タッグながら星を返してもらった形だ。
84年は鶴田がAWA王者になったことでロビンソンとの対戦が増えて名前を最も多く聞いた年だったかも。
>>613 あの時のロビンソンは2年近く呼ばれて
いなかったのに、その間特に来日待望論が
出る事もなく完全に過去の人になってたな。
最も日本でのシングルピンフォール負けは
馬場との初対決以来の結果だったけど。
>>608 トーナメントね、後楽園ホールのリングアウト勝ちは生観戦したよ。勉強やり直しね。
>>611 マスカラスとのタッグが一瞬の輝きだね。
ロビンソンとマスカラスの同時来日はきらびやかな感じがしたので感慨深い。
'84にシンとハンセンが揃って来たのも時代が変わったな、と同じく感慨。
ロビンソンって試合がつまらなかった印象が強い。
ニックやレイス、フレアーみたいなゴージャスさもないし。
82年からハンセン、ブロディを軸にしたことと、レイスが脂が乗ってタイトル戦線に絡んでいたからロビンソンにお呼びはかからなかったね。
ロビンソンとニックは鶴田のインターに挑戦し敗れたことで引導を渡された。
ハンセンブロディに対してリング上で嫌がらせしそうだもんね、ロビンソン。
馬場からしたら、そりゃ敬遠しとくか、ってことになる。
大谷翔平がナ・リーグとのインターリーグ戦で、
マーリンズ(フロリダ)、ブレーブス(ジョージア)と対戦するのを見て、
「おお、NWAの主要テリトリーやん。あと残るはセントルイスの総本山カージナルス(ミズーリ)やな」
と昭和全日ヲタ全開のことを考えてしまう自分がいるw
地元のフレアーに対しグレッグバレンタインがNoのアクション
フレアーがそうされる姿を見れるとはね
>>619 ロビンソンの試合を今改めて見ると
この人は本当に面倒くさい人だったんだろうなと
つくづく思う。
客が誰も気がついていないのに、毎試合毎試合足や腕の関節を捻り上げるフッカー的な動きを
飽きもせずに繰り返している。
相手も「あーまたはじまった。ハイハイ、痛がってあげますからね」みたいに思っていたんだろうな。
三沢はホースト・ホフマンが好きだったけど、ホフマンってオープン選手権以外にも来日したの?
>>623 オープンタッグでロビンソンと組んだだろ?全日に来る前は、国際でS小林のIWAにも挑戦している。
>>623 三沢はホフマンの緑のタイツが好きってだけのような気がするけど。
ふと思ったんだがジョー樋口のイメージカラーて何色だろ?
それこそホフマンよりは少し明るめの緑色も印象深いし
上下が違う現色もあったよね。
>>623 72.3 (国) 第4回IWAワールドシリーズ
73.2 (国) ビッグチャレンジシリーズ
74.6 (国) ビッグサマーシリーズ
75.12 (全) オープン選手権
76.5 (全) NWAチャンピオンシリーズ
77.5 (全) NWAチャンピオンシリーズ
77.12 (全) 世界オープンタッグ選手権
プロレスアルバムで「ミスタープロレス」というレイス、ニック、ロビンソンの特集号があったが
レイスやニックは納得だけどロビンソンは違う気がした。
レイスとロビンソンって日本で一緒になったことないよな
同時に呼ぶなら最強タッグが最有力だろうがそこもスレ違いだし
ロビンソンは創立10周年記念ジャイアントSに呼ばれなかったな。
サマーアクションSに参加したばかりだったからとはいえ、マスカラスは連チャンしたのだから特別参加してもよかったのにな。
85年のワールドチャンポンカーニバルには参加したけど。
ロビンソンとニックがUインターのリングでエキシビションやったとき
ニックのグランドを全く受け付けず終始ロビンソンが仕掛けて
ニックが逃げる展開になりロビンソンの嫌なやつ感が出てた
>>627 コーディネートによって試合の結末が
おおよそわかるという噂もある。
>>632 チャンポンカーニバルで笑ってしまうわ
どこの中華屋がスポンサーになったんや??
>>636 リンガーマスクとかシカイ・ローローなんてネタキャラ集めた方がいいんじゃねえか?
ロビンソンは85年10月の全日本の シリーズでニックは87年9月の同じく全日本のシリーズを最後に現役を引退している。引退試合なしで突然のフェードアウト。2人とももし90年代まで現役を続けていたらインディー団体で試合してたのかな?例えばオリエンタルプロレスとかIWAジャパンとか。
ニックは新日でマサとシングルやったし、そのあとJPWAだっけ?インディのアメリカ代表監督みたいな事をやってたから、
まだ日本で試合出来たかもね。
>>633 宮戸のリクエストじゃないかな
猪木戦みたいにやってくれって
テレ朝の夕方ニュース枠で新日の試合を5分くらい流した時があって
A猪木対ビル・ロジャースって紹介された
>>638 ニックとロビンソンの対戦となるとやはり80年最強タッグ最終戦でのスペシャルマッチなか
何でガニアが、ロビンソンじゃなくてニックにベルトを巻かせたかなんだよな。
ニックは倉敷のインター挑戦が現役最後のタイトルマッチだったか
メインのPWF世界タッグより良い試合だった
>>648 レイスの日本での最後のタイトル戦も鶴田とのインターだったか
三冠統一の闘いが始まったのを機にニック、レイス、ブッチャーらには引導渡しが始まった印象。
実際三冠王座にはハンセンより高齢の選手は挑戦していない。
そういえばブッチャーの最後のタイトル挑戦も鶴田のインターだった
ニックの全日での活躍は認めるが、
1990年9月、猪木デビュー30周年記念(横アリ)に
グレート18クラブのメンバーとして招かれてのは
違うだろ!?と思ったよ。
猪木とは70年のNWAタッグリーグで優勝を争ったが
接点はそこだけ。(シングルをやっていないと思っている人が
いるくらい。実際は2戦して猪木の2勝)
なら、キラーコワルスキーやクリス・マルコフ、いや
ドリーの方がずっと猪木と因縁がある(名勝負をした)んだが、
二ックのネームバリューで強引に呼んだんだろうな。
グレーテスト18クラブのメンバーにバーン・ガニアも入っているけど日本ではもちろん対戦歴なし。アメリカで対戦したことあるの?
馬場版グレーテスト18クラブを作ったら間違いなくガニアはメンバー入りだが18人では少ないだろうな。
馬場版
サンマルチノ(主幹事)
ブッチャー
ドリー
テリー
レイス
ブリスコ
ガニア
テーズ
ロジャース
エリック
キニスキー
デストロイヤー
マスカラス
ハンセン
ブロディ
アンドレ
鶴田
馬場
豪華だけど、何かと入り切れん選手もでてくるね。
日プロ時代に対戦した選手が豪華すぎるからな。
ブラジル
ブルーザー
クラッシャー
コワルスキー
ホッジ
スナイダー
ジョナサン
イヤウケア
猪木版に大木、R木村、マードックらが入らなかったのは残念だが、馬場なら許可しそう。
>>656 グレーテスト18クラブのメンバーは、一応
「猪木と対戦したことがある選手」としているが
ガニアだけは、猪木と対戦経験がなかったね。
後の選手は、みなシングルで対戦している。
でも、さすがにガニアは名前だけで参加はしなかった。
これで、来日したら、ニック以上に違和感があったよ。
ガニア抜いてグレーテスト17クラブにすると
アイドルグループみたいだからな
参加は期待せず、名前だけ出すのなら
ドリーやブリスコでも良かったと思うよ。
マードック スーパースター アレン辺りもぉ名を連ねて欲しかったかんな。
18に限定ならぁ連ねる名前もぉ絞られてもぉちゃるんはぁ仕方ナッシング。
でもぉ18クラブっちゅうのぁあん時だけで終わってもぉたんはぁ残念だぞぇー。
しかもぉシンがぁ暴挙で追放されて17んなってもぉたっちゅうのがなぁ。
更にゃあムタがぁ18クラブタイトルをぁ返上→封印っちゅう流れになりぃ。
実際にぃ全く必要ナッシングっちゅうのがぁ如実に伝わってもぉたんよぉー。
要するにぃIWGPだけでいいっちゅう新日の方針がぁー現れちょってぇー。
18クラブはぁ猪木30周年記念で創設されたタイトルだったっちゅうにぃ。
時期が過ぎてもぉたらぁ必要ナッシングでぇ邪魔なタイトルんなってまぃ。
18名(後にぃ17名)の凄いメンバーが揃った権威あるタイトルだったがぁ。
あん時ゃ既にぃ新日は『猪木排除』を虎視眈々と狙っちょったみたいだしなぁ。
そんで猪木関連のタイトルはぁ必要ナッシングでぇ強引に返上っちゅうにぃ。
ブラジル
エリック
サンマルチノ
キニスキー
ブルーザー
クラッシャー
コワルスキー
デストロイヤー
ジョナサン
モンスーン
スナイダー
コックス
日プロ時代のライバルというイメージが強いが、みな全日本にも来ている
ザ・シークをメンバーに入れるべきか?
