0001右大臣・大ちゃん之弼 ★ 転載あかん
2019/09/16(月) 15:57:40.07ID:CAP_USER1945年8月22日に青森から朝鮮人を乗せて釜山(プサン)に向かった軍艦「浮島丸」。しかし8月24日、舞鶴港で爆発して沈没した。この事故で船に乗っていた朝鮮人帰郷者524人と日本の乗組員25人が死亡し、さらに多くの人々が行方不明となった。
当時、日本政府は米軍が設置した機雷のため沈没したと主張したが、日本が意図的に撃沈させたという疑惑も提起された。船体はダイナマイトで爆破され、遺体の収拾もまともに行われなかった。
映画『浮島丸』は当時の事件を目撃した生存者の証言が反映された。また、故郷に戻る夢を抱いて船に乗った多くの朝鮮人の写真を入れて当時の状況を生々しく描いた。
映画のナレーションに参加した俳優アン・ジェモは「浮島丸爆沈事件を知ってから、我々の民族の痛恨の歴史について共感するようになった」とし「犠牲者と生存者の方々が見えないところでこのように長い時間、つらい記憶を孤独に乗り越えてきたのかと感じた」と語った。
https://s.japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=257648&servcode=700§code=730
[ⓒ 中央日報日本語版]2019年09月16日 15時27分
韓国のドキュメンタリー映画『浮島丸』ポスター
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浮島丸事件wiki
浮島丸事件(うきしままるじけん)は、太平洋戦争終戦の日の後の1945年8月24日17時20分頃に、舞鶴港の京都府舞鶴市下佐波賀沖300mの地点で、日本海軍特設運送艦浮島丸(4,730総トン、乗組員255名)が、3,725名(4000人とする場合もある[3][4])の朝鮮人と乗組員らを乗せて航海中に、アメリカ軍が敷設していた2,000ポンド音響式機械水雷(舞鶴鎮守府舞鶴防備隊報告)に触雷して沈没、乗組員25名(戦死扱い)と便乗者524名の死者をだした事件である。
青森県の大湊港より釜山へ向かう往路、舞鶴寄港時に発生した。沈没原因について様々な憶測を呼んだ事件であるが、実際には当初より触雷による沈没が原因だと※日米両国で公式に認められている。ただし、終戦直後の混乱期でもあり、便乗者の数は公式記録より多い可能性がある。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%AE%E5%B3%B6%E4%B8%B8%E4%BA%8B%E4%BB%B6