プロモーター同士という点では馬場にヒケをとらないが。
全日時代中心なら
ブッチャー
ドリー
ブリスコ
レイス
ロビンソン
カマタ
ブロディ
シン
ハンセン
アンドレ
大木
木村
テリーとマスカラスは全日への貢献度なら文句なしだが
馬場との関係(好敵手orパートナー)では微妙
他にシーク、イヤウケア、ルーイン、Mレスリングなどいるが
>>650 ライオネス飛鳥にジャイアントスイングやられてたな
メドゥーサに肩入れしたレフェリングしてたから
>>670 テリーが二年くらい保ってたらあと1回や2回は来日したはず。
そうしたらさすがに挑戦したかもしれない。
そうなればオープンタッグは無かったかメンバーが違っていたかも
あと初戴冠時のレイスにも挑戦しなかったかも
当初は最初のチャンカーの最終二戦にはNWA王者のドリーの参加が予定されていたらしかったがレイスでなくシークを呼ぶ方に替えたのもやはり当時のレイスでは権威に欠けると見做されてたかもだし
>>674 1973年、チャンピオンカーニバル最終の2連戦
対シーク戦は4月24日と25日。
ドリーがレイスに破れたのは、その一か月後の5月24日なのだが?
チャンカンの最後に馬場がPWFとドリーのNWAを賭け、
ダブルタイトル戦を計画していたのは知っているけど。
あ失礼
転落前の長期欠場で来日が流れたんでした
とにかく最初の時点でのレイスでは挑戦しなかったのは間違いない
翌年にブリスコが来た時も最初の対戦は長崎でのダブルのノーテレビだったわけだし
馬場がNWAを奪取した試合や防衛戦の映像は
今でもたまにリマスターされたものが放送されるけど
奪回された試合って放送されたことあったかな
ドリーが王者の頃はまだ日プロが健在で呼べなかったんじゃない?
シニアのおかげでNWA会員にはなれたけど遠慮があったとか。
その意味でドリーの招聘はNWA加盟権の継承儀式の意味合いもあったか
翌年の王者初招聘でも単にブリスコだけでなく三代王者の揃い踏みにマソニック会長まで呼ぶなど政治的セレモニーの意味合いが強かったし
NMA世界王者の招聘は日本プロレスの既得権として全日本プロレスへは認めない。
これって後に全日本が新日本に対してNWA加盟条件とした件とまったく同じだ。
むしろ日プロが崩壊寸前という前提で全日本の加盟が認められたという説もあったな
>――当時、ケンコバさんは2代目タイガーをどう見ていましたか?
>「俺が心配していたのは、越中詩郎さんの気持ちでした。
ケンコバは1972年生まれで二代目タイガーは1984年
12歳で後輩に肩を越された前座の気持ちを心配とか盛りすぎ
だから吉本は胡散臭いんだよな
しかも新日シンパのケンコバがそこまで真剣に全日をチェックしていたとは思えんよな。
越中ファンを公言しているにしたって実際は高田との抗争のあたりから注目しはじめた程度なんだろう。
でもテーズ杯だったかあすなろ杯かなんかで優勝したの越中で、三沢は準優勝だろ。
ケンコバでなくても当時リアルタイムで観てりゃ越中の心情察しても不自然じゃない。
タイガーマスクありきの帰国なんだから越中という選択はなかったんだから仕方ない。
川田がタイガーマスク2号って案があったとは聞くけど、越中をタイガーマスクにするプランはなかったの?
>>684 100パー同意
当時前代未聞の新日移籍も「かなり不貞腐れてんだなw」と思ったし高田にボコボコにされて
越中と三沢は前座時代も手があって彼らの
試合は「若手の黄金カード」と呼ばれて
全日本にしては良い試合をしていた。
同時期高田対山崎もそう呼ばれていた。
当時ケンコバぎ新日ファンであっても越中三沢
に関しては好意的見ていてもおかしくは無い。
84年後半のエキプロにあった妙なコラムが印象に残っている
「越中が活躍している一方で、三沢の話を聞かないがどうしているのだろうか
既に帰国してストロングマシンになっているという噂もある」
という内容だった
雑誌を買うような人がそんなデマ信じるわけないだろうに
でも当時は三沢がタイガーマスクを任されたエリート、越中まだ修行中というイメージにはなってしまったかな
越中が全日本に帰ってきていたら、、、
谷津、カブキと共に、SWSに移籍してそう。
越中がぁー新日移籍間もない頃の記事ではぁ興味深い内容がぁあったぞぇー。
『最初は共に旅立った三沢とはぁ別々の道を歩み始めた越中』っちゅうにぃー。
更にゃあ『三沢は三沢で全く予想外の状況に身を委ねる結果に』とかもぉ。
流石にぃ三沢はぁタイガーマスクとして、とぁ書かれちょらんかったけどもぉ。
越中へのインタでもぉ『三沢はそれなりにぃ華やかな様で相当悩んでる』って。
『悩んでるって』『試行錯誤してるって』『三沢は大変になってるって』って。
かなりぃ後々インタでは『三沢だけタイガーマスクで優遇されてるって』って。
『自分は蔑ろ(ないがしろ)にされてると思って新日移籍決意したって』って。
まぁ当時の越中からしたらぁガチな本音だったっちゅうのぁわかるぞぇー。
三沢だけ優遇されちょるっちゅうにぃ思うのはぁ当然だとぉ思うたって。
でもぉ越中にはぁ全日での居場所がぁー自然と無くなってもぉたんだって。
後藤もぉ海外出されてからぁ結果にぃ島流しで蔑ろ(ないがしろ)だって。
>>692 Sに行った生え抜きは天龍と折原だけ、越中はないと思う
>>687 越中はそういうのに向いているレスラーではない。前座の頃の川田のファイトスタイルなら判らなくもないけど。
「独占」
みんなが格闘技に走るので、私プロレスを独占させてもらいます。
>>691 その年の7月の週プロに新日が新日プロ興行に絶縁状を叩き付けたことを報じる数ページの巻頭記事があったんだが
その中に小さな囲みコラムという形で新日プロ興行が新日からの大量引き抜きを画策しており
藤波と維新軍全員(長州、斉藤、カーン、浜口、谷津、小林、寺西)の同意は既に取付けていて
他にも正規軍の中堅や若手からも追随者が出る模様という情報が真偽不明と断りつつさりげなく提示されていた
目にした時は絶対ありえないだろと思ったから2ヶ月後に驚かされたな(藤波だけは誤報だったが)
まあ同じ様式で提示された「ブロディはwwfと契約するが新日には絶対に上がらない」というリーク情報は見事に外れたが
初代のIWGPjr,が越中だし、全日のjr,が斎藤だし今考えると納得できなくもないけど(今は納得出来るんだが)当時の盛り上がり観(あくまでも観客目線)どうだったか全く思い出せない。当時の空気感教えて欲しいなぁ
越中が三沢タイガーに対してコバクニ的なポジションってのもアリだと思うけど
まあ越中は新日移籍で大正解だったな。
全日残留してたら天越同盟なる同格(風)コンビ結成なんて夢のまた夢でしかなかった。
越中は不器用そうなイメージで売っていたけど、実際は利に聡く世渡り上手だよな
>>702 ドラゴンボンバーズ、WJ、ノア
見事なワタリガニだなw
もしも越中が新日に行かなかったらという仮定はなかなか想像を逞しくさせるな
正規軍に反旗を翻した虎ハンター詩郎も悪くない
問題はその場合の去就だがソロでは色々と不都合があるので(ヒットマン原の一匹狼設定がうやむやになった様に)
とりあえず小所帯のハリケーンズと共闘させればいい
87年の春以降は正規軍に戻って三沢タイガーのやや下くらいに格付けておけば
原解雇後の天龍のパートナーに起用することも出来ただろう
越中は、全日離脱の時、天龍に多額の選別を
もらって恩義を感じたと言うが、逆にそれが
なければ、やはり入門時に世話になった鶴田派になっていただろ。
85年、全日に凱旋帰国、小林邦明のジュニア王座に挑戦。
その後、やはり三沢タイガーのライバルだが。
問題は、タイガーがヘビー級に転向した時、追ってヘビーになったか?
あるいはジュニアに留まったか?ヘビーに転向したら埋もれていたよ。
ジュニアだったら渕と王座を争っていただろうな
>>707 あるいは渕がやってた所は越中だったかもな
そして渕はアジアタッグに
前座時代の越中は、大仁田戦の印象しかないな。園田や渕との試合も見てると思うんだが。
園田が生きていたらやはり渕との同期コンビでアジアタッグだったかな
昭和の全日マットでド演歌ファイターのコスチュームは無理だろうし、個性を出すのに時間が掛かりそうだな
元子「何そのステテコ?!若いんだから赤いタイツを履きなさい!赤は馬場さんと同じだからあなたが履くのは百年早いわ!そうだわ名前が越中なんだからフンドシにしなさい!わかったわね?!」
越中はショートタイツだと胴長短足が目立つんだよなあ
新日に行って良かったろ
なぜか長州に気に入られてマッチメイクもしたし、
バリバリの三銃士よりギャラ高かったしな
衣食住の面倒を見て教えこんでデビューさせ海外にも出してやったし、
散々飲み食いさせた(川田曰く仕事は全然しない)付き人だったしでだいぶ馬場は頭にきたらしいけど
越中は移籍後は馬場と全く顔を合わせなかったのかな?
ニアミスくらいはあるだろうが。
>>720 年始のプロレス大賞受賞式では一緒になってたろうな。
まともに顔を合わせれたかどうか。
なんせ死後はインタビューで呼び捨てにしてたからな。
>>721 いくらなんでも呼び捨てはね。がっかりした。
>>721 馬場って越中が何らかノミネートされるような格の頃に授賞式来てたっけ?
自身が賞に絡まない以上、顔を出さないイメージがある。
馬場にとっては越中は不用な選手ではなく逆で
「越中はジュニアのチャンピオンになれる」と期待していた
だから引き抜きの時に
「タダで飯を食わせてプロレスのイロハを教えて小遣いを渡して遠征に出して
それで一人前になったら「他団体に行きます」とはどういうことだ?」と激怒したんだよ
もし新日がいらない奴を引き抜いてくれたら渡りに船だからほくそ笑む
越中の移籍は当時無謀な移籍と言われていた
他団体→新日の前例がS小林、剛、戸口だからな
新日本に人手がなくなったタイミングだから良かったんだよな
もちろんチャンスを物にしようとした本人の努力も大きいが
>>722 まあ本人自身が株を下げても構わないというのは勝手だが
>>719 出戻りの長州にとって外様の越中が使いやすかったからだろうな
だから健介と同じくまた長州が出ていったらもう新日本に残る事は出来なかった
ジャパンやメガネの様な大量離脱にペーペーが含まれているケースならともかく
将来を有望視されていたとはいえ少なくとも国内では前座の域を出てない選手が
一本釣りで引き抜かれるケースって珍しいよな
後年の鈴木実の場合はそこそこ名が売れ始めていた船木とセットだったし
新日移籍時の剛はどれくらいのランクだったんだろ?
その頃はたまにテレビ中継を見る程度でのめり込む前だったからよく分からない
フィレオフィッシュが美味いということを知った馬場は
越中に相当感謝してた
元子にバレないよう毎日一万円渡して買いに行かせる代わりにお釣りは越中にあげてたよ
>>728 あの当時は大量離脱で新日にレスラーがいなくなったので
手当たり次第に声をかけていた
新日初期に小鉄と不仲で新日本から出て行った関川(ポーゴ)
坂口派の新日移籍時に大城をボコボコにした桜田も獲得した位だしな
キング・トンガにも声をかけたがこれは未遂に終わった
>>731 ヒロ佐々木とかヤスフジイとか、本当に困ってたんだな。
ジェリーモローを稲妻二郎名義で日本陣営で使えばよかったのに。
>>722 それでも元子の聞こえるところで呼び捨てした
木原よりはマシかも。
さすがに元子の前で越中も馬場とは呼ばないだろうし。
モローは何故かレフェリーやってたりしたな。
本人は不服だったようだが。
>>734 剛は大熊にタッグだがピン負けしているのに半年弱で武道館で藤波とタイトルマッチしているので一時的にジャンプアップしたな。新日入団後は永源あたりにも負けていたかな?
>>730 誰かが「目黒のさんま」の殿様そのものと言っていたがまったくだな
>>720 東北のホテルで退団を申し入れたとき以降一回も会うことなかったと言ってた
>>730 最終的には元子に買い食いがバレたんだろうね、元子は馬場のカロリー摂取量すごく
気にしてたみたいだし。ある時からオーダーはフィレオフィッシュタルタルソース抜き
になったそうだけど元子の指示だろうな
>>728 まぁ明らかに
1978年の剛>>1984年の越中だよ。
新日登場で、すぐに藤波のWWWFジュニアに挑戦したし。
しかも翌年勝っちゃうんだもんな、Jr全盛期の藤波に。
越中は高田との抗争がファンに支持されて人気が出たのが一番大きいが
全日時代にTVにも出ていない前座だったことが
かえって売り出しやすくて良かったんだと思う
>>740 馬場は(八百屋の倅の癖にというかだからなのか)野菜嫌いで油っ濃い物が好みだったからな
元子が食事の場に同席している時は店の主人や料理人やあれこれと指示していたというし
>>743 いや少し前G+がチャボとのシングルを流していた様に
若手時代の越中は比較的試合が多く放送されていたよ(勿論「フレッシュファイト」は除いた上での話)
専門紙誌でも新日のヤングライオン勢ヘの対抗馬的存在の筆頭格として
期待の星(死語)枠で紹介される機会に恵まれていたしね
ジャパンや血盟軍が居て選手数が飽和状態だったのと
引き抜き移籍のニュースにファン側が食傷気味だったから大した事のない話題扱いされていただけで
普通なら馬場の愛弟子が新日に引き抜かれた!と大騒ぎになっていた筈
それにこの種の話題になると佐藤昭雄のインタビュー辺りを真に受けて知ったかぶる人が多いけど
前座時代から越中は試合が巧かったんだよ
「プロレス」が“上手い”んじゃなくて「試合」が“巧い”と表した方が正しいタイプ
俺も観戦当時は小学生だったから記憶が曖昧な部分はあるけどそれを差し引いても
特に先輩やベテラン相手でも臆せずに向かっていく試合ぶりで会場の評判は良かった
全日の若手の場合どうしても試合中ベテランには遠慮してしまう場面が目立っていたからね
三沢にしてもドロップキックは綺麗だったし女性ファンからは黄色い声援(←死語)が飛んでいたけど
やっぱり新日の若手に較べると大人しかったんだよ試合での動きも表情も
そう云う意味でも越中はちょっと特別な雰囲気があったよ後の小橋と似た感じで
大仁田負傷で、渕売り出しと思ったら、マイテイ抜擢で驚いた。結局、三沢売り出しに至るが。
>>746 > マイテイ抜擢で驚いた。
天龍が馬場に勧めたと天龍自身が言ってたな。
天龍は渕のことを嫌ってたようだが。
小林邦昭は
「渕さんは僕が見たところメインイベンターになれるレベルのレスラーだった
本人に欲が無かったんでしょう」と賞賛していた
ただ渕はスキルはあっても華が無いんだよな
定着しなかったけど渕にジミー(地味)ってあだ名をつけたのは天龍だっけ?
スヌーカはエースになれるレスラーだったと思ってます。
81スーパーパワーシリーズにスヌーカは全日へ初参戦。
シークとの悪の共闘、シーク軍団入りと。
馬場が、アメリカでのリッキーとの抗争を日本に持ち込んだのです。
しかしリッキーは評価低くスヌーカの評価が高まりました。
鶴田もそんなスヌーカを褒める発言があった。
スヌーカはいいレスラーですね。
シークは反則や凶器さえ封じたら対応できます。
しかしスヌーカはあの身体が凶器。
パワーがあって物凄い跳躍力ですよ。
ゆくゆくは僕のUNにも挑戦してくるかも。
油断したらタイトル奪取されます。
鶴田はスヌーカ絶賛でした。
そんなスヌーカもブロディと組んでからは存在価値が下がりました。
ブロディのパートナーという枠内に収まってしまって。
本当に押し入れ、いやっ惜しいです。
>>748 シングルマッチの動画を見ても渕の強さが際立ってるね。
小林もいいんだけどパンタロン頼みのところもある。
>>751 なんだ 虎ハンターはパンタロンが本体かよw
スヌーカは単独エースになれたと思いましたねえ。
81年に10年振りの来日で全日に初参加。
シークと悪の共闘。
新たにシーク軍団への加入。
同時参加していたリッキーの抗争相手として来日。
しかしリッキーよりも評価が高かった。
鶴田もスヌーカ絶賛してたし。
スヌーカは凄い選手ですね。
シークは凶器取り上げれば怖くない。
でもスヌーカはそもそも身体が凶器ですよ。
パワーありパネありラフあり。
僕のUNに挑戦してきたら大変ですよ。
簡単な相手じゃないですから。
鶴田もスヌーカには一目置いた発言してました。
でもスヌーカはブロディと組んだのは結果的に災いしたのかも。
ブロディと同格コンビではなく格下扱いに。
勿体ないと思いました。
リッキーは80年最強タッグへの初参加から一年間で3度も来日して驚かれたが、スヌーカは81年だけで3度来日した。
82年はWWFへ行くことになり、リッキーより売れっ子になった。
日本に固執してもブロディの子分という印象が着いたから離れて正解だった。
>>740 初期のリン魂で大量のフィレオフィッシュを事務所前?に置いてったからかなw
>>757 スヌーカがWWFに行ったのは、ブロディと仲間割れしてこれから抗争する、って時期だっただろ?
その時のスヌーカは遥かにビルドアップされてたからブロディと互角にやれる迫力があったな
三年後に新日本に来た時はいくらか下がっていたが
Jスヌーカは全日でエース張れたと思ってますよ。
全日に初めて登場した時のインパクトは凄かったです。
ベビーで抗争相手のリッキーを上回る高い評価。
シーク軍団の新メンバーとしてシークからも紹介されたりと。
でもシーク以上の存在感を出してましたね。
鶴田もスヌーカには驚嘆していた。
スヌーカって凄いですね。
シークは凶器さえなければ対応できます。
でもスヌーカは手強い。
パワー バネ ラフと揃ってます。
スヌーカが僕のUNに挑戦してくる可能性もあります。
僕も気合い入れないとタイトル奪われますね。
鶴田もスヌーカには高評価。
そんなスヌーカはブロディと組んだのはマイナスだったかも。
ブロディの子分的な存在になったのは勿体なかったです。
>>761 鶴田よりスヌーカの方が年上で、ずっとベテランなのに
ずいぶん上から
日プロのタッグリーグでも黄金コンビと戦ってたんだよな
>>763 吉村やヤマハ、上田&小鹿の馬鹿コンビとも対戦済。
338 お前名無しだろ (ガラプー KKab-+2nb)[] 2022/08/06(土) 10:38:49.19 ID:UVjGmlPwK
スヌーカはぁ81年頃にゃあエースんなれたっちゅうにぃ思うちょるぞぇー。
全日にぃ初参戦した時のスヌーカはぁかなりぃ衝撃的で高評価だったかんな。
こん時ゃアメリカでの抗争相手のぉリッキーもぉ同時参戦しちょったんよぉー。
また雑誌ではぁこん時にぃ鶴田がぁーこんな事をぉ言うちょったぞぇー。
スヌーカはぁかなりぃ凄いですねぇ。
シークのバワイはぁ凶器封じてまぇばぁどぉにでもなるぅ。
しかしぃスヌーカはぁあの身体がぁ凶器ですぅ。
もしもぉ僕のUNに挑戦したらぁかなりぃヤバイですねぇ。
鶴田もぉスヌーカはぁ大絶賛しちょったかんな。
でもぉスヌーカはぁブロディと組んだんがぁ格下んなってもぉたぞぇー。
スヌーカの持ち味がぁブロディの陰に隠れてもぉたんはぁ勿体なかったしぃ。
>>765 NGにしてるヤツの書き込み、わざわざ貼るなよw
74年、ブリスコ対馬場のセコンドにいるのはグレート・スヌーカなんだよな
この日のスヌーカはデストロイヤーとのシングルで四の字にギブアップ
>>760 そうかな?新日でブロディと再合体した太り気味の方がブロディのパートナー感はあった。WWF前の時はブロディの子分みたいな感じだったから、相対した時の感覚は、ジュニアがヘビーに挑むあるいは若手がトップクラスに挑む雰囲気に近かった。
風貌も狼みたいな精悍さがあったからな
あの時点で既にMSGでバックランドを相手にスーパースターになってる報道があったがまさにそれに相応しく最終戦でUN奪還の鶴田からフォールを奪う説得力も確かにあった
>>746-749 >>751-754 いや渕は試合がショッパいんだよ大仁田程じゃなかったけど
渕が強そうに見えるのは自分が攻める事でしか試合を造れないから
体が硬くてブリッジが低くフィニッシャーだとアピールしていたバックドロップも見栄えしなかったしね
凱旋帰国時のチャボ戦からしてミサイルキックの踏切る足を左右間違えて失敗しそうになるし
ヒロ斎藤戦でのフィストドロップをガチ当てしてヒロの肋骨を負傷させるわ
馬場に指示されて習得した(週プロや週ゴンに練習する写真が載っていた)筈の
カーフブランディングですらマトモに使いこなせないわで
本来ならジュニア王者として推されるレベルではなかったよ
むしろプ板では評価を低く貶められる傾向が根強いけど
小林邦昭の方がプロレス的な力量では遥かに上
三沢タイガーとの抗争でも三沢をリードしてあげていたし
自分には全くメリットが無いマジックドラゴンとのマスカラ・コントラ・カベジェラでも
きちんと試合を成立させて会場を沸かせていたからね
渕は世界ジュニアまでは、中堅で満足してそうだったがな
スヌーカなら全日でエースになれたと思います。
81年に全日に初めて来日しました。
同時来日のシークと組んでましたね。
同じく同時来日のリッキーとの抗争相手として。
でもスヌーカはシークやリッキー以上の高評価を得ました。
鶴田もスヌーカを絶賛してました。
スヌーカって凄いレスラーですね。
シークは反則 凶器がなければ問題ない相手。
でもスヌーカは違う。
あの身体にあの跳躍力は本当に凄い。
パワーありラフありで強敵です。
スヌーカが僕のUNに挑戦となれば過酷な試合になるでしょう。
タイトル死守できる保証はないです。
鶴田もスヌーカをライバルになるとして捉えてましたね。
そんなスヌーカがブロディと組んだのは良くなかったですね。
結果的にブロディの下の位置付けになったのは残念だと思いました。
全日本はオープンタッグの成功から最強タッグがアングルの中心になったから、シングル向きの選手は全日本では難しい感じ。
渕の最強タッグはドリーとの95年が初だったんだよな
そしてドリーはそれが最後の参加
最強タッグは一年の集大成であると共に翌年の試金石でもあるので実験的なチームも作って反応を見るんだよな
我が世の春を謳歌していた79年から83年頃の新日でさえタッグリーグシーズンだけは全日の後塵を拝する感があったもんな。
と言っても実際の興行成績や視聴率は知らんが。
それでも全日には及ばないにしてもなかなか豪華な顔触れを集めていただけに
84年MSGタッグには寂寞感が漂っていて見てはいけないものを見てしまった気分がした。
一年は全日本の新春後楽園で始まり蔵前で終わるって感じだった
>>779 ホーガンのパートナーがワイルドサモアンって、最初から開幕戦だけ出る契約だったんだろうね。
>>779 興行成績的にはMSGタッグ>最強タッグ
ただし84年除く
つか80年・81年はタッグリーグに限らず全体的に新日のほう外人は豪華だった。
特に80年かな
但しストーリー的にはやはり全日本に軍配が上がった印象
>>778 ラシク&クラップなんて実験かどうかはともかく
次に活かして面白そうなチームだったのに、そこだけだったのは残念。
フリーバーズくらいの動員は見込めたかもしれん。
>>786 ラシク&クラップ
レイス&ヘニング
シーク&ルーイン
このあたりは竹内さん発案だと思う。
当初の発表はシン&シーク組で、その後変更になったんだよね。あの時のシン&シーク組、見たかったな。
81年は当時のレトロファンには嬉しい顔ぶれだったが、ブロディ組以外はロートルばかりで新鮮味無しと言われた
実際、ラシク、クラップ、ヘニングはこの時が最後の来日
シークも全日には最後、ルーインは引き続き次シリーズ前半に参加したが、全日にはそれが最後になった
功労者たちに最後に花を飾らせたともいえるが、あまり敬意も感じられなかったが
ヘニングはレイスが指名したと馬場は著書で語っていたな。
若手時代のレイスをヘニングがパートナーに起用してくれた恩返しだったそうで、義理人情に厚いレイスらしい浪花節だと感じ入っていた。
シン&シークについてはシン本人が「上田と組みたい」と希望したと読んだ
確かにサポートに徹する上田の方がやりやすいだろう
>>790 良い話だけど盛ってるんじゃないかと思う
レイスを最強タッグに呼ぼう、パートナーは誰が良かろうか本人に訊いてみようか
じゃあラリーにしてくれないか、なんて流れ?
もう一回サンマルチノ呼んで、じゃあデビッドと、とかデヌーチにしてくれ
というのかなと考えると、義理人情みたいな話になるかなと思うし。
>>793 たしかにレイスが優勝戦線に絡むほどの強豪をパートナーにしたら星勘定に苦労しただろうね。
ロートルのヘニングが負けることで、レイス自身にはキズが付かず優勝戦線にも絡まない便利なチームだった。
仮にレイスが優勝戦線に絡むなら相応しいパートナーは誰だろう。
テッド・デビアスなら適任か?
馬場は過去の遺恨がある上田を引き戻すつもりはなく
デトロイトの興行権を手放してフリーとなっていたシークを活用し、シンとも組ませようとした
しかし、馬場から運営権を取り上げた日テレと佐藤はシークを評価しておらず
シンは上田と組ませてこそとの判断で、上田を引き戻した
一応、シンがシークとのタッグ拒否→シーク怒る、でシン対シークのアングルを組んだが、1シリーズで終了
>>795 あれ?秋の10周年ジャイアントシリーズでシン&上田組が実現したのにも関わらず、
年末の最強タッグではシン&シーク組が発表されたように記憶しているんだが?私の勘違いかな?
シン&上田組は馬場&サンマルチノ組と、10月蔵前のメインで対戦したよね?
レイスとヘニングについてはリアルタイムで
「レイスが昔の恩義で声をかけてくれた、義理堅い男だ。今の彼に相応しいパートナーは他にいる」
という趣旨のヘニングの発言が雑誌に載っていた
ただ、レイスも実質4年半のNWA王者生活を終えたばかりだったから
実際に当時よく組んでいたパートナーというのは、いないのだが
>>794 優勝するとは思わなかったが、84年ニックと組んだ時は、超獣コンビと同率2位だったな
>>796 正式発表の時期は微妙だか、早い段階で最強タッグはシン&シークと報道されていた
その時点で上田は新日のシリーズに参加しており、10周年S参加が公表されたのは直前
その後もしばらく最強タッグは、当初報道のままシン&シークとなっていたが
やがてシン&上田、シーク&ルーインで正式決定となった
>>798 絶対にフォールされないツマらないコンビ。最終戦横浜のファンクス戦とか、開始から時間切れ感満載の試合だった。
>>798 1回限りではもったいないチームだったね。
かと言って翌年の最強タッグにそのまま当てはめると、
華にはなったけど、星扱いに困るチーだったんだろうな。
>>799 上田が10月のシリーズに上がる前に、最強タッグ発表されていたのか。確かにそんな気もする。ありがとう。
馬場は著書で「上田と一生付き合う気はありませんよ」と書いていた位で
実際に上田が新日に出戻って以降は付き合いがなかった
>>803 大熊が亡くなられた時も馬場は一切知らせず、上田が激怒したんだったよね。
>>787 >レイス&ヘニング
>竹内さん発案だと思う
このチームは、元AWA世界タッグチームだが?
>>805 知ってますよ。
>>793さんにあるようにレイスが参加するにあたりパートナーは誰にするか思案した際、ブレーンである竹内さんが提案したのではないかと思ったわけです。
後付けにしろ人情話で持ち上げれると。
>>786 ラシク・クラップ組は、クラップが新日のワールドリーグ戦で猪木の対抗馬だった時なら夢のコンビだけど、最強タッグ参加時は単なるロートルで数合わせ。フリーバースくらいの動員なんてとてもとても。
クラップは初期新日のエース級から国際でラッシャーの挑戦者に都落ち、最後が全日最強タッグへの来日だったね。
82年Cカーニバルにもモンゴリアン・ストンパーが懐メロ枠で出場したな。
クラップはぶっちゃけ二流レスラーなんだが日本マットの要所要所に顔を出している
崩壊直前の日プロで唯一高千穂のUNに挑戦して負けたのがクラップ
その後は外人弱体の初期新日の外人エース
>>814 インタータッグを崩壊直前の日プロからリリースしてファンクスに繋いだのもクラップ。
まあ、フリッツの相棒だったんだけど。
馬場とクラップのシングルは両リンだが、石川とのシングルも同じ両リンなので、馬場=クラップ=石川。
レイスで本気で優勝狙うなら馬場とのコンビしかないだろ。
>>803 上田馬之助君を激励するプロレス大会に浅子と志賀を出したくらいか
クラップは新日本に来た時は態度悪くてレフェリーの高橋とよく喧嘩してたみたいだけど全日ではどうだったんだろう。
>>819 レイスが睨みを効かせていたから借りてきた猫状態だったらしい。
雑誌に載っていたね
クラップが仰向けになったレイスをマッサージしていた
馬場が「一流と呼ばれるレスラーでもレイスの一睨みで
縮みあがってしまうのがけっこういる」と書いていた
すまない。仰向けじゃない腹ばいだ
朝だから頭がボケていたようだ
野球見に行くと拍手を促す「CLAP」がビジョンに出るたびあの風貌が頭に浮かんでしまってうっとうしいw
スペルはまったく違ってたけど
色々情報いただきありがとう。
レイスはもちろんパートナーのラシクもいざとなったら叩きのめしそうだもんな。
そういう意味ではクラップを好き勝手させてた当時の新日本の外人レスラーがいかにしょぼかったということか。
クラップはぁ確かにぃ問題児だったっちゅうのぁ高橋ブックにぃ記載あったぞぇー。
でもぉそれぁ新日ん時の話でぇそん時もぉモラレスにぃ叩きのめされたっちゅう。
国際ん時にゃあどぉだったんかはぁ知らぬ存ぜぬだがぁ、新日ん時ゃあダメだぞぇー。
そんでもぉ全日ではぁ最強タッグっちゅうのもあってぇ大物ばっかだったかんな。
クラップはぁ別名ではぁ『スクラップ』っちゅうにぃ呼ばれちょったらしいしぃー。
結果的にゃあスクラップはぁこの最強タッグがぁー最後の来日んなってもぉたぞぇ。
シークとスクラップ、ラシクの関係性もぉ気になる気になる気になる木だぞぇー。
スクラップはぁ単発で全日にも来日すりゃあ暫定エースにゃあなれたかもなぁー。
プチプチって何だようぜえな。
何度も言うがワッチョイ弄んな糞運営。
見たくもねえゲロ見せられて迷惑なんだよこっちは。
>>824 ラシクはああ見えて実はインテリなんだってね。
クラップと組むのはイヤでたまらなかったが仕事と割り切ったのだろうな。
ラシクというと列伝でのブロディとのタッグで
ボロクソな扱いで勝手にショボいレスラーだと思ってしまった。
怪我で不参加だったが、東京五輪のグレコローマン代表だからな。
鶴田のAWA防衛ロードで久しぶりにラシクの名前を見てなんか嬉しかった思い出。
>>832 実際にはそんなシーンどころかカード(馬場・鶴田VSブロディ・ラシク)さえ
組まれてなかった。
デストとイヤウケアを含めた6人タッグはあったが。
84年の馬場、鶴田VSデストロイヤー、ロビンソンのビデオテープがあったわ。
この試合はG+で放送されたことある?
>>841 未放送
84年(特に後半)は現存する素材が極端に少ない
>>842 そうなんですね、ありがとうございます。
貴重な試合の数々、HDDにダビング保存します。
>>843 再録すればどうにでもなるから心配しなくても大丈夫だよ
>>841 「消化試合もあるんだから」の最たるもんやな
スヌーカならばぁエースんなれたっちゅうにぃ今でも思うちょるぞぇー。
全日に初参加した時にゃあシークやリッキー以上の高い評価だったかんな。
リッキーの抗争相手っちゅう事だったがぁー、リッキー以上の評価にぃー。
あの鶴田ですらぁスヌーカをベタ誉めしちょったっちゅうのもぉ凄いぞぇー。
『スヌーカはぁ初めて見ましたがぁー、本当にいいレスラーですねぇ』
『シークはぁ凶器なけりゃあ大した事ぁないんですぅ』
『でもぉスヌーカはぁあの跳躍力でパワーもラフもぉでける』
『僕のUNに挑戦してきたらぁ気合いいれないとぉタイトル奪取されますぅ』
相手を誉めない鶴田ですらぁスヌーカを大絶賛しちょったっちゅうのぁなぁ。
でもぉそんなスヌーカもぉブロディと組んでからはぁ商品価値がぁ落ちたぞぇ。
ブロディの子分的な存在んなってもぉたっちゅうのぁ残念 無念 何でやねん
>>824 79年にはエリック&ラシク組がインタータッグに挑戦予定だったのに
エリックの都合で流れたんだよね。
ノンタイトルで馬場鶴田、馬場デスト、鶴田デスト組と対戦するも3戦とも完敗
最強のクローコンビがこれだから、峠を越えたラシク&クラップ組といわれてもねぇ
>>849 あの時のフリッツは、鶴田十番勝負の相手だけやって帰ったんじゃなかったか?
インタータッグはラシク&イヤウケア組になったし、エリック&ラシク組実現したの?
>>851
第4戦、1月6日 古河市体育館
タッグマッチ60分3本勝負
ジャイアント馬場 (2-1) フリッツ・フォン・エリック
ジャンボ鶴田 バロン・フォン・ラシク
①エリック(12分20秒体固め)鶴田
②鶴田(3分30秒片エビ固め)エリック
③馬場(3分48秒体固め)ラシク
第5戦、1月7日 山梨・富士急ハイランド
タッグマッチ60分3本勝負
ジャイアント馬場 (2-1) フリッツ・フォン・エリック
ザ・デストロイヤー バロン・フォン・ラシク
①(16分25秒両軍リングアウト)
②デストロイヤー(3分40秒体固め)ラシク
第6戦、1月8日 福生市民体育館
タッグマッチ60分3本勝負
ジャンボ鶴田 (2-1) フリッツ・フォン・エリック
ザ・デストロイヤー バロン・フォン・ラシク
①ラシク(12分15秒体固め)デストロイヤー
②日本組(2分18秒反則勝ち)外人組
③デストロイヤー(4分38秒体固め)ラシク >>851 本来、1月2日のシリーズ開幕戦から出るはずだったが
初来日のブロディを目立たせるために、馬場と相談の上にあえて遅れて参戦したとも…
エリック現役最後の来日は
1月5日川崎 ○鶴田vsエリック●
1月6日古河 ○馬場&鶴田vsエリック&ラシク●
1月7日山梨 ○馬場&デストvsエリック&ラシク●
1月8日福生 ○鶴田&デストvsエリック&ラシク●
エリックからブロディへの引き継ぎと、息子達を頼むというという意味の来日では?
>>852 >>853 詳細教えていただきありがとう。鶴田戦だけの参加だと勘違いしていました。
>>851 エリック&ラシク組実現したの?
福井大会で1回だけ実現しているよ
スヌーカはぁ全日ではぁエース外人になれたっちゅうにぃ思うちょるぞぇー。
81年にぃ全日に初参加した時にゃあスヌーカの評価はかなりぃ高かったぁ。
抗争相手のリッキーやパートナーのシーク以上の評価を得て凄かったしぃー。
相手レスラーをぉ滅多に誉めない鶴田ですらぁスヌーカを誉めちょったかんな。
スヌーカはぁ今回初めて見ましたがぁー、本当にぃ凄くいいレスラーですねぇ。
シークのバワイはぁ凶器なければぁ大した事なくぅ対応もぉでけますよぉ。
しかしぃスヌーカはぁあの身体がぁー、凶器でバネありぃラフありぃですぅ。
スヌーカがぁ僕のUNに挑戦してきたらぁ気を抜いたらぁタイトル失います。
鶴田がぁベタ誉めした位だからぁスヌーカの評価はぁ本当に高かったぞぇー。
でもぉスヌーカはぁブロディと組んでからぁ商品価値が下がってもぉたかんな。
結果的にゃブロディの子分的な扱いんなってもぉたんはぁ残念だったぞぇー。
鶴田 天龍 × 上田 鶴見っちゅう試合がぁーようつ動画に上がっちょったぞぇ。
よぉく考えっとぉこの四人はぁ全員がぁーリングネームと気付いたんよぉー。
鶴田と上田はわかるがぁー、天龍と鶴見はぁ知らん人ならぁ本名っちゅうにぃー。
天龍はぁ力士時代の四股名からだがぁー、鶴見のバワイはぁ鶴見出身だかんな。
鶴見がぁーどぉゆぅ経緯でリングネームんなったんかはぁ知らぬ存ぜぬだがぁー。
リングネームっちゅうたらぁカタカナ+名前っちゅうのがぁ定番だかんな。
そんでもぉこの三人みたいなバワイもぉあっちゃるっちゅうこったわぃ。
やっばりぃ本名よりもぉリングネームの方がぁーいいっちゅうにぃ思うんよぉー。
ラシク「なんで助けにこねえ」
ブロディ「助ける価値のある男か!」
ラシク「ドギャッ」
はなかったってことだね。
イヤウケアもスキンヘッドにしたのに列伝の中では髪モジャモジャだったしな。
81年世界最強タッグ大阪大会を生観戦した
セミが馬場×鶴田VSラシク×クラップで馬場組の圧勝
翌日の大スポに載った鶴田のコメント
「ラシクとクラップはクローだけなので苦労せずに勝てました」
記者「(無視して)それでは改めて優勝への意気込みをお願いします」
高校の時、生活指導の教師が
「男は男らしく!学生は学生らしく!」
と言ったら、バスケ部のKが、続けて、
「プロレスラーは、バロン・フォン・ラシク!」と言った。
教師「なんじゃ?それは」
K「そういうプロレスラーがいるんです」
教師「アホ!」
クラスでも大半の生徒は分からなかったようだ。
初期の週プロって一部のページの両隅に読者投稿が載ってたんだが
それに世界史だかの授業中の出来事としてこんなのがあった
教師「国連はUNと表記するがこれは何の略だ?」
投稿者「ユナイテッドナショナルです」
教師「それは天龍が取ったベルトだ」
UNは日プロのゴタゴタにより、猪木→坂口→高千穂と王座の価値が大暴落。
その大暴落王座の悪いイメージを回復させたのは、間違いなく鶴田の功績。
UNも天龍が獲ってから、関脇ベルトみたいになってしまったが
鶴田王者時代は、世界王者級が挑戦しまくってて、独自のブランディングが出来てた。
そもそも復活決定戦の相手は陥落から一年経ってない前NWA世界王者のブリスコだったし
ブッチャーやレイスと取り合っていた時期はPWFやインターとも遜色ないレベルになっていたし
インターの復活や奪取がそれほど盛り上がらなかったのもそれが一因
YouTubeで84年のドリーvsジム・ガービンのシングルを視た。
実況では翌週だか翌々週にガービンが天龍のUNに挑戦と紹介してたので両リンかな?と思ったら後方回転エビでまさかのドリー勝ち。
まあ昔はよくあったことだけど。
>>873 >>874 挑戦者のメンバーはよかったんだけど開催会場と日程がB級なんだよな
日プロ時代の馬場インターみたいに大阪東京で二連戦で〆るのは無理だとしても
開幕2週目あたりの岐阜、てな感じではねえ。
>>875 ガービンは田コロでも鶴田の空中胴締め落としでピンフォール取られてるな
天龍個人は最終戦でNWAに挑戦して2−1で勝ったからまだ良いけどUNの価値はこの時点でかなり落ちてた
ベタなのは承知だがどうしても「ガビーン」に見えてしまいがち
>>874 インター奪取は盛り上がったろう。
これでエースになる気運を高めていた。
天龍時代のUNの挑戦者がショボくなっていったのは
あくまで馬場の次のエースは鶴田
鶴田:エース
天龍:ルックスが良い吉村道明
みたいな感じで天龍はメインイベンターではあっても
No.2固定位に考えていたからかもしれない
鶴田が返上したお古のイメージと
PWF・インターのあと3番目のベルトになった感じ
天龍のUNは元王者デビアス、因縁の上田、スレーター辺りまでは良かったけどその後が駄目だった
>>884 武道館の天龍戦試合前にUNベルトは投げ捨てたのに、ハンセン戦の反則勝ちでPWFのベルトはあっさり巻いたからな。
これでPWFは馬場の返り咲きは無いと思った
そしてこれが三冠統一の第一歩に
>>883 フランク・ランカスターなんて酷かったな。
彼をタイトル戦まで負けさせる訳にはいかない
マッチメイクはかなり無理があった。
鶴龍対ヘニング・ランカスターで両リンとか。
>>888 小林邦昭がキッドからジュニア王座奪った時も、保永や新倉相手に防衛戦やって、渕が激怒したんじゃなかったか?
タイガー、リーガル、保永、新倉…防衛回数を水増しするだけのタイトルマッチが多かったな、小林のインタージュニアは
当時のリーガルはAWA世界ライトヘビー王者だったか
>>887 王者が長州とはいえ当時はまだ軽量のカートのPWF挑戦にも違和感があった
当時は深く考えなかったけど、天龍がUNの権威に追いついた、というよりも、UNが天龍のポジションまで降りてきたって事なんだな
>>879 その後にテリーの引退試合も控えてたし僅か半年後に同じ蔵前のメインでやったAWA奪取に上書きされた印象
また初防衛戦のリターンマッチを大阪でなく佐世保でやったのもトーンダウンの一因
若手の登竜門的なベルトにすれば良かったと
90年代なら小橋、秋山、大森辺りが巻けば光ったとおもう
>>894 天龍時代のUNの挑戦者としてはシンの挑戦が目立つか
>>896 その役は結果的にアジアタッグがやる事になった
>>896 95年頃の週プロでUNが単独であればキマラも挑戦権があったとか書かれていた。小橋、パトリオットとかエース辺りでベルト回してたのかな。
>>897 たしか2度ともノーテレビだったような…
ジャンボ鶴田
第13代王者時代
1976/08/28 ジャック・ブリスコ (王座決定戦)
1976/11/30 ビル・ロビンソン
1977/01/12 キング・カーティス・イアウケア
1977/01/12 ビル・ロビンソン (防衛失敗)
第15代王者時代
1977/03/23 ビル・ロビンソン (王座奪回)
1977/05/30 バロン・フォン・ラシク
1977/07/28 大木金太郎
1977/08/25 ミル・マスカラス
1977/10/03 ワフー・マクダニエル
1978/02/05 アントン・ヘーシンク
1978/04/27 リック・フレアー
1978/09/13 キム・ドク
1979/01/29 キム・ドク
1979/05/02 マイク・シャープ・ジュニア
1979/05/25 ビル・ロビンソン
1979/10/22 クラッシャー・ブラックウェル
1980/01/11 ビル・ロビンソン
1980/02/23 ディック・マードック (防衛失敗)
第17代王者時代
1980/03/05 ディック・マードック (王座奪回)
1980/06/07 ビル・ロビンソン
1980/08/07 ブルーザー・ブロディ
1980/10/13 アブドーラ・ザ・ブッチャー (防衛失敗)
第19代王者時代
1981/01/22 アブドーラ・ザ・ブッチャー (王座奪回)
1981/04/28 ジャック・ブリスコ
1981/06/11 ジミー・スヌーカ
1981/07/13 ディック・スレーター
1981/09/04 ジプシー・ジョー
1981/10/15 ジミー・スヌーカ
1981/10/27 アレックス・スミルノフ
1982/01/03 キラー・トーア・カマタ
1982/03/07 トミー・リッチ
1982/04/19 ハーリー・レイス
1982/04/22 ハーリー・レイス
1982/05/28 ディック・スレーター
1982/07/09 キラー・トーア・カマタ
1982/07/30 ミル・マスカラス
1982/08/01 ハーリー・レイス (防衛失敗)
第21代王者時代
1982/10/24 ハーリー・レイス (王座奪回)
1983/02/25 トミー・リッチ
1983/04/01 テッド・デビアス
1983/04/11 アレックス・スミルノフ
1983/05/19 ニコライ・ボルコフ
1983/06/15 ホセ・ロザリオ
1983/06/17 テッド・デビアス
インターヘビー獲得後王座返上
だいたいインター奪取に専念したいからと返上されるようなベルトだもん
鶴田がUNに愛情持ってないし魅力を感じてないという図式になるよな。
天龍が巻くまでもちょっと曲折がありすぎたし
デビアスの格は上がりも下がりもしなかったし
天龍源一郎
第25代王者時代
1984/02/23 リッキー・スティムボート (デビッド・フォン・エリック急逝で空位となった王座決定戦で勝利)
1984/03/34 テッド・デビアス
1984/04/11 阿修羅・原
1984/04/16 阿修羅・原
1984/06/01 上田馬之助
1984/07/25 ディック・スレーター
1984/09/06 ジム・ガービン
1984/10/22 マイケル・ヘイズ
1985/04/12 キラー・カーン
1985/06/06 谷津嘉章
1985/09/07 タイガー・ジェット・シン (試合後、防衛戦の内容を不服として王座返上)
第26代王者時代
1986/04/26 王座決定リーグ戦の優勝戦でテッド・デビアスを破って獲得
(天龍とデビアス以外の参加選手はオレイ・アンダーソン、キラー・カーン、天龍源一郎、阿修羅・原)
1986/06/12 スーパー・ストロング・マシン
1986/07/31 谷津嘉章
1986/10/07 タイガー・ジェット・シン
1987/01/31 フランク・ランカスター
1987/05/09 谷津嘉章
1987/09/11 スタン・ハンセン (ハンセンが持つPWF王座とのダブルタイトル戦)
1988/03/09 スタン・ハンセン (PWF王座とのダブルタイトル戦、勝利して二冠王者)
1988/03/27 スタン・ハンセン (PWF王座とのダブルタイトル戦)
1988/04/15 ブルーザー・ブロディ (ブロディが持つインター王座との三冠統一戦)
1988/06/10 ダニー・スパイビー (UN王座のみのタイトルマッチ)
1988/07/27 スタン・ハンセン (PWF王座とのダブルタイトル戦 防衛失敗)
訂正
1986/04/26 王座決定リーグ戦の優勝戦でテッド・デビアスを破って獲得
(天龍とデビアス以外の参加選手はオレイ・アンダーソン、キラー・カーン、谷津嘉章、阿修羅・原)
なぜ馬場はキッド、スミスvsマレンコ兄弟の試合を辛辣な解説したの?
>>876 会場がショボいのは、馬場ならではの義理堅さによるものかと。
>>902 返上はインター獲得後でなくデビアス戦後
>>904 返上はシン戦は全く関係なくインタータッグで谷津にフォール負けしたから
試合内容に不服とか、なんとかで返上するのはいいけど
しばらくそのタイトルには係わらないようにしてほしい
仕切り直しとかの意味合いを持たせたテコ入れや味付けなんだろうが
勝手に返上しといて決定戦に出ますというのは
(そんなものがあるとして)事務方は大変じゃないか。
UN王座決定リーグ戦はC・カーニバルが総当たり戦でなくなったから二番手選手ばかりで総当たり戦やろうという安直な企画と感じたな。
>>904 義理固さというよりタイトル戦を開催してやるからと
売り興行の値段を釣り上げる為のマッチメークだから
グランドチャンピオンカーニバルなんて正にそれ
後シリーズ日程と日テレ側の放映スケジュールとを
ちゃんと話し合って調整しようとしてこなかった弊害でもある
>>903 レイスが取った時の反応ぶりは凄かったな
あの時点でNWAを六度も取っていたレイスがまるで初めてベルトを取った若手みたいに飛び跳ねていた
>>905 防衛まとめお疲れ様です。
しかしこう見ると、天龍時代に世界王者級が統一戦のハンセンまで一切登場してない。
鶴田時代の世界戦恨みをUNで晴らすみたいな展開とは明らかに違うね。
やはり北見での奪還が最高だったな
その直後にレイスがPWFを取ったからUNとPWFが対等になった印象だった
>>915 対戦はなかったみたいね。
4月15日鳥取産業体育館
UNヘビー級王座決定リーグ戦 30分1本勝負
テッド・デビアス(不戦勝)オレイ・アンダーソン
アンダーソンが対戦を拒否。
※デビアスの王座決定戦進出が決定。
デビアスとアンダーソン、このシリーズにはハンセン軍団の一員として参加だが、ジョージアではアンダーソンがボスなんだよね。
軍団名「ラリアット・ライダース」だっけ?
もうあと1人2人は頭数が欲しかったな。
ハンセンとアンダーソンは毒舌を言い合う仲の良さだった。
ハンセン「ジャパンでは俺がボスだから、俺がユーの面倒をみてやるぜ!」
アンダーソン「田舎者に田舎を案内してもらうなんて俺も長生きできて良かったよ!」
ハンセンが住まいに呼んだことのあるのはアンダーソンとホーガンだけだっだったっけ
未来日の78年にハンセンのあのスタイルを確立させたのはオレイだったか
>>924 ロバーツが全日参戦したのはハンセンの口利きだね
>>248 その試合はVAPからノーカット版ビデオが発売されたから買った。
>>927 アメリカとイギリスのレスラーが同時期に日本に呼ばれて
ともに西部劇が好きで意気投合、そのまま生涯のつきあいに
って結構な奇縁だよな
>>910 リーグ戦に鶴田と長州が入ってないじゃないか!って突っ込んだ当時
もうこれで2〜3番手のベルトっていってるようなもん。
そもそもロスで誕生の段階から参加選手がたいしたことない。
なのに日プロがインターと同格なんて言ったのがおかしいな。
歴史や伝統はまだまだだが猪木君の頑張り次第で
インターと同等の価値になると信じている、くらいにしとけばよかったのにね
というかそういわなきゃだめだろ。
>>920 田舎って日本が?!
東京とかジョージアよりだいぶ都会だと思うが
>>930 鶴田が卒業したベルトなんだから鶴田が入ってないのは当たり前だろ。
>>935 ハンセンの自叙伝「魂のラリアット」にオレイとのやり取りが書いてある。
田舎者のハンセンがボスを務める日本も田舎というオレイ流の毒舌。
原本見てないけどあるいは「ローカル」ということかと
70年代末から観始めたからインターは復活後しか知らんが
インターとUNが同格ってイメージは無かった。
だって鶴田がUN王者だった頃にインターを争っていたドリーやブロディは鶴田より格上な印象だったし
倉持やプロレス誌なんかは馬場からエースの座を継承するためにはインター奪取が必須などと
PWF=インター>UNと言わんばかりの主張をしてたし。
なにより鶴田がインター奪りに専念するためにといってUNを返上したわけで。
UNはなんと言っても、日プロ末期のゴタゴタで猪木→坂口→高千穂と価値が急降下した王座だから仕方ない。
>>939 鶴田にUNを奪われたレイスが直後にPWFを奪取した時は微妙だったな
しかもその前の試合でブロディとドリーのインター戦をやってたし
インターは日プロからの看板タイトルの歴史、かつテーズが出所で力道山や馬場も巻いてる。
ここから日本に根付いてるタイトルとしては最高峰と感じてたなあ。
インター>PWF>>UN
こんな感じに。
インターが絶対権威になったのはむしろ馬場時代
力道山の頃はベルトからしてNWAやWWAの代替的なニュアンスが強かった
>>942 長州時代までは試合順やコール順でPWF≧インターの印象
>>931 鶴田時代のUNの一番の特筆はやはり田コロでのマスカラス戦か
あんな素晴らしい試合はないよ。
最初のグランド30分見てても飽きない。
そして決着はセンセーショナル(死後か)
鶴田とマスカラスで記憶に残ってるのは マスカラスがグランドに鶴田を寝かせ 脚でのフルネルソンでギブアップを奪ったチャンピオンカーニバルの一戦だな
マスカラスって、チャンピオンカーニバル出たことあるの?ってことは、馬場とシングルで対戦したのかな?
今日は三沢が初の三冠王者になって三十年
単独時代には挑戦すらしていない初の王者でもあった
>>950 >単独時代には挑戦すらしていない初の王者でもあった
え?三沢は1992年の8月22日に三冠王者に就いたが、
その前に挑戦したこともないと言っているの?
92年の3月4日、武道館で王者ハンセンに挑戦している。
挑戦試合ではないが、90年7月27日、松戸でハンセンと
王座決定戦もやっている。
いや言いたいことは分かるだろ…
あと91年4月にも挑戦したよ
要はPWF、インター、UNに挑戦したことないって意味かな
統一前なら天龍のUNに挑戦してもよかったのにね。
猛虎七番勝負での天龍戦が良かっただけに。
ダブル戦とかでなく、単体で三冠全部に挑戦したことあるのはブッチャー、ロビンソン 、レイスくらいかな?
あとシークとテリーとブロディ
どれも取った事が無いのはテリーだけか
PWFタッグの歴史の短さはどうもなあ…
まあ超獣コンビのアクセサリーにする予定が狂ったのはわかるけど
インタータッグがBI砲ならPWFタッグは超獣コンビが一番の箔になってるイメージ
>>958 ブッチャーがUN王者になったことによってテリーやシークが挑戦できた。
鶴田ないし天龍ならちょっと考えにくいね。
シークのUN挑戦は日プロ時代の坂口だけじゃなかった?
>>950 その試合は普通に興奮したな
そうかぁその年に足立梨花は誕生してるんだな
歳もとるわけだ
>>963 本当だ!まったく記憶になかった。
ブッチャーとシークは、倉持アナが襲われた後楽園の試合と
最強タッグ札幌大会の80年の2試合だけかと思っていた。
ブッチャーUN戴冠の試合は馬場VSロビンソンのPWF戦の後だったんだよな
ダブルメインの第二試合って扱い
先日放送したG+の長州谷津対ブロディブルックス観たけど倉持の実況は長州下げ酷かった(確かにブロディにオモチャにされてはいたけど)外敵とは言え鶴田天龍と並ぶ看板選手をあそこまで落とす実況は番組としてもマイナスにしかならないのでは?
>>966 これがPWFとUNの初の同日開催
ブッチャーのUN挑戦も初だが当時のブッチャーのアイドル的人気にむしろ相応しかった
まあ、倉持さんは「タジタジ」ってよく使うからなあ
82だか83だかの新春バトルで鶴田の今年に期待する展望を山田さんに訊いてる間に鶴田がフォール取られて「今褒めたばっかりなんですけどねぇw」と皮肉ったりと、長州に限らず誰にでもそんな感じでは
>>924 今日は田コロでキムケンのインタージュニアに挑戦の日
>>967 そんなに酷かったかな・・?全日ファン代表だもん倉持、若林は。
倉持は「世界の鶴田、日本の長州」ってフレーズも使っていたよな。
「日本の鶴田、●国の長州」なんて言ったら、間違いなくクビだろうな。
倉持は「鶴田の端正な顔から真っ赤な流血!」
なって言っていたが嫌味にしか聞こえない。
>>972 世界のルドルフ日本のミホシンザンのパクリだよね
ミホシンザン懐かしいな。皐月賞制覇→ダービー回避→菊花賞制覇→有馬記念はルドルフの2着。
って素晴らしい成績だったのに、翌年秋は秋天皇賞3着→ジャパンカップ3着→有馬記念3着って残念な成績。
このまま終わってしまうの?って思わせておいて、最後に春天皇賞勝ったんだったな。
>>975 なんかミホシンザンの成績て鶴田みたいだな
>>963 もっと大きな会場でやっていれば語り草になっていたんだろうけどね
やはり80年後半〜81年前半にかけてのタイトル戦はこういう例が多い
>>967 >>971-972 新日派の読者が多かったファイト週プロの投稿欄で批判されてたね「日本の長州 世界の鶴田」
専門誌以外の週刊プレイボーイや宝島ではもっとキツい評があって
貶めているつもりが逆説的に長州ヘの共感を煽り立てていて
長州人気の追い風を倍加させる形になって自分等の首を締める結果に陥っているみたいに皮肉られていた
シンが全日移籍した時も山田が
「36歳と言う年齢からしてメジャーなタイトルが欲しくなってそれを見据えての全日移籍でしょう」と言って
投稿欄で「NWFはマイナータイトルだと言うのか!?」とキレていた人がいた
世界オープンタッグのファンクス対ブッチャーシーク組みたいな善悪があるなら片方に寄った実況はアリだと思うけど鶴田戦やブロディ組戦の長州下げ実況は商品価値落とすだけでしかない
>>978 ブッチャー新日登場の理由が「IWGPの理念に賛同した」だったから、それを逆手に取って皮肉ったんだよ。
>>980 ブロディ戦とかは離脱がわかってたんじゃないの
契約を破ってライバル団体に行くんだから
商品価値落とすのは仕方ないと思うけど
「鶴田の端正な顔」は酷すぎるよな
「世界のアイドル」ドリーよりも酷い
あれが鶴田が自分はハンサムとか勘違いしてキラーカーンの顔を
ディスってしまうことに影響したとしたらもう最悪。
「日本の長州」は長州よ、世界の鶴田を超えて見せろ、そうなるはずだ
というニュアンスも少し感じたので許せる。
>>977 >>もっと大きな会場でやっていれば語り草になっていたんだろうけどね
昭和全日本は大会場を2シリーズ連続であまり使用しなかったからね。
最強タッグを大阪、愛知、札幌などで開催した後の新春シリーズは田舎の小会場の暗いイメージが強い。
新日本はシン対上田を大阪府立でやって大盛況となったのだからホント全日本は商売がヘタだ。
日テレのアナは巨人の選手がホームラン打つと
売ったー入ったーて大声で叫ぶ
新日のアナも新日vsUインターで新日寄りの実況
その辺は多くの視聴者の声を代弁しているから。
新日×インターでも新日側の視聴者がおおいと見た話で当然といえば当然
だが、端正な顔や世界のアイドルとは誰も考えもしてない事実の歪曲
ひょっとして後世に伝えられるために狙ってやったのなら凄い
>>986 そんなことを言い出したらビューティ・ペアなんてどうなるんだよ
一万年後の未来人がこの時代はあの2人がビューティの基準だったと思うかもしれんぞ
>>983 >>986 野球中継の巨人贔屓ぶりやニュース番組の小林完吾ヘの反応もそうだったけど
この当時の日テレは何かと新感覚を売り物にしていたフジとは対極に語られる事が多くて
保守的で堅苦しい雰囲気を醸し出していたのも事実だからね
倉持山田コンビの実況解説も子供心に何処か古めかしい印象だったのも確か
ビューティペアは主催者発表なんだからどうしようもないが
あれがビューティだと認識されていたと誤解される可能性はすこしあるな〜
テレビで見たんだけど、江戸時代の浮世絵美人ってのもそんな誤解らしいな。
「おもしろまじめ」日テレのキャッチコピーが懐かしい。
徳光がよく特番に出てたよな。
テーマ曲鳴っても入場前の選手に長めにインタビュー。
リングサイドリポートも頻繁。
平成になってからだけど日米レスリングサミットで入場前の馬場へのインタビューが長すぎだった。
若林に「徳光さんそろそろ馬場さんをリングに送り出してください」と促されてた。
>>988 巨人にあらずは野球部にあらず、全日本にあらずはプロレスにあらず
当時の日テレは手を伸ばしたコンテンツで常に盟主面してたな。
その割には落ち目になると、ケツ割るのも早い。
ジャンルそのものに対する愛着がないのだろうね。
出身大学はなぁー
4人大卒(中退)で揃ったときにやれよと思ったわ
>>982 それなら移籍するブロディ下げの実況になるんでは?
ア・シークスレも400レス行ってるから、実質123として再利用するのがいいね
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